読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

リズムは続くよどこまでも #GrooveMerchant

新宿の雑踏のなかそびえるビルのホール。

100余りの客席は、満席。

スネアの音が徐々に大きくなり、いきなりのドラムソロ。

Freddie HubbardOn the Que-Teeだ。

細かくリズムを刻むドラムに、ベースとピアノのリズムセクション

その上に、優美なトランペットにサックス。

初めてのアルバムに入れられたスタンダードナンバーに、

メンバーのオリジナルなども演奏されて、その日の2時間はあっという間に過ぎた。

 

ライブが始まる直前、知人の訃報を聞いて混乱していた私を、

彼らのGroove*1が運んで行ってくれた。

「リズムなしには音楽は生まれないという事実は、運動、秩序、均衡などという言葉を超えて、リズムがより根源的な、生命と直接かかわりをもつ力であることを感じさせる」(芥川也寸志『音楽の基礎』岩波書店, 1971)というが、そのリズムがその日以降の私の生命そのものだった。

 

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その日は、アルバムリリース*2を記念した日本ツアーの初日だった。

グループ名はGroove Merchant。

ピアノ、ドラム、ベースに、サックスとトランペットの5人編成。

トランペットのAaron Bahr氏を除けば、日本人*3

いずれも、ニューヨークで活動している。

飛行機に乗ってわざわざ日本までやってきて、車に荷物を詰め込んで、日本各地をまわるのだという。

事実上のリーダー、権上康志氏が語るように、今の時代、ジャズバンド5人で、

ツアーを回るというのは、金銭的にも体力的にも簡単なことではないのだろう。

 

 

それでも、その価値はあった。

何故そう言い切れるかといえば、2週間のツアーを終えた最終日、渋谷会場のライブにも顔を出したからだ。

こちらも7,80ほどの客席が満員。

多少の疲れやかたさを感じる場面がないではなかったのだけど、

音楽は「熟成」されていた。

 

 

細かく分割された、豊かで厚いフレーズを奏でるドラム(小田桐氏)*4。陰に陽に縦横無尽。

パワフルなドラムとの掛け合いを見せたかと思えば、優美なボウイングも見せるベース。権上さんはしゃべりもおもしろかった。

そんな二人と楽しそうに絡んでいた?ピアノの末永氏。オリジナル、You may know.は、遠い異国の地からの郷愁を感じさせた。

前のお二人は、演奏もさることながら、オリジナルの曲がかっこよかった。

Bahr氏の美しい、優雅な曲。他方、三富氏の曲は異文化との出会い、「不可思議さ」が前面に表現されたものだったように思う。

どのメンバーのオリジナル曲も、日本的な旋律を取り入れたり、異文化との出会いを描いたり、していた点が印象に残った。

ほどなく、彼らはNYに戻って活動を続ける。

ジャズミュージシャンにとって、セッションも、バンド活動も両輪のように大切(権上氏)だそうだが、今回のツアーで音楽ができていく過程が経験できたし、課題も見えた。これをファーストインプレッションから発揮できるようにしていきたい(小田桐氏)、という言葉は力強かった。

「生きていくだけでも大変な街」NYでのさらなる活躍を期待したい。

 

グルーヴ・マーチャント(GROOVE MERCHANT)

グルーヴ・マーチャント(GROOVE MERCHANT)

 

 

 

*1:人によってニュアンスが違うみたいだけど、”The “lock” between members of a rhythm section playing well together.”(Mark Levine, The Jazz Theory, 2011.ところで、Merchantって「商人」みたいな意味だと思ってたら「~狂」みたいな意味もあるのね。)と定義するものがあった。

*2:アルバムは後掲。スタンダードナンバーをがっつり。楽しい曲も、しっとりした曲も。

*3:Bahr氏はイケメン。御両親二人ともに日本人の親御さんがいるらしい

*4:師匠?そのラルフ・ピーターソンに似てると言っている人もいた

靴ひもを通してもらったはなし

僕の革靴はボロボロだ。

つま先は傷つき、見事な餃子型になっている。

ビジネスマンは足元から、という人からみれば、

ビジネスマンの足元にも置けないということになるだろう。

いいのだ。ボロボロに擦り切れるまで精一杯。そんな美学もある。

 

それでも、靴ひもが切れては歩けない。

これまでも何度か替えてきたが、経験上、そろそろ切れる。

そう思ったある日、僕は靴屋に向かった。

 

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真新しい靴が並ぶその空間は、なんとなく踏み入れることを躊躇させる。

何とか分け入っていくと、靴ひもをみつけた。

隣には、靴の修理と靴磨きのコーナー。

清潔感のある若いお兄さんが、靴の手入れをしている。

何か言われるんじゃないかと内心びくびくしながら、

ひもを見比べる。

丸ひもか、平ひもか、長さも、いろいろあるぞ。

清水の舞台から飛び降りるつもりで、200円の丸ひもに。

お兄さんに手渡す。

 

「よろしければ、お通ししましょうか」

明るく、優しい声だ。

このボロ靴に、200円のひもなんですけど、いいんでしょうか、

そう思いながらソファーに腰かけ、靴を渡す。

「もしかすると、こちらの300円のひものほうが合うかもしれません。

100円お高くなってしまうのですが…」

そうですか。同じひもに見えますが、でもそうなんでしょうね。

お願いします。

 

お兄さんは、ボロ靴から、丁寧に、

そんな靴をも、いつくしむように丁寧に、ひもを外し、

新しいひもを通してくれた。

そして、僕の渡した500円玉をもって、奥のレジまで走っていった。

申し訳ないことしちゃったな、と思いながらも、

僕はまたこの店に来る時のことを考えていた。

 

明日からまたこの靴を履いて、

丁寧にひもを通そう。

丁寧に精一杯。それだけでもいいのだ。

「水餃子」は「レトロニム」か(追記)

 レトロニム(retronym)あるいは再命名とは、ある言葉の意味が時代とともに拡張された、あるいは変化した場合に、古い意味の範囲を特定的に表すために後から考案された言葉のことを指す

レトロニム - Wikipedia

 

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Photo credit: mmmyoso via Visualhunt.com / CC BY-NC-ND

 

少し前に、Twitterで「レトロニム」が話題となった。

その時、ふと「水餃子はどうだろうか」という疑問が浮かんだ。

中国では「餃子」といえば、普通は水餃子のこと。

焼き餃子は余った水餃子のタネを焼いて食べたもの。

そんな話を聞いたことがあったからだ。

「餃子」といえば、水餃子を指す時代があったとすれば、

「水餃子」という言葉は後からできたものでも不思議ではない。

 

調べ初めて見ると、意外と奥が深い。

結論から言えば、レトロニムかどうかという問題設定が誤りだった。

 

餃子が一般的に普及したのは、戦後。

田中氏は、戦後2-3年で餃子が広まった理由として大陸への郷愁をあげる*1

ここで、松崎修氏は、「引揚者が餃子をギョウザとして広めたのではないかと思います(ただし水餃子だったのですが)」と当時の「餃子」が「水餃子」であったことを示唆している*2

戦中、満州の食事情を紹介した書籍の中で、「餃子」が「麺類(粉の類)」として紹介されていることは、かえって、日本ではこれが一般的でなかったことを示すものといえるかもしれない*3

同書では、餃子を

(1)水餃子(茹でた豚饅頭)

(2)蒸餃子(蒸した餃子)

(3)焼餃子(鍋烙。焼いた餃子)

と分類しており、「餃子」の語が水餃子に限定されたものではないものの、主として「水餃子」を指していたことがうかがえる。

 

と、このように、ある時代を区切れば、餃子といえば「水餃子」を想起していた時代があり、その意味で、「水餃子」という言葉をあえて使うようになったのは、後からだ、と主張することもできるかもしれない。

 

もう少しさかのぼってみよう。

 

田中清一氏によれば*4、日本における「餃子」の初出は、江戸時代の『卓子調烹法』(1778年前後)である*5

続いて、1784年の『卓子式』、『清俗紀聞』(1799年)にも記述があるという。

前者に紹介される餃子は「ごま油」を使って調理するもののようで、実際に作られた人もいる*6

清俗紀聞に紹介される餃子には絵がついているが、読みは「カウツイン」、形もより饅頭に近い(上部をすぼめる形状)。これは、蒸し上げるという調理法とのことであり、餃子の調理法は様々であったようだ。

 

江戸時代の調理法は割れており、「餃子」という言葉がどちらを指示していたかということにここでは、結論を出すことはできない。

 

では、中国ではどうだろうか。

「餃子」といえば、水餃子を指すのだろうか、指してきたのだろうか。

 

まずは現代。Wikipedia先生。

饺子 - 维基百科,自由的百科全书

中国語が読めるわけではないが、「水餃」の言葉が見て取れる。

また、焼き餃子や蒸し餃子も並列されて書かれているようだ。

少なくとも、現代においては、水餃」という言葉が使われており、

当然ながら、日本独自の言葉というわけではないようだ。

 

餃子の起源をさかのぼってみると、似た料理は古くからある*7ものの、名称が成立した時期は必ずしも定かでない。

 

清・明の時代に発祥したという説もあるし、三国時代書物にある『餛飩餃(ホントンコウ)』が初出だともいう。唐代には餛飩・湯中牢丸という水餃子様のものが現われ、宋代に揚げたり、蒸したりという料理法が出てくるとともに「角子(チャオズ)」という呼称が使われるようになったという。*8

とすれば、小麦の皮で具を包んで何らかの調理をした食べ物を総称するものとして「餃子」(という言葉)が生まれたとも考えられる。

 

このように、「餃子」をさらにさかのぼっていけば、ひょっとすると、むしろ「餃子」という言葉自体が、「餛飩」と何らかの区別をするために生まれた(ある意味での再発明)という可能性だってある。

 

私の問題設定の誤りは「どのような調理法が正統(オーソドックス)だと考えられているか」という問いと「ある料理名が何を指示するか」という問題を混同したことにある。

「汁あり担々麺」がレトロニムだといわれるのは、「汁あり」がオーソドックスだからではなく、元々ある社会において「担々麺」と呼ばれるものが一意に決まっていた(中国では汁なし、日本ではスープのあるもの)からなのだろう。

それに対して調理法が変化することは、ある意味で当たり前のことであり、ある料理名が指示するものが時代や地域(お好み焼き)によって異なるのも当たり前のことなのだろう。

 

 ※追記:書いた後に、古い新聞を見てみると、1940年代の読売新聞にすでに「餃子」のレシピとして「焼き餃子」が掲載されているものがあり、50年代(朝日新聞の記事)には「焼き餃子が一般的」のような記述があることがわかった。というわけで、餃子といえば水餃子、というのは、少なくとも日本ではあったとしても非常に短いということかもしれない。

*1:田中清一『一衣帯水 中国料理伝来史』柴田書店, 1987, pp.222-226

*2:松崎修『食文化雑学 原語から考えるホントの語源』文芸社, 2015, pp.81-86.前段は中国でチャオズと発音されることに関連したもの

*3:佐藤美智子・小原楓『満洲料理法』満洲事情案内所, 康徳9(1942)年。大日本料理研究会編『支那料理辞典 上下』料理の友社, 1939には記述なし

*4:田中清一『一衣帯水 中国料理伝来史』柴田書店, 1987, pp.143-160

*5:1697年の『和漢精進料理抄』にも「片食」の名で餃子らしいものが登場しているという。なお、卓子は「しっぽく」。卓を囲んで食べる料理は江戸にも進出したという

*6:@nifty:デイリーポータルZ:江戸時代の餃子を復活させろ!

*7:1959年に新疆ウイグル自治区の唐代の遺跡から餃子のミイラ(化石)が出土している。

*8:岡田哲「ギョーザ」『たべもの起源時点 世界編』筑摩書房, 2014, pp.146-147.

「この世界の片隅に」生きるということ

この世界の片隅に」見てきた。

こうの史代原作、片渕須直監督・脚本。

声の主演はのん(能年玲奈)。

 

感想をTweetすることができなかった。

付け加えるべき言葉が見つからなかった。

 

舞台は戦前から終戦に至るまでの広島、呉。

 

主人公の北條すずは、普通の人、だ。

少しぼーっとしたところがあって、絵が好きで。

身近にいるあの人みたい、そう感じさせるような人物。

 

ときにコミカルさをもって、ときに切なさをもって、

描き出される主人公、そしてその反省は、魅力に満ちている。

「戦争」に関する映画、という言葉から想起されるような

暗闇に塗りつぶされたものではない。

今を生きる私たちとも共通する普遍的な感情を共有する

等身大の人物であればこそ、彼女や彼女の

家族たちに自らやその家族を重ねあわせる。

それはきっとそこにあった生を「理解する」という営みであった気がする。

 

私の祖母は、あの大きく立ち上った雲の下にいた。

女学生だった祖母も動員される中で、あの瞬間は訪れた。

ガラスの破片がたくさん刺さった。

町に出れば、皮がむけた人々が、「幽霊のように」手を前にたらして、

さまよっていたという。

少し、前に出ていたら、少し時間がずれていたら。

祖母も、そして今の私も選び取られなかった現在となっていたことだろう。

 

彼女の目を通してみた、美しく、残酷な世界。湧き上がる感情。

そして「この世界の片隅に」、「普通のひと」として生きることの意味。

言葉は思いに足りない。

生態の監獄―『セーラームーン世代の社会論』を読んで

ゆとり世代」と呼ばれてきた。

2002年に学習指導要領が改定されたことがその遠因になっている。

週休2日制が完全施行され、絶対評価に。総合の時間も導入された。

いささかセンセーショナルな形で言い広められたことには、

風評被害だと思うが―

円周率は3と教えられている、というものもあった。

 

私の通っていた学校では、幼稚園から週5日制だったのが、

それを機に週6日に変更された。

そうでなくても、私たちの生まれ年(1987-88)で変更されたのは、中学3年生から。

多少、カリキュラムから落ちた部分はあっても、人格形成にかかわるような部分で、

大きな影響があるとも思えない。

そもそも、学校でやったことを覚えている人がどれほどいるというのだろう。

…学校でやったことを覚えているだけで物知り扱いされる、という逆説的な体験を多くしてきたものだ。

ついでに言えば、就職の時期はリーマンショックの直後だった。

 

いささか愚痴のようになってきたが、

世代論にピンときていない、ということはお分かりいただけただろう。

 

そんな私たちの世代に(正確に言えば私たちの世代の女性に)新たなレッテルが貼られることとなった。

セーラームーン世代」*1である。

 

セーラームーン世代の社会論

セーラームーン世代の社会論

 

 (ちなみに、本の中には「のび太世代」なる言葉が、彼女らの少し上の世代の男子を指す言葉として出てくるが、「のび太」なんて言ったら世代論もクソもないと思うのだが)

 

本書では、1982-93年生まれごろの女子を「セーラームーン女子」と定義する。

彼女らの幼少期の体験、すなわち「セーラームーン」の視聴が彼女らに大きな影響を与えたとするのだ。そして、セーラームーンという作品の分析を通じて、この世代の特徴を描き出そうとする。

と、書けばなんだか深遠な分析がなされているように思えるが、一読した限りでは表層的な印象批評と居酒屋談義を組み合わせたようなものに見える。

例えば、「インターバル セーラームーン世代のアンセムとしてのエンディング曲」の章では、エンディング曲をセーラームーン世代のアンセムとして、その内容から世代の特徴を読み解こうとするが、自らの世代論にあった歌詞(実際に流行ったものではあるのだろうが)を解説する一方で、それにそぐわないものについては「特筆すべきでない曲もある」と切り捨てる。

これは、こういう風に読めるし、だからこの世代はこういう世代なのだ。

そういう「分析」が散りばめられるが、「なぜそのように読まれなければならないのか」という点で論証にかけるように思われた。

 

極めつけには

そういった性の目覚めにつながるスイッチのようなものが『セーラームーン』に仕込まれていたのだとしたら、なかなかに興味深いし、ぜひそうであってほしいと、個人的には思う。

と個人的な願望を語って見せたりもする。

 

しかし、本書で最も批判されるべきことは、

論証の不足でもなければ、願望による論点の先取でもない。

「世代」なる枠組みを用いて、「個性(特徴)」を語ろうとすることそのものなのではないだろうか。

「セックスはつねにすでにジェンダーである」などという言葉を持ち出すまでもなく、

個の振れ幅はつねに枠組みよりも大きいはずだ。

 

セーラームーン」が大ヒットしたアニメであることは間違いないし、

なるほど、影響を受けた人も多くいるかもしれない。

確かに、世代の空気をなにものかで語るときに心地よいフックになるのかもしれない。

しかし、彼のいう「セーラームーン世代」が旧き桎梏から抜け出そうとするとき、

この議論は、また新たなる監獄を作り出してしまうものではないのか。

そんなことを思うとき、表紙の色が脳裏に浮かんで消えた。

*1:知らない人がいるかどうかはわからないが、知らない方はこちらを参照。ようするに、大変人気をはくした少女向けの戦隊(?)アニメである。美少女戦士セーラームーン - Wikipedia

三浦九段の出場停止と連盟の電子機器取扱いに関する経緯

本日(12日)、日本将棋連盟から驚きの発表が行われました。

第29期竜王戦七番勝負挑戦者の変更について|将棋ニュース|日本将棋連盟

丸山忠久九段との挑戦者決定戦を制し、

第29期竜王戦に出場が決まっていた三浦弘行九段が出場しないこととなり、

更に今年いっぱいの出場停止処分が課せられるというのです。

 

また、その後の報道*1で、

夏ごろから三浦九段の離席が多く、対局中にスマートフォン等を使って不正(具体的にはコンピュータ将棋ソフトの使用のことと思われる)を行っているのではないか、との声が上がった。

11日に三浦九段に聞き取りを行ったが、満足な説明が行われず、

休場の意向を示したが、期日とされた本日(12日)までに届け出が行われなかったため、今回の処分に至った、

ということがわかりました。

また、一部の棋士Twitterによれば、一致率*2の高さが噂となっていたとも読めます*3

三浦九段は、「ぬれぎぬ」であるとしています。

 

近年、コンピュータ将棋ソフトの進歩は目覚ましく、

スマートフォン上で動かしても相当の強さがある*4と考えられるほか、スマホ経由のリモートで自宅PCを動かす等の方法でより精度の高い情報を得うることから、

対応が検討されていました。

 

時系列で整理すると以下のようになります。

 

夏ごろ:離席が多い等の指摘?

8月:電子機器持ち込みに関する意見伺いが始まる?*5

9月8日:竜王戦挑戦者決定

9月26日:持ち込み規制の方向で棋士の意見を聞く。反対意見もあり。この時点では規制は11月に発表の予定。*6

10月5日:持ち込み、外出の禁止を12月から施行することを発表。竜王戦では金属探知機を使用することに両者合意と報道*7

10月11日:三浦九段から聞き取り

10月12日:処分公表

 

 いかにも対応がちぐはぐで、拙速であるように感じます。

三浦九段が否定しているにもかかわらず、

状況証拠のみでグレーな裁定を下すことは、ご本人の不利益はもちろん、

今後の棋界にとって様々な意味で禍根を残すものとなるでしょう。

仮に(本当に万が一)なんらかの証拠があるが、隠している場合であっても、

処分のみを公表することは、不信を生むだけであって、

竜王戦だけでもすんなり終わらせた方が合理的であるように思います。

聞き取りのタイミングももう少し前のタイミングにはならなかったのか。

悪しき前例を作り、すべての棋士に疑いの目を向けさせ、

タイトル戦というハレの舞台を戦う棋士を万全の状態から遠ざける。

どうにも、ココセの悪手を指し続けているような気がします。

 

三浦九段が不正を働いたとは思いません。*8

一方で、広い意味で電子機器にどう対応するのか、という問題はあるのでしょう。

将棋連盟が棋界とファンのため、賢明な判断を下されることを望みます。

焦がれるものは

「野球わかるんか?って言われたら、当然のごとくカープの話が始まるんですね!」

広島に赴任した後輩が、驚きを語ってくれた。

プロ野球にもチームはいろいろあるし、大リーグや高校野球もある。

それでも広島で「野球」といえばカープのことだ。

なんの前置きもなく、今日の試合での若手のエラーの話が始まり、それを肴に杯を傾ける。

 

祖父も例にもれず、カープファンだった。

いや、以前に優勝した際には、会社で胴上げされたといっていたから、

その中でも、とりわけ熱烈なファンだった、ということなのかもしれない。

毎晩、ウイスキーを片手に、カープの試合を見て、

誰に見せるわけでもない、記録を取り続ける。

つまらないミスや気力のない試合などしようものなら、

「ハー!解散せぇ、解散じゃ」と罵倒する。

それを、毎日、毎日繰り返す。

健やかなる日も、病める日も。

富める日も、貧しき日も。

 

年齢的なものなのか、カープが負け続けているからなのか、

元気をなくしていた祖父のため、友人に無理を言って譲ってもらった

サインバットは、当時のスター・緒方選手のものだった。

 

その緒方選手もとうに引退して、監督になって。

黒田選手や新井選手は一度出て行って、戻ってきた。

球場もボールパークへと建て替わった。

10年も前に亡くなった祖父が知っているチームとは、

ずいぶんとメンバーがかわってしまったけれど、

生きていたら、間違いなく、その瞬間を見届け、喜びを爆発させていただろう。

東京ドームで、本通りで喜びを爆発させていたファンの姿に、

「解散せい」と言いながら、チームを愛し続けた祖父の姿を重ねてしまった。

 

広島中がコイ焦がれたチームに、待ち焦がれた瞬間が訪れたことを

心からお祝いしたい。

 

 

そして、CSには我がチームも出ることを、

そしてよい勝負をすることを祈っています。