読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

「水餃子」は「レトロニム」か(追記)

 レトロニム(retronym)あるいは再命名とは、ある言葉の意味が時代とともに拡張された、あるいは変化した場合に、古い意味の範囲を特定的に表すために後から考案された言葉のことを指す

レトロニム - Wikipedia

 

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Photo credit: mmmyoso via Visualhunt.com / CC BY-NC-ND

 

少し前に、Twitterで「レトロニム」が話題となった。

その時、ふと「水餃子はどうだろうか」という疑問が浮かんだ。

中国では「餃子」といえば、普通は水餃子のこと。

焼き餃子は余った水餃子のタネを焼いて食べたもの。

そんな話を聞いたことがあったからだ。

「餃子」といえば、水餃子を指す時代があったとすれば、

「水餃子」という言葉は後からできたものでも不思議ではない。

 

調べ初めて見ると、意外と奥が深い。

結論から言えば、レトロニムかどうかという問題設定が誤りだった。

 

餃子が一般的に普及したのは、戦後。

田中氏は、戦後2-3年で餃子が広まった理由として大陸への郷愁をあげる*1

ここで、松崎修氏は、「引揚者が餃子をギョウザとして広めたのではないかと思います(ただし水餃子だったのですが)」と当時の「餃子」が「水餃子」であったことを示唆している*2

戦中、満州の食事情を紹介した書籍の中で、「餃子」が「麺類(粉の類)」として紹介されていることは、かえって、日本ではこれが一般的でなかったことを示すものといえるかもしれない*3

同書では、餃子を

(1)水餃子(茹でた豚饅頭)

(2)蒸餃子(蒸した餃子)

(3)焼餃子(鍋烙。焼いた餃子)

と分類しており、「餃子」の語が水餃子に限定されたものではないものの、主として「水餃子」を指していたことがうかがえる。

 

と、このように、ある時代を区切れば、餃子といえば「水餃子」を想起していた時代があり、その意味で、「水餃子」という言葉をあえて使うようになったのは、後からだ、と主張することもできるかもしれない。

 

もう少しさかのぼってみよう。

 

田中清一氏によれば*4、日本における「餃子」の初出は、江戸時代の『卓子調烹法』(1778年前後)である*5

続いて、1784年の『卓子式』、『清俗紀聞』(1799年)にも記述があるという。

前者に紹介される餃子は「ごま油」を使って調理するもののようで、実際に作られた人もいる*6

清俗紀聞に紹介される餃子には絵がついているが、読みは「カウツイン」、形もより饅頭に近い(上部をすぼめる形状)。これは、蒸し上げるという調理法とのことであり、餃子の調理法は様々であったようだ。

 

江戸時代の調理法は割れており、「餃子」という言葉がどちらを指示していたかということにここでは、結論を出すことはできない。

 

では、中国ではどうだろうか。

「餃子」といえば、水餃子を指すのだろうか、指してきたのだろうか。

 

まずは現代。Wikipedia先生。

饺子 - 维基百科,自由的百科全书

中国語が読めるわけではないが、「水餃」の言葉が見て取れる。

また、焼き餃子や蒸し餃子も並列されて書かれているようだ。

少なくとも、現代においては、水餃」という言葉が使われており、

当然ながら、日本独自の言葉というわけではないようだ。

 

餃子の起源をさかのぼってみると、似た料理は古くからある*7ものの、名称が成立した時期は必ずしも定かでない。

 

清・明の時代に発祥したという説もあるし、三国時代書物にある『餛飩餃(ホントンコウ)』が初出だともいう。唐代には餛飩・湯中牢丸という水餃子様のものが現われ、宋代に揚げたり、蒸したりという料理法が出てくるとともに「角子(チャオズ)」という呼称が使われるようになったという。*8

とすれば、小麦の皮で具を包んで何らかの調理をした食べ物を総称するものとして「餃子」(という言葉)が生まれたとも考えられる。

 

このように、「餃子」をさらにさかのぼっていけば、ひょっとすると、むしろ「餃子」という言葉自体が、「餛飩」と何らかの区別をするために生まれた(ある意味での再発明)という可能性だってある。

 

私の問題設定の誤りは「どのような調理法が正統(オーソドックス)だと考えられているか」という問いと「ある料理名が何を指示するか」という問題を混同したことにある。

「汁あり担々麺」がレトロニムだといわれるのは、「汁あり」がオーソドックスだからではなく、元々ある社会において「担々麺」と呼ばれるものが一意に決まっていた(中国では汁なし、日本ではスープのあるもの)からなのだろう。

それに対して調理法が変化することは、ある意味で当たり前のことであり、ある料理名が指示するものが時代や地域(お好み焼き)によって異なるのも当たり前のことなのだろう。

 

 ※追記:書いた後に、古い新聞を見てみると、1940年代の読売新聞にすでに「餃子」のレシピとして「焼き餃子」が掲載されているものがあり、50年代(朝日新聞の記事)には「焼き餃子が一般的」のような記述があることがわかった。というわけで、餃子といえば水餃子、というのは、少なくとも日本ではあったとしても非常に短いということかもしれない。

*1:田中清一『一衣帯水 中国料理伝来史』柴田書店, 1987, pp.222-226

*2:松崎修『食文化雑学 原語から考えるホントの語源』文芸社, 2015, pp.81-86.前段は中国でチャオズと発音されることに関連したもの

*3:佐藤美智子・小原楓『満洲料理法』満洲事情案内所, 康徳9(1942)年。大日本料理研究会編『支那料理辞典 上下』料理の友社, 1939には記述なし

*4:田中清一『一衣帯水 中国料理伝来史』柴田書店, 1987, pp.143-160

*5:1697年の『和漢精進料理抄』にも「片食」の名で餃子らしいものが登場しているという。なお、卓子は「しっぽく」。卓を囲んで食べる料理は江戸にも進出したという

*6:@nifty:デイリーポータルZ:江戸時代の餃子を復活させろ!

*7:1959年に新疆ウイグル自治区の唐代の遺跡から餃子のミイラ(化石)が出土している。

*8:岡田哲「ギョーザ」『たべもの起源時点 世界編』筑摩書房, 2014, pp.146-147.

「この世界の片隅に」生きるということ

この世界の片隅に」見てきた。

こうの史代原作、片渕須直監督・脚本。

声の主演はのん(能年玲奈)。

 

感想をTweetすることができなかった。

付け加えるべき言葉が見つからなかった。

 

舞台は戦前から終戦に至るまでの広島、呉。

 

主人公の北條すずは、普通の人、だ。

少しぼーっとしたところがあって、絵が好きで。

身近にいるあの人みたい、そう感じさせるような人物。

 

ときにコミカルさをもって、ときに切なさをもって、

描き出される主人公、そしてその反省は、魅力に満ちている。

「戦争」に関する映画、という言葉から想起されるような

暗闇に塗りつぶされたものではない。

今を生きる私たちとも共通する普遍的な感情を共有する

等身大の人物であればこそ、彼女や彼女の

家族たちに自らやその家族を重ねあわせる。

それはきっとそこにあった生を「理解する」という営みであった気がする。

 

私の祖母は、あの大きく立ち上った雲の下にいた。

女学生だった祖母も動員される中で、あの瞬間は訪れた。

ガラスの破片がたくさん刺さった。

町に出れば、皮がむけた人々が、「幽霊のように」手を前にたらして、

さまよっていたという。

少し、前に出ていたら、少し時間がずれていたら。

祖母も、そして今の私も選び取られなかった現在となっていたことだろう。

 

彼女の目を通してみた、美しく、残酷な世界。湧き上がる感情。

そして「この世界の片隅に」、「普通のひと」として生きることの意味。

言葉は思いに足りない。

生態の監獄―『セーラームーン世代の社会論』を読んで

ゆとり世代」と呼ばれてきた。

2002年に学習指導要領が改定されたことがその遠因になっている。

週休2日制が完全施行され、絶対評価に。総合の時間も導入された。

いささかセンセーショナルな形で言い広められたことには、

風評被害だと思うが―

円周率は3と教えられている、というものもあった。

 

私の通っていた学校では、幼稚園から週5日制だったのが、

それを機に週6日に変更された。

そうでなくても、私たちの生まれ年(1987-88)で変更されたのは、中学3年生から。

多少、カリキュラムから落ちた部分はあっても、人格形成にかかわるような部分で、

大きな影響があるとも思えない。

そもそも、学校でやったことを覚えている人がどれほどいるというのだろう。

…学校でやったことを覚えているだけで物知り扱いされる、という逆説的な体験を多くしてきたものだ。

ついでに言えば、就職の時期はリーマンショックの直後だった。

 

いささか愚痴のようになってきたが、

世代論にピンときていない、ということはお分かりいただけただろう。

 

そんな私たちの世代に(正確に言えば私たちの世代の女性に)新たなレッテルが貼られることとなった。

セーラームーン世代」*1である。

 

セーラームーン世代の社会論

セーラームーン世代の社会論

 

 (ちなみに、本の中には「のび太世代」なる言葉が、彼女らの少し上の世代の男子を指す言葉として出てくるが、「のび太」なんて言ったら世代論もクソもないと思うのだが)

 

本書では、1982-93年生まれごろの女子を「セーラームーン女子」と定義する。

彼女らの幼少期の体験、すなわち「セーラームーン」の視聴が彼女らに大きな影響を与えたとするのだ。そして、セーラームーンという作品の分析を通じて、この世代の特徴を描き出そうとする。

と、書けばなんだか深遠な分析がなされているように思えるが、一読した限りでは表層的な印象批評と居酒屋談義を組み合わせたようなものに見える。

例えば、「インターバル セーラームーン世代のアンセムとしてのエンディング曲」の章では、エンディング曲をセーラームーン世代のアンセムとして、その内容から世代の特徴を読み解こうとするが、自らの世代論にあった歌詞(実際に流行ったものではあるのだろうが)を解説する一方で、それにそぐわないものについては「特筆すべきでない曲もある」と切り捨てる。

これは、こういう風に読めるし、だからこの世代はこういう世代なのだ。

そういう「分析」が散りばめられるが、「なぜそのように読まれなければならないのか」という点で論証にかけるように思われた。

 

極めつけには

そういった性の目覚めにつながるスイッチのようなものが『セーラームーン』に仕込まれていたのだとしたら、なかなかに興味深いし、ぜひそうであってほしいと、個人的には思う。

と個人的な願望を語って見せたりもする。

 

しかし、本書で最も批判されるべきことは、

論証の不足でもなければ、願望による論点の先取でもない。

「世代」なる枠組みを用いて、「個性(特徴)」を語ろうとすることそのものなのではないだろうか。

「セックスはつねにすでにジェンダーである」などという言葉を持ち出すまでもなく、

個の振れ幅はつねに枠組みよりも大きいはずだ。

 

セーラームーン」が大ヒットしたアニメであることは間違いないし、

なるほど、影響を受けた人も多くいるかもしれない。

確かに、世代の空気をなにものかで語るときに心地よいフックになるのかもしれない。

しかし、彼のいう「セーラームーン世代」が旧き桎梏から抜け出そうとするとき、

この議論は、また新たなる監獄を作り出してしまうものではないのか。

そんなことを思うとき、表紙の色が脳裏に浮かんで消えた。

*1:知らない人がいるかどうかはわからないが、知らない方はこちらを参照。ようするに、大変人気をはくした少女向けの戦隊(?)アニメである。美少女戦士セーラームーン - Wikipedia

三浦九段の出場停止と連盟の電子機器取扱いに関する経緯

本日(12日)、日本将棋連盟から驚きの発表が行われました。

第29期竜王戦七番勝負挑戦者の変更について|将棋ニュース|日本将棋連盟

丸山忠久九段との挑戦者決定戦を制し、

第29期竜王戦に出場が決まっていた三浦弘行九段が出場しないこととなり、

更に今年いっぱいの出場停止処分が課せられるというのです。

 

また、その後の報道*1で、

夏ごろから三浦九段の離席が多く、対局中にスマートフォン等を使って不正(具体的にはコンピュータ将棋ソフトの使用のことと思われる)を行っているのではないか、との声が上がった。

11日に三浦九段に聞き取りを行ったが、満足な説明が行われず、

休場の意向を示したが、期日とされた本日(12日)までに届け出が行われなかったため、今回の処分に至った、

ということがわかりました。

また、一部の棋士Twitterによれば、一致率*2の高さが噂となっていたとも読めます*3

三浦九段は、「ぬれぎぬ」であるとしています。

 

近年、コンピュータ将棋ソフトの進歩は目覚ましく、

スマートフォン上で動かしても相当の強さがある*4と考えられるほか、スマホ経由のリモートで自宅PCを動かす等の方法でより精度の高い情報を得うることから、

対応が検討されていました。

 

時系列で整理すると以下のようになります。

 

夏ごろ:離席が多い等の指摘?

8月:電子機器持ち込みに関する意見伺いが始まる?*5

9月8日:竜王戦挑戦者決定

9月26日:持ち込み規制の方向で棋士の意見を聞く。反対意見もあり。この時点では規制は11月に発表の予定。*6

10月5日:持ち込み、外出の禁止を12月から施行することを発表。竜王戦では金属探知機を使用することに両者合意と報道*7

10月11日:三浦九段から聞き取り

10月12日:処分公表

 

 いかにも対応がちぐはぐで、拙速であるように感じます。

三浦九段が否定しているにもかかわらず、

状況証拠のみでグレーな裁定を下すことは、ご本人の不利益はもちろん、

今後の棋界にとって様々な意味で禍根を残すものとなるでしょう。

仮に(本当に万が一)なんらかの証拠があるが、隠している場合であっても、

処分のみを公表することは、不信を生むだけであって、

竜王戦だけでもすんなり終わらせた方が合理的であるように思います。

聞き取りのタイミングももう少し前のタイミングにはならなかったのか。

悪しき前例を作り、すべての棋士に疑いの目を向けさせ、

タイトル戦というハレの舞台を戦う棋士を万全の状態から遠ざける。

どうにも、ココセの悪手を指し続けているような気がします。

 

三浦九段が不正を働いたとは思いません。*8

一方で、広い意味で電子機器にどう対応するのか、という問題はあるのでしょう。

将棋連盟が棋界とファンのため、賢明な判断を下されることを望みます。

焦がれるものは

「野球わかるんか?って言われたら、当然のごとくカープの話が始まるんですね!」

広島に赴任した後輩が、驚きを語ってくれた。

プロ野球にもチームはいろいろあるし、大リーグや高校野球もある。

それでも広島で「野球」といえばカープのことだ。

なんの前置きもなく、今日の試合での若手のエラーの話が始まり、それを肴に杯を傾ける。

 

祖父も例にもれず、カープファンだった。

いや、以前に優勝した際には、会社で胴上げされたといっていたから、

その中でも、とりわけ熱烈なファンだった、ということなのかもしれない。

毎晩、ウイスキーを片手に、カープの試合を見て、

誰に見せるわけでもない、記録を取り続ける。

つまらないミスや気力のない試合などしようものなら、

「ハー!解散せぇ、解散じゃ」と罵倒する。

それを、毎日、毎日繰り返す。

健やかなる日も、病める日も。

富める日も、貧しき日も。

 

年齢的なものなのか、カープが負け続けているからなのか、

元気をなくしていた祖父のため、友人に無理を言って譲ってもらった

サインバットは、当時のスター・緒方選手のものだった。

 

その緒方選手もとうに引退して、監督になって。

黒田選手や新井選手は一度出て行って、戻ってきた。

球場もボールパークへと建て替わった。

10年も前に亡くなった祖父が知っているチームとは、

ずいぶんとメンバーがかわってしまったけれど、

生きていたら、間違いなく、その瞬間を見届け、喜びを爆発させていただろう。

東京ドームで、本通りで喜びを爆発させていたファンの姿に、

「解散せい」と言いながら、チームを愛し続けた祖父の姿を重ねてしまった。

 

広島中がコイ焦がれたチームに、待ち焦がれた瞬間が訪れたことを

心からお祝いしたい。

 

 

そして、CSには我がチームも出ることを、

そしてよい勝負をすることを祈っています。

 

 

 

 

 

1円拾わなかった話

チリン

 

朝の混雑した駅のホームから、エスカレーターに乗り込む。

と、同時に時間を確認しようと、ポケットのスマホに手をやったときのことだった。

指に残るかすかな感触。軽い音。

1円玉だ。

昨日、売店で貰ったおつりが残っていたのだろう。

 

ふと思い出す。

1円玉を見つけた時には、すでに1円分以上のエネルギーを使っているという話を。

探して拾うことを考えたら収支は赤字だろう。

ただでさえ混雑しているエスカレーターの乗り込み口。迷惑にもなる。

さらに言えば遅刻しそうだ。

言い訳を探しながら、体はどんどんと上昇していく。

どうだ、もう拾えない。

 

「落としましたよ」

と、後方から若い女性の声がする。

わざわざ他人が落とした1円玉を拾ってくれるなんて、天使のような人だ。

ちょっとした罪悪感を追い出すことに努めていた私は、振り返ることもできなかった。

「あ、す、すいません」

言葉を絞り出しても、そんなもの。

たいした感謝の言葉も言えない、都会の人になってしまったか。

1円玉を財布にしまい込みながら、そんなことを考えていると、

もう降り口に差し掛かる。

 

道すがら、1円分の後悔と自責がグルグルと頭をめぐる。

そうして1銭にもならない駄文を書き散らすのだった。

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ポケモンをやらない人のための本当のPokémon GO問題

Pokémon GO(ポケモン ゴー)*1が大ブームです。

それに伴って、様々なトラブルが報じられ、各所から、規制の声が上がっているようです。

一方で、報道などを見ると、やや正確な理解に欠けている部分もあるようです。

みんながポケモンをやるわけでもないですし、やる必要もありません。

しかし、ポケモンの規制の話は、ポケモンだけにとどまる問題ではありません。

これからの世界に生かしていく議論をするために、ポケモンのシステムと問題点をまとめてみたいと思います。*2

 

長くなったので、簡単にまとめると。

1.施設内でポケモンを出なくする措置はあまり意味ないかも?

2.爆発的人気で人が多かったのが問題の核心だけど、これから減るからそこは勘案できそう。ただ、今後のために考える必要もあるかも。

3.空間に情報を付与することは今に始まったことではない。けれど、実際の場所とのリンクが強いことや大勢の人がのっかるプラットフォームになっていることを踏まえた議論が必要?

4.いまポケモンに向けられている議論はこれから生まれるかもしれない未来の表現や技術にかかわること。

5.マナーを守って楽しく遊び、そして、学びましょう。

 

0.何をするゲームか

ポケモンを捕まえるゲームです。

と、書くと一行で終わってしまうことが、かえって誤解を招いているのかもしれません。イメージでいえば虫取りです。地図上に仮想的に置かれたポケモンを探して歩き回り、捕まえる。そして、育てて、戦わせる。それが基本になります。

 

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上のマップ画面を見てください(個人情報のため一部を加工しています)。

自分が歩き回るとキャラクターも画面を動きます。

そこかしこに立っている棒のようなものがポケストップという拠点で、近づいてタップするとアイテム(ポケモンを捕まえるのに必要)が獲得できます。

また、地図上にいるポケモンをタップすると、右のような画面に遷移して、ポケモンを捕まえるという局面に移るわけです(ゲット画面、といいましょう)。画面に表示されている場所に飛びついて捕まえるわけではありません。画面上でボールを投げるだけです。

ここで、重要なポイントが二つあります。

①地図上のデータはゲームの開発元が以前から提供しているIngressというゲームでのデータを利用しているということ*3

②ポケストップもポケモンも半径約40mに入ってくれば、タップできる(表示される。そこまで行く必要はない)。

ということです。

1.人はなぜさまよい歩くのかー危険な場所に入るの?

原発にもポケモンが出た!

高速道路に迷い込んだ人がいて危ない!

海外じゃ地雷原にまで入り込んだ奴がいるらしいぞ。

 

なぜ人はそんなにさまよい歩くのでしょう。

わかりません。

ポケモンは一定のアルゴリズム(場所、時間帯、天気など)に従って、地図上に出現するといわれています。そして、その近くに行くと地図上に表示されるわけです。近くまで行かないと地図上に表示されませんので、どこかにないかと歩き回って探すことになります。宝探しゲームみたいなものですね。

さて、出現する場所については、以下のような推測があります。

①ポケストップの近くはでやすい

②人通りの多い場所はでやすい*4

ポケモンの巣

1-2については、確率の話ですので、言ってしまえばどこにでも出現する可能性があります。

問題は3です。ある特定の場所には、特定の希少なポケモンが出現しやすいといわれています*5。こういう場所にはその種類がほしい人は行きたくなるわけですね。例えば、ピカチュウがほしいから新宿御苑に行こう、みたいに。

 

逆に言えば、出るかもしれないし、出ないかもしれない、という場所にはとりたててその場所に行くようなインセンティブはないわけです(だからあえて、原発とかに入っていく意味はないんじゃないかな、と思います。ネタ作りや熱中しすぎて気づかず入る以外には)。

 

それから、GPSで平面上に置かれるだけですので、プレーヤーが地下にいても、地上にいても、高架の上にいても、関係はありません。ホームの端っこにポケモンが表示されている画面を見せて、危ないと書いている方がいましたが、ゲット画面上そこにいるように表示されているだけで、マップのどこに表示されていたかとは関係ありませんし、ましてホームの端っこに行く必要もありません。

ここまで、書くとわかっていただけると思います。

 

ある一定の場所でポケモンを出現しなくする、ということにはあまり意味がないのではないかと考えられます。例えば、駅の場合を考えて見ましょう。

 

駅にいるポケモンをとるために、外から駅や線路に入るケースは考えられません。地図上に表示されていれば、その時点でもう捕まえられるのですから。*6

次に、仮に構内に出現しなくなったとしましょう。しかし、駅周辺には出現する可能性があります。プレーヤーが駅の中にいても、駅の外に配置されたポケモンの40m以内に近づけば、捕まえることができます。つまり、構内でのプレーを制限することには必ずしも有効ではありません。

では、ポケモンが出現しない範囲を広げたら?しかし、周辺にはポケモンを誘客に使おうとしている施設があるかもしれません。駅の隣に、マック*7がある光景、ありますよね?地下鉄の駅や線路の上にある施設はどうなるでしょうか。

もし制限をかけるとしたら、特定施設にいるプレーヤーはアプリが起動しなくなる、くらいのことでなければ難しいでしょう。

 

2.ほかのアプリとの違いは?

そうなってくると一つ疑問がわいてきます。

ほかのアプリとどう違うというのでしょうか。

歩きスマホの問題は、今までもずっと指摘されてきたことです。毎日、駅でもアナウンスされていました(そういえばここ数日聞いていないような…いずれにしても歩きながらの操作は危険ですのでやめましょう)。*8

今日も、ほかのゲームをやりながらホームを歩いているお姉さんをみかけました。

では、そうしたゲームにもすべてそうした措置を求めるべき?

では、地図アプリは?画面の時計を見るのは?

一つには、やる人が多すぎた、というのが大きな違いだと思います。

リリース当初は大加熱でした。近くの公園でもみんなやってました。

そりゃあんだけ人が来れば、そして話題になれば、なにがしか対策を考えたくなるのもわかります。当然ですが、ゴミは持ち帰るべきですし、時間帯によっては周辺環境への配慮も必要でしょう。(飽き始めている人も多い様子。その点は今後の推移を見守る必要もあるかな、と思います)

一方で、今後もこのように多数の参加者を集める仮想現実などのソフトウェアはあり得ますから考えることには意味があります。

もう一つ、大きな特徴として、位置情報を使って、タグ付けをしている、という点があります。

 

3.場所に情報を付与することは新しいか

ポケモンゴーは、拡張現実(AR:Augmented Reality)の新しい法的問題の地平を開拓した、なんて捉えられ方もしています*9

その中心になるのが、Virtual location rights(仮想的な位置の権利)です。

つまり、自分のおうちなり、お店なりのある場所に勝手に情報を付与していいの?ということです。

自分の家がポケストップになって便利だという人もいるかもしれませんが、毎日人が大勢集まってたら少しいやかもしれません。

あまり、ゲームがそぐわない場所*10に重要な場所としての意味が付与されてしまうかもしれません。

そうした場合には、開発元は削除申請を受け付けているようです。

しかし、こうした場所に対する情報のタグ付けも珍しいものとは言えないかもしれません。(そもそもポケストップとなっている多くの場所はIngressのプレーヤーがゲーム内の拠点として申請し、日夜遊んでいる場所です。*11

また、それ以前にも、フィクションの情報がある場所に付与されて人が集まること、はありました。古くは、神話の世界の話になるかもしれません。

最近では、漫画などのモデルとなった場所に観光客が多く訪れるという現象もあります*12

AR的な見せ方という意味では、今は亡き「セカイカメラ*13が先駆的でした。

また、実際に、地図やカメラを使って表示をしなかったとしても、例えば「食べログ」のような形で、一定の「情報」が付与されることもあるわけです。

ポケモンゴーもある意味ではこうした系譜に属していると考えることもできます。*14こうした情報は、付与された場所の側から変更することが可能であるとは限りません*15

そしてこうした行為は、少し大げさな言い方をすれば、世界への意味付けを変える「表現」でもあります。Ingressの標語は「The world around you is not what it seems.」(あなたの周りの世界は、見たままのものとは限らない)というものですけれども、世界の見え方はいろいろあるのです。そして、そのことは生を豊かにするものだと私は思っています。

 そうした表現の問題と、実際の施設の管理の問題との兼ね合いは、これから考えらえるべき大きなイシューだと感じています。

開発元であるNianticは、Ingress、ポケモンゴーと、位置情報ゲームの大きなプラットフォームを2つ占有していることになります。彼らは、これまでのインターネットにおけるプラットフォーマーと同じような意味で、「ゲートキーパー」でありうるわけで、その点をどう考えるか(すべてをゆだねてよいのか。人を集めたい施設と集めたくない施設が併存する場所についてどう扱わせるのが適当か*16表現の自由との兼ね合いは。)というのも論点となるかもしれません*17

 

 おわりに

 開発元の代表者ジョン・ハンケ氏は、ポケモンの基盤となったIngressについても、ポケモンについても、人が外に出て歩くことの助けとなってほしい、と言っています。そして、それが世界をよくするのだ、とも*18

それは、一つの事実をついていると思います。私も、家族らからなんでそのつまらなそうなゲームをと言われながらIngressをやっていましたが、拠点をめぐるうち、自分の住んでいる町や行く先々の新しい側面を知ることができました(普段気づかないような場所にもタグがあるから)。

海外の図書館などでも活用する試みがあるようです。*19

もちろん、解決していくべき問題も、考えるべき事柄も多くあるでしょう。

できれば、その考えが、新しい世界の見方につながっているものであるように祈っています。

 

*1:『Pokémon GO』公式サイト

*2:清水さんのブログはすごく愛情を感じます。元ケータイゲーム屋が思うポケモンGOとIngressのイノベーション - shi3zの長文日記

*3:田舎にはない!と言われることがありますが、それは今までIngressで申請されたものが少なかったのです…例えば鳥取や岩手には多くの拠点があります。ポケGO砂丘解放区を作った男(2016年7月27日(水)掲載) - Yahoo!ニュース ; ポケモンGO岩手県盛岡市ポケストップの数が多い?トレーナーも多い | ふと雑記ブログ

*4:1-2については、正確にはIngressでXMと呼ばれるエネルギーの粒が表示されているところに多く出る、というものです。ポケストップと重なるIngress上の拠点である「ポータル」からはXMが出ますし、それ以外の場所にある「野良XM」はAndroid端末が一定時間停滞した場所に沸くといわれています。■道端に湧くXM(通称:野良XM) 人の多い所(おそらくAndroid端末が一定... : 【検証解説】ポケGOプレイヤー必須知識“XM” 海外勢が明かしたポケモン頻出ポイ... - NAVER まとめ

*5:【ポケモンGO攻略】トレーナーがこぞって集う“ポケモンの巣”ってナンだ!? [ファミ通App]

*6:実際にいるではないか、と言われるかもしれませんが、そういう方々はそもそも熱中しすぎて非合理な行動(不法侵入)をとっているわけです。出なくする措置、をとっただけで入らなくなるでしょうか

*7:マクドナルド。ゲーム開発元と契約を結びマクドナルドはゲーム中で拠点となっている。

*8:歩きスマホは違法にするべきか - 読書は人間の夢を見るか

*9:Pokémon Go and the law of augmented reality – TechnoLlama ; Pokémon Go has revealed a new battleground for virtual privacy

*10:海外ではホロコースト記念館や9/11のモニュメント。日本では平和公園などがあげられるでしょうか

*11:しかし、Ingress界にはマナーが形成されている部分があって、そうしたものがないうちに一気に広がったのはポケモンの不幸といえるかもしれません。【MMMMORPG】Ingress攻略(Wiki風味)【大規模社会実験】: ■プレイのお約束 これは一部。

*12:『スラムダンク』の聖地!江ノ電・鎌倉高校前踏切は台湾人に大人気の撮影スポット | 神奈川県 | トラベルjp<たびねす>; らきすたの舞台となった鷲宮神社はコンテンツツーリズム(「聖地巡礼」)の関係で有名。 久喜市商工会鷲宮支所(旧鷲宮商工会)ホームページ

*13:立ちどまるよふりむくよ:「セカイの終わり」とPokemon GO コノ、オオゾラニ、エアタグヲ (1/5) - ITmedia ニュース

*14:違う点といえば、やはり利用者の数とリンク感の強さでしょう。

*15:もしかしたらそうした仕組みが必要なのかもしれませんが

*16:申請があればすべて消す主義であれば、前者に不利に。そうでなければ、恣意的な選択が可能に、など。

*17:オンライン上のゲートキーピングの歴史(1) : HUSCAP ; 成原慧『表現の自由アーキテクチャ勁草書房, 2016などを参照

*18:Ingressの核心は「世界をよくするためには外に出ること」--川島優志氏インタビュー(前編) - (page 2) - CNET Japan

*19:米国での、ゲーム“Pokémon GO”と図書館(記事紹介) | カレントアウェアネス・ポータル; 越山乃風 on Twitter: "市の審議会で「図書館がポケストップになってるので、図書館に市内のポケストップとその史跡解説を記載した地図を作って貼りだすべきだ」と言ったら笑われた。

会長職の准教授が「いや、笑いごとじゃなくて」とフォローしてくれたのが救いだった。
https://t.co/mutBDuVKBr"