読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

メディアのフレーム-パリの事件からみえたもの

先週のフランス・パリで起きた大規模なテロ事件は世界に大きな衝撃を与えました。

私や家族も、友人が数人パリに居ることもあって、その日はテレビに釘付けになりながら、必死でSNSをくっていました。

被害にあわれた方、犠牲になられた方々、そして今なお、心安らかならない日々をおくっていらっしゃる方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

 

その日、話題になったのは、日本の報道機関が、テロを報じていない、ということです。*1

実際には、全く報じていないわけではなかったのですが、欧米大手のテレビ局、CNNやBBCが番組スケジュールを切り替えて、延々と報じ続けていたことと比較すると、対応には差が見られたということがこうした感想の裏にはあるのでしょう。

 

そこで行われていた議論を見て、私が思い出したのは、ドイツの放送を論じるときの用語である「基本的供給」というものです*2

ドイツでは、民間放送が成立したが、日本と比較すると遅かったのですが、それが出てきたあとに、公共放送の意義を説明するときに語られたのがこの言葉です。

ごくごく簡単にいえば、公共放送で商業的な意図と関係なく(視聴率関係なく)、みんなに放送できるから、「これさえみてれば社会(的な議論)に入っていける」という放送ができる、そして、それこそが公共放送というものが存在する意義なのだ、ということです。

あれだけの大事件、これからも社会的な論議を呼んでいくその発端。

あの議論には、それを放送することが、放送の果たすべき公共的な意義なのだ、という意図が含まれているようにみえたのです。

 

日本でも、そうしたことが意識されていなわけではないと思います。

例えば、NHKの理事さんは次のように述べています。

 

「多様化した社会はつながりが失われ、共通の関心について語る『公共圏』は今、細分化、分極化が進んでいる。公共放送の役割は公共圏を活性化させることだ」(NHK・井上樹彦理事 世界公共放送研究者会議)

 

「番組改編案に疑問」『毎日新聞』(夕刊)2015.11.19.

 

というと、公共放送はニュースと災害放送だけやってればいい、というように聞こえるかもしれませんが、必ずしもそうは言えません。

例えば、ドイツの公共放送の意義については、さらに「機能的任務」という「社会的な結びつきを強める」ことをもその意義として包含する概念になっていきますし、実際、上の井上理事も、そのあとで紅白歌合戦を例に出されたりしています*3

もしかすると、総合編成的にバラエティのようなことをやっていて、その流れでニュースなどに接するかも知れません。そういったことも含めたもの*4が放送の役割の一端なのかもしれません。

 

しかし、実際にニュースに切り替えるというのは、大きな判断です。

私が、何かを写せる立場なら走って行ってでも、撮りたい、と思うかもしれませんが、そう簡単なことではありません。

特に民間放送では、スポンサーとの兼ね合いもあります。

人員的な問題もあるでしょう。取材して、セットの準備をして、人を集めて。

番組を作るというのは大変な労力を要します。

難しい、という見解も多く聞かれました。

 

<パリ同時テロ報道>土日の報道量の少なさと対応の遅さはテレビ局のスタッフ不足が原因?

[安倍宏行]【何故地上波テレビは海外ニュースを瞬時に伝えないのか?】~ネット時代のテレビの役割~ | NEXT MEDIA "Japan In-depth"[ジャパン・インデプス]

 

私が、CNNを見ていたときに、記者の口からこんな言葉が何回か聞かれました。

「遠くにいたのでわからなかったのです」

日本の優秀なテレビマンなら取り繕うところかもしれません。

CNNの人も後で怒られたのかもしれません。

しかし、ニュースバリューの大きさいかんでは、最高の準備ができなかったとしても伝えるべきことがあるのだ、そういう心のあり方をそこに感じたのです。

東京大学大学院准教授の丹羽美之氏は、NHKの「やらせ問題」に関連してこういっていました。

問題の根幹は「決定的瞬間を撮ることばかりに固執しがち」な「スクープ映像主義」である、と。*5

決定的な映像がなくても、それは仕方ない、そういう時が許されてもよいのかもしれません。

 

と、縷縷書いてきましたが、こういうことを書けばこういう批判があるでしょう。

なぜパリの時だけそのようなことをいうのか、ベイルートの時はいわなかったのに?

 

大手SNSFacebookはまさにそのような批判にさらされました。*6

安否確認機能をパリの事件で人為的な事件に対しては初めて提供したこと、

プロフィール画像トリコロールをオーバーラップさせる機能を提供したこと。

正直に言えば、私も、トリコロールには違和感をもちました。

もちろん、個々人がトリコロールを使って哀悼を示すことはよいのです。

しかし、私があのボタンを押そうとする時、なんとなく「誘導」されている気になったのです。

こうして、自分で意識しない間に意識が集約されてしまって良いのだろうか、そう思ったとき、そのボタンを押すことはできませんでした。

人づてに聞いた「ワンクリックで連帯が表明できるような社会は私は苦手だ」という言葉に集約されるのかもしれません。

 

でも、そういうものだ、ということもできます。

少し話題になった風刺画がよく表しているように、どのようなメディア(マスと言う意味ではなく)も、現実の一部を切り取ります。

 

#prayfortheworld#opinionPS: pls do understand that this piece is only against the almost unequal treatment of the world media on every terrorism act

Posted by Leemarej on 2015年11月14日

 

Googleで検索される世界だって、ネットの何処かにある情報だって、

もちろん、マスメディアに乗る情報だって。

そこには何らかの観点が存在します。

そりゃそうです。人間全知全能ではあり得ないし、「すべての再現」というのはあり得ないのですから。

今回のパリの事件を中心にして巻き起こった議論。

それは、そもそもいつも日常にある問題を浮かび上がらせただけなのかもしれません。

 

Facebookはネットのプラットフォーム。

放送を初めとしたはこれまでなんやかんやと意見や表現のプラットフォームを担ってきました。

 これからの時代、私たちはどんな窓枠を、どんな枠組みを通じて世界を眺めるのでしょうか。

 

 

メディア・リテラシー―世界の現場から (岩波新書)

メディア・リテラシー―世界の現場から (岩波新書)

 

 

 

*1:なお、本稿において、意見に渡る部分については、所属する組織等とは一切関係ないものであることを記しておきます。

*2:詳細はさしあたり、石川明「ドイツにおける「公共放送像」」『社会学部紀要』, 2001.3 http://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/kiyou/89/89-10.pdf

*3:世界公共放送研究者会議 RIPE、日本で初開催 - 産経ニュース。以前、ドイツの偉い先生にお話を伺った際に、公共放送は民主的な議論ができる共通的な文化の再生産に資するのだ(だから、交響楽団なども許される)(大意)といった話をされていたのが印象に残っています。

*4:もちろん、レクリエーション的なものそのものが価値が無いと言っているわけではないですし、私にとって次の日を生きる糧になることもあります

*5:丹羽美之「取材と撮影「縦割り」背景に」『読売新聞』2015.11.13.

*6:Facebook、パリのテロ事件で適用した安否確認機能の批判を受け、他の災害にも適用すると明言 | TechCrunch Japan

コンピュータがいかにして科学を壊したか―そして、その修復のために我々は何をなし得るのか

How computers broke science – and what we can do to fix it

Ben Marwick, University of Washington

※本稿は、The Conversationに掲載された"How computers broke science – and what we can do to fix it"の全訳です。著者であるBen Marwick氏の許可を得て翻訳しました*1

 

「再現性」は、科学の最も根本的な礎の一つだ。1660年代に活躍した英国の科学者・ロバート・ボイル によって多くの人に受け入れられるようになったこのアイデアは、発見が再現可能でなければ科学的知見として受け入れることはできないというものである。

本質的には、私が、発見を学術論文において公開したときに説明したのと同じ方法をとれば、私がなしたのと同一の結果に到達できるべきだ。例えば、研究者が病気を治療することについて新薬の有効性を再現できれば、それは、その病気に苦しむすべての人々に対して、有効に作用しうるということへの良いサインとなる。もし再現できないのであれば、何らかのアクシデントやミスが元の好ましい結果を生み出したのではないかということについて疑問に思うことになるだろうし、そしてまた、薬の有効性を疑うことになるだろう。

科学の歴史の大部分において、研究者は、その方法を結果の独立な再現が可能となるようなやり方で報告してきた。しかし、パソコンの導入―そして、よりユーザーフレンドリーな進化を遂げたポイントアンドクリック型のソフトウェアの導入以降、多くの研究の再現性が、不可能ではないにしても、疑問視されるようになってきている。多くの研究者が依存するようになったコンピュータの不透明な使用によって、あまりにも多くの研究の過程が包みこまれているのだ。これは、外部の人間が、その結果を改めて作り出すことを概して不可能なものとしている。

最近、いくつかのグループが、この問題に対し、似通った解決策を提案している。彼らは、一緒になって、科学的データを、記録のないコンピュータ操作のブラックボックスから出し、そして、独立した読み手が、改めて批判的に検討し、結果を再現できるようにしようとしている。研究者、市民、そして科学それ自体が利益を得ることになるだろう。

コンピュータはデータの世話をする、しかしそれだけでなく覆い隠す

統計学者のVictoria Stoddenは、コンピュータが科学の歴史において占めてきた独特の地位を説明してきた。それは、(望遠鏡(telescope)や顕微鏡(microscope)のような)新しい研究を可能にするただの道具ではなかった。コンピュータは、異なる意味で革命的なものだ。つまりは、それは科学的なデータの新しいパターンを見つけるためのあらゆる種類の新しい「視野(Scope)」を作り出す小さな工場なのだ。

ものすごく定量的であるというわけではない分野においてさえ、コンピュータなしで働く現代の研究者を見つけることは難しい。生態学者は、災害の動物の生息数に対する影響をシミュレートするのにコンピュータを使う。生物学者は、膨大な量のDNAデータを検索するのにコンピュータを使う。天文学者は、望遠鏡の膨大な並べ方をコントロールし、そしてデータを処理するのにコンピュータを使う。海洋学者は、衛星、船舶そしてブイからのデータを結合して、地球の気象を予測するのにコンピュータを使う。社会科学者は、政策の効果を検証し、あるいは、予測するために、また、インタビューの書き起こしを分析するためにもコンピュータを使う。コンピュータは、ほぼ全ての学問分野の研究者がデータ中の何が面白いかを見出すのを助けている。

また、コンピュータは、個人用の機器になりがちだ。私たちは、一般的に、自分のコンピュータを他の人には使わせないで一人で使うし、そこに入っているファイルやフォルダは、全体としては、個人の領域として考えられ、世間の目からは隠されたところに置かれる。データを、準備し、分析し、そして結果を目に見えるものにする、これらは、個人的な領域である、コンピュータ上で行われる仕事だ。パイプラインの最後の最後のところだけが、全ての個人で行っていたことを要約した雑誌論文として、公の目にさらされる。

ここで問題となるのは、現代の科学の多くはとても複雑で、かつ、雑誌論文の多くはとても短い、つまりは、研究者がデータをコンピュータ上で分析するに際して行った多くの重要な手法や決定の詳細を論文中にすべて治めることは不可能であるということだ。これでは、どうすれば他の研究者は結果の信頼性を判断し、分析を再現することができるだろうか?

Good luck recreating the analysis. US Army

科学者はどれほどの透明性を求められるか?

スタンフォード統計学者であるJonathan BuckheitとDavid Donohoは、パーソナルコンピュータがまだかなり新しい概念であった1995年という早い時期にこの問題を説明している。

計算科学については、科学論文における記事は学問的成果そのものではない、それは、単に学問的成果の広告に過ぎない。図を作り出した開発環境全体と一連の機器全体こそが実際の学問的成果なのだ。

彼らは過激な要求を行った。それは、私たちのパソコン上の全ての私的なファイルと、成果の公開の準備のために行った私的な分析を、科学誌の記事と併せて公開すべきだということを意味した。

これは、科学者の仕事の方法を大きく変えることになるだろう。私たちは、初めからコンピュータ上で行われる全てのことを最終的に他の人に見せられるように準備する必要があることになる。多くの研究者にとって、それは圧倒的されるような意見だ。Vicroria Stoddenは、ファイルを共有するにあたって 最も大きな障害は、その準備のために文書を書き、ファイルをクリーニングするのに要する時間であるとした。次に大きな関心は、他の誰かがこれを用いたときに、そのファイルに対してクレジットの表示を受けられないというリスクにある。

再現性を増強するための新しいツールボックス

What secrets are within the computer? US Army

近年、いくつかの異なる科学者のグループが、コンピュータ上のファイルと分析の追跡を容易にするツールと方法の勧告に向けて集中している。これらのグループには、生物学者生態学者原子力技術者神経科学者経済学者そして政治学者が含まれる。 マニフェストにも似た文書には、彼らの勧告が示されている。こうした異なる分野の研究者が共通の行動方針に向けて集まるというのは、科学という営みにおける大きな潮流が進行中であるかもしれないことを示す兆候だ。

第一の大きな勧告、それは、データ分析におけるポイントアンドクリック形式の過程を、コンピュータが実行する命令を含むスクリプトを用いることが可能な範囲で最小化し、置き換えるということである。これは、他の人とのやり取りが難しく、また、自動化が困難である、痕跡を少ししか残さない、はかないマウスの動きの記録という問題を解決する。それは、MicrosoftExcelのような表計算プログラムを用いるデータクリーニングと組織化のタスクの間にも共通する。一方で、スクリプトは、あいまいさのない命令を含むものであり、将来的にその筆者(とりわけ特に詳細な点が忘れられてしまった場合)や他の研究者によって読まれることが可能である。更に、それは大きなファイルではないから、科学誌の記事に含めることが可能だ。そしてまた、スクリプトは、容易に研究上のタスクの自動化に適応することができ、これは、時間の節約やヒューマンエラーの可能性を減少させることにもなる。

微生物学生態学政治学 そして 考古学において、その例をみることができる。結果を得るために、メニューとボタンの周りでマウスを動かし、手動で表のセルを編集し、そして、いくつかの異なるソフトウェア間でファイルを引っ張りまわす代わりに、これらの分野の研究者はスクリプトを書く。そのスクリプトは、ファイルの移動、データのクリーニング、統計的分析そして、グラフ、図、表の作成を自動化する。これは、分析をチェックしたり、異なるオプションを検討したりするために再実行する際に大きな時間の節約になる。そして、論文の一部となったスクリプトファイルのコードを見れば、誰もが、公表された結果を導いた正確なステップを知ることができる。

他の勧告には、ファイルの保存にあたって共通の、独占的でないファイルフォーマット例えば表形式のデータであればCSVやコンマによる変数分離形式)やどのように情報が構成されているのかを他の人が理解しやすいような体系的なフォルダへのファイルの整理のための シンプルな説明 を用いることを含んでいる。また、データの分析や可視化のためには、どのようなコンピュータシステム(例えば、Windows, MacそしてLinux)でも利用可能なフリーソフトウェアを推奨している(例えば、RPython)。共同作業を行うためには、多くの人々が同じファイルを編集する際に変更履歴を追う助けになるGitと呼ばれるフリープログラムを推奨している。

近頃では、これらは前衛的なツールと方法であって、多くの中堅以上の研究者は漠然とした意識しか持ち合わせていない。しかし、多くの学部生は今これを学んでいる。多くの大学院生は、自らが職を得るのに有利であると考え、オープンフォーマット、フリーソフトウェアや効率化された共同作業を用いており、制度上のトレーニングとのギャップを埋めるために、Software CarpentryData CarpentryそしてrOpenSciのようなボランティア組織に トレーニングの場ツールを求めている。私の大学では、最近、研究者が先にみてきた勧告に適応することを支援するため、eScience 研究所を設立した。この研究所は、バークレー校ニューヨーク大学にある同様の研究所を含む大きな動き の一部となっている。

これらのスキルを学んだ学生が卒業し、そして、影響力のある立場になっていっており、これらの基準が科学の新しい標準になっていくであろう。学術ジャーナルは、論文に付けるコードとデータを要求することになるだろう。資金提供機関は、コードやデータが誰もがアクセス可能であるオンラインレポジトリにおかれることを要求するだろう。

Example of a script used to analyze data. Author provided

オープンフォーマットとフリーソフトウェアはWin-Winだ

研究者のコンピュータ利用の方法におけるこの変化は、市民参加にとっても有益なものとなるだろう。研究者は、そのファイルや手法のうちより多くをより快適な方法で共有することができるようになり、一般市民は、科学的調査へのよりよいアクセスを得ることになるだろう。例えば、高校の教員は、生徒に直近に刊行された発見から生データを見せ、そして、分析の主要な部分を追体験させることができる、なぜならば、それらすべてのファイルが学術誌の記事に付属して利用可能となるからだ。

同様に、研究者がフリーソフトウェアを使うことが多くなれば、一般市民が、科学誌の記事に公開された結果をリミックスし拡張するのに、同じソフトウェアを使うことができる。現在、多くの研究者は高額な商用ソフトウェアを使っているが、そのコストによって、大学や大企業の外にいる人々はソフトウェアにアクセスすることができない。

もちろん、パソコンは、科学における再現性 にまつわる唯一の問題ではない。貧弱な実験デザイン、不適切な統計手法、高度に競争的な研究環境、そして、新規性や知名度の高いジャーナルに論文を出すことに高い価値を置くこと、これらは全て批判されるべきだ。

コンピュータの役目の独特な点、それは、問題への解決方法を持っていることだ。どんな科学者がコンピュータで行った研究の再現性をも改善するため、計算科学研究から借りた成熟したツールとよく検証されてきた手法を明確に推奨できる。これらのツールを学ぶための小さな時間の投資によって、私たちはこの科学の根本的な礎の修復に向かうことができるのだ。

The Conversation

Ben Marwick, Associate Professor of Archaeology, University of Washington

This article was originally published on The Conversation. Read the original article.

*1:原文はCC-BY-NDで公開されています。翻訳にあたっては、東京大学大学院学際情報学府博士課程の加瀬郁子氏の助力を得ました。記して感謝します。

図書館は死につつあるなんて誰が言った?イノベーションのための空間へと進化する図書館

Who says libraries are dying? They are evolving into spaces for innovation

Crystle Martin, University of California, Irvine

※本稿は、The Conversationに掲載された"Who says libraries are dying? They are evolving into spaces for innovation"の全訳です。著者であるCrystle Martin氏の許可を得て翻訳しました*1

 

デジタルメディアの拡大、電子書籍の勃興と予算の大規模な削減に伴い、図書館の終焉がこれまでに何度も 予告されてきました。

図書館の予算は削減され、開館時間や分館の閉鎖を引き起こしていることは事実であるけれども、正確に言わせてもらえば、図書館は死に絶えつつあるわけではありません。実際には図書館は進化しているのです。

学校外での空間における青少年の学習の研究者として、私は青少年のオンラインでの情報行動を研究してきました。私は目下、図書館員がどのようにして10代の学習を助け、初学者にプログラミングを教えているのか、について研究しています。

では、図書館はどう変わっているのでしょう?そしてその未来は?

変化を生み出す

伝統的に、図書館は、書籍への費用負担の生じないアクセスと読書のための静かな場所を提供してきました。

しかし、今、多くの公共図書館は、新しい役割を担うようになりつつあります。テクノロジー、キャリア、大学進学への準備、そしてまたイノベーションや企業、現代の経済で成功するために必要な全ての21世紀的なスキルに対して、プログラムを提供しているのです。

この国中で起こっている変化についていくつかの事例を見てみましょう。

2014年、サンディエゴ中央公共図書館は、IDEA ラボを開設しました。そこでは、生徒たちが、新しい技術を仲間のサポートを受けながら発見し、学習することができます。

ラボは、その関心に沿った様々なトピックスに関するワークショップを開催するために10代のインターンを雇っています。そのトピックスはフォトショップからストップモーションのアニメーション、そして、テクノロジー関係の技術を高めるプロジェクトにまで及びます。

インターンは、学校から、主にアフリカ系アメリカ人やラテン系の生徒がやってきて、司書と共にそのキャリアの目標に関連した経験を得られる活動を計画します。

 

Libraries are becoming spaces for collaborative learning. Jisc infoNet, CC BY-NC-ND

 

同様に、2015年の早い時期には、ノースカロライナ州のシャーロット・メックレンバーグ図書館は、 Idea Boxと呼ばれる「メーカースペース」を設置しました。その場所には、青少年が、3Dモデリングや3Dプリント、ニットのやり方やプログラミングについて学ぶために招待されます。これは、青少年に対して学習の機会を与え、STEAM (科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)、芸術(Arts)、数学(Mathematics))関連のキャリアへの関心を高めます。

シアトル公共図書館が2014年に始めたシアトル若年層雇用プログラムとの提携を他の例として挙げることもできます。彼らは共同で、デジタルリテラシー情報リテラシースキル向上のためのカリキュラムをデザインしています。

個別の図書館の取組の一方で既に、YALSA(Young Adult Library Services Association: ヤングアダルト図書館サービス協会。10代への図書館サービスの強化を行う)のような全国組織も図書館の専門性の範囲について、その見方を変え始めています。最近のレポートは、若者がキャリアパスを探し求め、発展させていくにあたっての図書館職員のサポートの役割の変化にフォーカス をあてたものとなっています。

ホームレスのための図書館

これがすべてではありません。図書館は、その伝統的な役割を超えて拡大し、コミュニティのより深いところまで届くようになっています。

2014年の春以降、ブルックリン公共図書館は、 服役中の両親と共に本を読む機会を子供に与えてるプログラムやホームレスの人々のための「ポップアップ図書館」*2のようなプログラムの提供に焦点を当てた「移行のためのサービス(transitional services)」*3、を実施してきています。

諸機関は、予算カットの憂き目にあいながらも、コミュニティへの奉仕の要素を維持するために努力しています。例えば、デトロイト公共図書館は、経済不況の間その予算を大きく削らざるを得ず、開館時間は週に40時間にまで削減されましたが、コミュニティに最高のサービスを提供するために、夕方と週の開館時間を最大化するようにスケジュールを作り直しました。

未来はサービスにあり

21世紀の図書館は、書籍に関係した部分は少なくなり、図書館職員がそのコミュニティに提供するサービスに重点が置かれるようになっていきます。

未来の図書館センターのミゲル・フィゲロア氏が、このように見事に要約して見せてくれました。

未来の図書館は、それが物理的な空間であれ、電子リソースであれ、一緒に何かに取組み、新しい何かを生み出し、新たな人々と出会い、そして、あなたと他の人が持ち寄ったものをシェアする場所になれるはずだ。対等なもの同士で、実践的に、コミュニティに根差して、そして、創造性に重きを置いたものになるでしょう。

The Conversation

Crystle Martin, Postdoctoral Researcher , University of California, Irvine

This article was originally published on The Conversation. Read the original article.

*1:原文はCC-BY-NDで公開されています。以下注は訳者によります

*2:街中図書館のようなものかと思われます。

*3:ブルックリン公共図書館のサイトを見ると、"people transitioning in and out of correctional and shelter systems"という文がありますので、矯正施設等から社会への「移行」(橋渡し)を指すものと理解しました。

Outreach Services | Brooklyn Public Library

Wi-Fiが飛び交う世界、でも、インターネットには未だに海底ケーブルが必要

Wi-Fiが飛び交う世界、でも、インターネットには未だに海底ケーブルが必要

Nicole Starosielski, New York University

※本記事はThe Conversationに掲載された記事"In our Wi-Fi world, the internet still depends on undersea cables"(2015.11.3)の翻訳です*1

 

海底通信ケーブルの近くでのロシアの潜水艦の活動に関する最近のNew York Timesの記事は、冷戦の政治を掘り返し、私たちみんなの拠り所となっている水に沈んだシステムへの認識を広めました。

海底ケーブルが海を横断するデータトラフィックのほぼ100%を運んでいるということに気づいていた人は多くありませんでした。これらの線は、海底のまさに底に設置してあります。それらは、庭のホースと大体同じくらいの厚さで、世界中のインターネット、電話、そしてテレビさえも大陸の間を光の速さで運んでいます。一般的なケーブルは、一秒に数十テラビットもの情報を運ぶことができます。

私の著作The Undersea Network(『海底のネットワーク』)のための調査を行っている間に、私は、私たちみんなが海を越えてemailから銀行の情報までありとあらゆるものを送るために頼っているケーブルが、大部分は統制されず、そして無防備であるということに気づきました。それらは、たったいくつかの企業(米社SubCom、仏社アルカテルルーセントを含む)によって敷設されていて、しばしば、狭い通り道に沿って送り込まれていますが、海洋の広大さが、しばしばケーブルに保護を与えています。

2015 map of 278 in-service and 21 planned undersea cables. Telegeography

ワイアレスからは程遠い

インターネットトラフィックが海、それも深海生物と熱水噴出孔に囲まれた海、を通じてやりとりされているという事実は、多くの人々がインターネットに抱いているイメージとは正反対のものでしょう。空中で信号をやりとりするために衛星やWi-Fiを発展させてきたんじゃないの?クラウドの世界にやってきたんじゃないの?海底ケーブルシステムは過去のもののように聞こえます。

現実には、クラウドは実際に海の下にあるのです。時代遅れに見えるかもしれませんが、光ファイバーケーブルは現実には、最先端のグローバル通信技術なのです。ケーブルは、光を使って情報をエンコードし、天候に影響を受けませんから、衛星と比較してデータをより速く、より安価に運ぶことができるのです。ケーブルは、大陸内も縦横無尽に走っています―ニューヨークからカリフォルニアに向かうメッセージもまた光ファイバーのケーブルを通じて送られるのです。これらのシステムは、当分の間、空中の通信手段に置き換えられることはなさそうです。

A tangled cable caught by fishermen in New Zealand.

脆弱性のあるシステム?

ケーブルシステムの一番大きな問題は、技術的なことではありません―人間です。ケーブルは地中や水中、電柱の間を走っているので、ケーブルシステムは、私たちと同じ空間に生息していることになります。結果として、私たちは、いつも、誤ってそれを壊してしまうのです。地域開発のプロジェクトは地上の回線を掘り起します。船乗りは、ケーブルにイカリを下します。そして、潜水艦乗組員は、海の下のシステムを正確に特定することができるのです。

最近のメディア報道のほとんどは、脆弱性に関する疑問によって占められています。グローバルな通信ネットワークは本当に混乱の危険にさらされているのでしょうか。これらのケーブルが切られた時何が起こるのでしょうか。ロシアの潜水艦やテロリストによる妨害行為の脅威を心配しなければならないのでしょうか。

この問題には、黒か白か、では答えられません。どの個別のケーブルも、常にリスクにさらされていますが、それは、何らかの妨害者から、というよりも断然船乗りや漁師からの方がありそうなものです。歴史を通じて、混乱の最も大きな原因を一つ上げるなら、故意ではなく イカリやネットを落としてしまうことでした国際ケーブル保護委員会 は、こうした破壊を防ぐために何年も活動を続けています。

An undersea cable lands in Fiji. Nicole Starosielski, CC BY-ND

結果として、今日のケーブルは、人間の脅威が最も集中している海岸の端では、鉄の鎧にカバーされ、海底の下に埋められています。これは、一定の防御になります。深い海では、海洋のアクセス不能性が、大部分ケーブルを守ってくれます-それは、薄いポリエチレンの膜にカバーされれば足りるくらいのものです。深い海では、ケーブルの切断が相当に起こりにくいということではなく、主な形態の干渉が起こりにくい、ということです。海はとても広く、ケーブルは細い、だから、あなたがその上を走って横切る可能性は高くない、ということです。

海底ケーブルの歴史においては、妨害は実際には珍しいものです。発生することは確かにある(近年ではない)けれども、それらは不釣り合いな形で公表されています。第一次世界大戦時の ドイツによる太平洋のファニング島のケーブル局の襲撃は多くの注目を集めます。そして、2008年、国のインターネットの70%を遮断し、何百万人かに影響した、エジプト・アレクサンドリア沖でのケーブル破壊という妨害についての憶測がありました。しかし、平均して年に200回起きているいつもの失敗について聞くことはほとんどありません。

冗長性はいくらかの防護に

事実問題として、これらの線を監視することは不可能なくらいに難しいことです。ケーブル会社は、最初の電信線が1800年台に敷設されて以来、1世紀以上もそれを試みています。しかし、海洋はあまりにも広大で、回線は単純にあまりにも長いのです。致命的に重要な通信ケーブルの付近のあらゆる場所にやって来るすべての船舶を止めることは不可能だろう。私たちは、極端に長い「通行禁止」ゾーンを海洋に設けなければならないし、それ自体、経済を大いに傷つけることになります。

300に満たないケーブルシステムが 全世界の海洋を超えたトラフィックのほぼすべてを運んでいます。そして、これらは多くの場合、小さな崩壊が大きなインパクトに繋がる狭い圧力点を通っています。各ケーブルは、桁外れの量の情報を運ぶことができますので、手に乗るようなシステムに国全体が寄りかかっていることも珍しいことではありません。多くの場所で、インターネットの大きな帯域を取り出すには、たった数本のケーブルを切断することでしかないのです。正しいケーブルを正しい時間に切断すれば、世界中のインターネットトラフィックを数週間か場合によっては数か月にわたって妨害することができるでしょう。

グローバルな情報トラフィックを守っているものは、システムにある種の冗長性が組み込まれているという事実にあります。実際のトラフィックよりも、ケーブルの容量は大きいので、それが壊れた際には、情報は自動的に他のケーブルを通じて迂回します。多くのシステムは米国につながっていて、また、インターネットインフラの多くはここに置かれていますので、単一のケーブルの故障が、アメリカ人に気がつくような影響を引き起こすことは考えにくいのです。

Surfacing.in is an interactive platform developed by Erik Loyer and the author that lets users navigate the transpacific cable network. CC BY-ND

どのケーブル回線一本も、切断の影響を受けやすいし、それはこれからも続くでしょう。そして、そのための唯一の解決策は、より多様性のあるシステムを構築することなのです。しかし、現状では、個別の企業はそれぞれ自身のネットワークに目配せしているけれども、グローバルなシステムを全体として強靭なものにするための経済的なインセンティブも管理機関もないのです。心配すべき脆弱性があるとすれば、これこそがそれにあたります。

The Conversation

Nicole Starosielski, Assistant Professor of Media, Culture and Communication, New York University

This article was originally published on The Conversation. Read the original article.

*1:元記事はCC-BY-NDで公開されています。本稿の翻訳については、筆者であるNicole Starosielskiニューヨーク大助教授の許可を得ました。

流行語大賞を予想してみた。

今年もユーキャン新語・流行語大賞の候補語50語が公表されました。

大賞は例年通り、12月1日に発表される予定です*1

 

せっかくなので、トップテン10語と大賞を予想してみました。

なお、例年の傾向などから予測したものであり、個人的な感情は排除したものであることをあらかじめお断りしておきます。

まずはトップテン。

  1. Sealds(シールズの誰か)
  2. 五郎丸ポーズ(五郎丸選手)
  3. 下流老人(藤田孝典氏)
  4. 安心して下さい、穿いてますよ。(とにかく明るい安村氏)
  5. ドローン(野波健蔵千葉大学特別教授)
  6. 結果にコミットする(瀬戸健氏(健康コーポレーション社長))
  7. まいにち、修造(松岡修造氏)
  8. トリプルスリー(山田、柳田両選手)
  9. 爆買い
  10. 白紙撤回(槇文彦氏、森山高至氏)

上の方から入るだろうな、という順番です。

1.については、同じくくりで「とりま、廃案」もありえるかもしれません。

2については、ルーティンのほうが個人的には好きですが、なんとなくこっちになりそうな気がします。

ラッスンとかもありますが、時期的な問題で、4かな、と。

社会問題系(ブラック企業、など)が入ることも多いので、下流老人、ドローンをピックアップしてみました。

7以下は自信がありません。チャレンジ、モラハラあたりもあるかなぁと思います。

「男気」が入ってたら絶対いれてたんだけどなぁ。

 

大賞は、1.と2.の同時受賞を予想します。

トレンドは同時受賞ですね。

 

蛇足ですが、近年選考委員特別賞がスポーツ選手に与えられるケースが多い*2ので、

「ブレイブブロッサムズ」か「南アフリカ戦の奇跡」あたりでラグビー日本代表に受賞して欲しいです。(希望的観測)

 

みなさまはどう予想されますか?

 

【候補50語はこちら

 

 

 

現代用語の基礎知識2016
 

 

 

*1:

headlines.yahoo.co.jp

*2:2013年東北楽天ゴールデンイーグルス被災地が、東北が、日本がひとつになった 楽天、日本一をありがとう」、2010年斎藤佑樹投手「何か持っていると言われ続けてきました。今日何を持っているのか確信しました…それは仲間です。」

食とともにめぐったもの-『食の500年史』

最近、料理をする機会が多くなっている。

いわゆる”男の料理”風に作りたいものを作っているので、怒られるかもしれない。

 

ここ一週間だと

 

タコスに、

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ラザニア、

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そして、チゲなんかを作った。

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每日、いろいろな計算をしながらお料理されている方々には、

ほんとうに頭が上がらない。

 

昔、話に聞いたのは、こういう風に世界の料理が家庭の食卓に上がる国は珍しい、ということだ。

その国の家庭料理以外に、メキシコ料理、欧州料理に、韓国料理と、作ったり、作れたりするのは珍しいのだ、と。

街に出れば、色々な国の料理が、手軽な値段から、高級志向なものまで揃っている。*1

一方で、「イタリア人が認めなかったパスタ」のコピー*2に象徴されるように、各国の料理を日本風にアレンジしていることも確かだ。

カツレツ、コロッケ、枚挙に暇がない。

こうしたことをひっくるめて、各国の食の混交したあり方は、日本文化特殊論のように語られることも多い。

 

果たしてそうだろうか。

 

食の500年史

食の500年史

 

 

を読んで、そんなことを考えた。

 

ラウトレッジ社から刊行されているThemes in World Historyシリーズの中の一冊。

食は、世界を動き回っていたのだ。

時には征服者とともに、時には移民とともに。

ほんの数百年前まで南米原産であるジャガイモはアイルランドにはなかったし、

唐辛子はヨーロッパを経由して中国、日本(そして韓国)へ入っていった。

 

インドに行ってさえ、自国のアフタヌーンティーやディナーに固執したイギリス人が「これらのごちそうは、死ぬほど重くて消化困難な代物です」と書いたと言うには笑ってしまうが(p.152-153)、彼らは自国に帰った際には、インド料理を知るものとして重宝がられたという。

アメリカに渡ったイタリア系移民は、偏見の眼差しを受けながらも、セロリなどの野菜、そしてカリフォルニアのワイン産業などにも多くの知識を伝えたという。

北米の人々の興味をひいていくとともに、スパゲティ・ミートボールやペパロニ・ピザなど、故郷からは遠く離れた食べ物が登場していく。

 

様々な土地で、その原産物や風土によって構築されてきた食物が海を渡り、時にその地の影響を受け、時には拒絶されながら相互に影響し、混ざり合っていく。

単に「家庭料理」と思っているものこそが、「外国料理」なのかもしれない。

食文化の変容を語る言葉は「勝利や抵抗(レジスタンス)といった軍事的な比喩」から「適応やハイブリッドといった生物学的な比喩」に変わっていった、と筆者は語る。

 

コロンブスがアメリカに入り、そしてマクドナルドがアメリカから出発していくまでの500年。

やや駆け足の感は否めないとしても、「食」という身近な題材を通じて、私たちが得てきたもの、壊してきたもの、そして、新たに作り上げてきたものについて、多くの示唆を与えてくれる*3

 

ま、普段食べる分には美味ければいいのだけれどね。

 

*1:地域によるのはもちろんだが

*2:イタリア人が認めなかったパスタ。カップヌードル・パスタスタイル

*3:本書の切り口は食の伝播にとどまらない。筆者は「食物の伝播と普及」「農業と牧畜の緊張関係」「階級間の格差」「社会的アイデンティティ/ジェンダー」「国家が食糧の生産と配分に果たした役割」の5点をテーマとしてあげる。

EU TSM規則のネット中立性-欧州議会調査局資料から

日本ではどちらかと言うと通信の秘密の方にいってしまいがちですが、

欧州、米国ではネットワーク中立性が何かと話題ですね。

欧州では、10月にネットワーク中立性にも関連するいわゆるTSM規則が採択されたみたいです。

欧州議会調査局の方が簡潔に要点をまとめてくださっていますので、要約だけご紹介します*1

本文はリンクから御覧ください。

 

The EU rules on network neutrality: key provisions, remaining concerns

ネットワーク中立性に関するEUのルール 重要な条項、残る懸念

Tambiama André MADIEGA

 

SUMMARY:要約

 ネットワーク中立性は、本質的には無差別性の原理として、つまりは、インターネットサービスプロバイダーISP)のネットワークを通じた全ての電気通信が平等に扱われることの要求として説明することができよう。長い議論の末、2015年10月27日、欧州議会は、欧州連合におけるオープンなインターネットアクセスのセーフガードに関する新しい規則等を含む、電気通信単一市場(TSM: Telecom Single Market)規則を採択した。

 

 TSM規則では、エンドユーザーがEUのインターネット上において、選択したコンテンツにアクセスし又は配布する権利が重視され、ISPに対し、全てのインターネットトラフィックをエンドユーザーの権利を保護する方法で平等に扱わせるための無差別性の義務を課している。しかし、ISPはなお、無差別性の原則に対し、例外的措置や合理的なトラフィック管理の措置を実施することが許されている。ISPには、イノベーティブなサービス、すなわち「専門サービス(specialised services)」(遠隔医療サービス(例えば、離れた距離から行われる保健サービス)のなどがこれに類する)を提供することの可能性が承認されているが、これらのサービスにおいては通常、サービスの品質と、トラフィックの管理が要求される。また、ISPとエンドユーザーは、インターネットアクセスサービス提供上の(例えば、価格、分量、速度についてのような)商業契約を自由に結ぶことができる。しかしながら、ISPが、専門サービスや商業契約をもちいて、無差別性の原則を迂回させないようにするため、セーフガード条項が同時に実行に移される。

 

 妥結されたテキストは、多くの論者によって、EUにおけるネットワークの中立性を確かにするための偉大な一歩として見られているが、一方で、未解決の抜け穴と曖昧さが致命的なままいくつか残されている。とりわけ、合理的なトラフィック管理、専門サービス及びゼロ・レーティング*2のような価格差別的な慣行に関する規則をいかにして実装するかということに関して、懸念が表明されている。EU全体におけるアプローチが別々のものになってしまうことを避けるため、共通ガイダンスが必要とされている。

 

Tambiama André MADIEGA, The EU rules on network neutrality: key provisions, remaining concerns, EU Pariament Think Tank website, 2015.11.5 http://www.europarl.europa.eu/thinktank/en/document.html?reference=EPRS_BRI(2015)571318

 

 

なお、問題点としては、例えば、ベストエフォートで提供される(通常の)インターネットサービスと広範な「専門サービス」の定義との間に空白があることなどが紹介されています(専門サービスに関しては、代替できないことを示すためのテストをクリアしないといけないけれども、詳細なガイドラインはない、と。)。

 ルール自体は2016年4月に発効するけれども、議論は終わらないよ、ということのようです。

*1:非商用利用について翻訳が許可されるというDisclaimer and Copyrightに基いて行っていますが、著作権は放棄されていません。詳細はオリジナルを御確認下さい

*2:ゼロ・レーティングは、エンドユーザーに対して、特定のコンテンツ、サービス等については課金をしない、又はデータ容量制限の中に含めないという形式の価格差別的なやり方。例えば、プロバイダーの提供する音楽ストリーミングサービスだけは、データ容量制限の枠外に置かれる、など。