読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

ドイツ:ソーシャルメディアに対する法執行の強化(2017/4/19一部更新)

ドイツで、フェイクニュースを取り締まる法案が提出されるのではないか、ということで、大変大きなニュースになっております。

ドイツ うそのニュースに最大約60億円罰金の法案 | NHKニュース

 

読んでみますと、もちろんフェイクニュースを射程に入れたものではあるようなのですが、法律自体はSNS上の法執行の強化、ということを前面に押し出しているようです。

BMJV | Artikel | Verbesserung der Rechtsdurchsetzung in sozialen Netzwerken

少し時間もありましたので、試訳を行ってみました。

(訳のクオリティが低いので訂正していただけるとありがたいです。なお、このほかにテレメディア法の改正と施行期日に関する規定があります)

 

 簡単にまとめれば、報道の通り、ドイツ国内において一定以上の規模を有するソーシャルネットワーク事業者に対し、違法情報に対する苦情処理手続を定めさせるものです。 

 苦情処理規定には、明らかに違法な情報を24時間以内に、それ以外のものでも7日以内に削除又はブロッキングする手続を含むものとされています。また、違法な情報はコピーも含めて措置されるものとされています。

 そのほか、苦情処理に関する報告書の作成の義務や国内に一定の代理人を置く旨も規定されており、これら手続の導入義務、報告義務等の規定に反した場合には最大500万ユーロ(60億円)の過料が科せられるものとなっています。

そういうわけですので、フェイクニュースが新たに犯罪になる、というわけではなく、その流通を効果的に防止するために新たに負のインセンティブなどを設けたものだとおもいます。

 

日本のプロバイダ責任制限法との関係でいうと、この法案は、特定の刑法典上の犯罪に対象が限定されていること、そしてもちろん、新たなサンクションが導入されている点が大きな違いといえます。また、国内で対応が可能であるように代理人を置かせたり、対応する人員については語学的な研修・サポートを行わせるなど、グローバルなプレーヤーへの対応、という観点も強く感じたところです(しかし、こういうことするとドイツからのアクセスは遮断(撤退)、とかならないのかと少し疑問に思ったり)。

ドイツにも、プロバイダ責任制限法と同じような意味でテレメディア法というのがありますが、運用上、プロバイダ側に厳しそうなことも多い印象でした*1表現の自由の考え方として「国家による自由」の考え方が比較的強い、ということとも関係しているのでしょうか(あといつもながらにジャーナリズムの特別感)。

 

なお、管見の限りでも、プロバイダ等に対し、何らかの責務を負わせ、これを履行しない場合に罰金等を科す例にニュージーランドの有害デジタル通信法があると思いますが、これは裁判所等の外部の機関の命令を実施しなかった場合の措置であるのに対し、本法案では、自主的な手続が実行されないということ自体に対して過料を科すことができるようにも見えます*2。(この点につき、当初法案では、そのように読めていたところ、法案説明資料中で24時間ないし7日以内の削除等の義務に一度違反したからといって、その構成要件を満たすものではないとされたようです。*3

以上は素人考えであてにならないので、どなたか教えていただけると幸いです。

いずれにしても今後の動向が注目されるところです。

 

--以下訳--

ソーシャルネットワークにおける法執行の改善に関する法律(ネットワーク法執行法)

第1条 範囲
(1)この法律は、利用者が、任意の内容を、他の利用者と交換し、共有し、又は一般に公開することを可能にするインターネット上の営利のプラットフォーム(ソーシャルネットワーク)を有するテレメディアサービス提供者に適用する。サービス提供者自らが責任を負う、ジャーナリズム編集を経て形成された提供物のプラットフォームは、この法律の意味でのソーシャルネットワークとしてみなされない。


(2)ソーシャルネットワークの提供者は、当該ソーシャルネットワークの国内における利用者が2万人を下回る場合には、第2条から第3条までに規定する義務を免除される。

(3)第1項の意味での、違法な情報とは、刑法第86条、第86a条, 第89a条, 第90条, 第90a条, 第90b条, 第91条, 第100a条, 第111条, 第126条, 第129条から 第129b条まで, 第130条, 第131条, 第140条, 第166条, 第184b条, 第184d条, 第185条から第187条まで, 第241条又は第269条の構成要件を満たすものをいう。*4


第2条 報告義務
(1)ソーシャルネットワーク提供者は、そのプラットフォーム上の違法コンテンツに係る苦情の処理に関するドイツ語の報告書で、第2項に規定する内容を含むものを四半期に一度作成し、連邦官報並びに自身のウェブサイト上で、1四半期の終了から少なくとも1月の間公開しなければならない。自身のウェブサイト上で公開された報告書は、容易に見つけられ、直接アクセス可能で、かつ常に利用可能でなければならない。

(2)報告書は少なくとも以下の事項を含まなければならない。
1.ソーシャルネットワークの提供者が、プラットフォーム上における犯罪行為の防止のために行っている各取組の詳述
2.違法情報に係る苦情の送信のメカニズム及び違法情報の削除及びブロッキングのための判断基準の説明
3.報告期間中に受信した違法上に関する苦情の数(苦情相談所*5の苦情、ユーザーの苦情に従った分類及び苦情理由に従って分類)

4.苦情への対応を所掌するユニットの組織、人材の配置並びに技術的及び言語的能力並びに苦情への対応を所掌する人員への訓練及び補助
5.苦情相談機関がこの業界団体に含まれるか否かに関する説明を含む業界団体への加盟状況
6.判断の準備のために外部機関に相談された苦情の数
7.報告期間中に当該情報の削除又はブロッキングに至った苦情の数(苦情相談所及び利用者の苦情並びに苦情理由によって分類されたもの)
8.ソーシャルネットワークにおける苦情の受領から違法情報の削除又ブロッキングまでの時間(苦情相談所及び利用者からの苦情、苦情理由、並びに「24時間以内/48時間以内/1週間以内/それ以上」の期間に従って分類されたもの)
9.申立人並びに当該情報の利用者に対する苦情に関する判断についての通知の措置

 

第3条 違法なコンテンツにかかる苦情の処理
ソーシャルネットワークの提供者は、違法情報に係る苦情の処理について、第2項及び第3項に規定する効果的かつ透明性のある手続きを有さなければならない。提供者は、利用者に対し、違法情報に対する処分に係る苦情を送信するための、容易に区別でき、直接にアクセス可能で、常に利用可能な手続を提供しなければならない。

(2)手続において、ソーシャルネットワークの提供者は以下を保証しなければならない。
1.遅滞なく苦情を承知したことを表明し、情報の違法性及び当該情報が削除又はブロッキングされるべきであるか否かを審査すること。
2.明らかに違法な情報を、苦情を受けてから24時間以内に削除する、又は当該情報へのアクセスをブロックすること(ソーシャルネットワークが所管の法執行機関と明らかに違法な情報の削除又はブロッキングについてより長い時間をとることで合意している場合には適用しない)。
3.各違法情報を、苦情の通知を受けてから7日以内に削除し、又は当該情報へのアクセスをブロックすること。
4.削除の場合には、当該情報を証拠のために確保し、この目的のため、10週の間、国内で保存すること。
5.申立人及び利用者に遅滞なく決定について知らせ、及びその決定に対する理由を挙げること。

更に、プラットフォーム上にある違法情報の全ての複製を遅滞なく削除し又はブロッキングすること。

(3)手続は、各苦情及びこの救済のために採られた国内における措置を文書化することを保証しなければならない。

(4)苦情に係る処理は、ソーシャルネットワークの経営陣によって、毎月の検査を通じて、監督されなければならない。寄せられた苦情の処理において、組織的に不十分であることについては遅滞なく取り除かれなければならない。苦情に対応することを任された人員には、ソーシャルネットワークの経営陣によって、定期的に、少なくとも半年に一度、ドイツ語の語学研修及びサポートサービスが提供されなければならない。

(5)第1項の手続は、第4条で指定する行政官庁によって、認可を得た機関によって監視されることができる。


第4条 過料に関する規定
(1)故意又は過失により以下の行為を行った者は秩序違反として扱われる。
1.第2条第1項第1文に反して、報告を行わず、正確性を欠き、不完全なものであるか又は期限を遵守せずに行う若しくは、正確性を欠き、不完全なものであり、所定の方法ではなく又は期限を遵守せずに公開した者。
2.第3条第1項第1文に反し、国内に居住するか又は本部を置く苦情相談所又は利用者の苦情の処理に係るそこで指定された手続を有さず、又は正確性を欠く若しくは完全でない方法でしか有していない者。
3.第3条第1項第2文に反し、そこで指定された手続きを提供していないか又は正しい方法で提供していない者。
4.第3条第4項第1文に反し、苦情の処理を監督しない又は正しく監督していない者。
5.第3条第4項第2文に反し、組織的な不十分さが改善しない又は期限を遵守して改善しない者。
6.第3条第4項第3文に反し、訓練又はサポートを提供しない又は期限を遵守して提供しない者。
7.第5条に反し、国内登録代理人又は国内受領資格者を指名しない又は期限を遵守して指名しない者。


(2)秩序違反は、第1項第7号の場合には50万ユーロ以下の過料、第1項の他の場合には500万ユーロ以下の過料を科すことができる。秩序違反法第30条第2項第3文が適用されなければならない。*6

(3)秩序違反は、国内で行われない場合においても適用され得るものとする。

(4)秩序違反法第36条第1項第1号の意味での行政官庁は連邦司法省である。連邦私法消費者保護省は、過料手続の開始に際し及び過料額の決定に際し、連邦内務省、連邦経済及びエネルギー省及び連邦交通及びデジタルインフラ省との合意を得て、過料当局の裁量の行使に関する一般的な管理原則を公布するものとする。

(5)行政官庁が、削除されていない又はブロッキングされていない情報が第1条第3項の意味で違法であると判断しようとする場合には、行政官庁はあらかじめ、違法性について、司法上の決定を得なければならない。過料の決定に対する意義に関する決定を行う裁判所は、権限を有する。先決的判決の申請は、ソーシャルネットワークの意見と併せて裁判所に送付されなければならない。申請に対しては、口頭の審理無しに決定を行うことができる。決定は、最終的なものであり、行政官庁を拘束する。

 

第5条 国内送達代理人
ソーシャルネットワークの提供者は、この法律に基づく過料の手続における行政官庁、検察庁及び所管の裁判所並びに民事訴訟手続における所管の裁判所に対する送達のため、国内送達代理人を遅滞なく選任しなければならない。国内法執行機関の情報照会のため、国内受領代理人を選任しなければならない。

 

第6条 経過規定

(1)第2条に規定する報告は、この法律の施行から第二四半期後を第一期とする。
(2)第3条に規定する手続きは、この法律の施行から3月以内に導入されなければならない。

 

*1:ドイツにおけるプロバイダ責任法理の展開 : 危険源の設置者か、有益な表現の場の創出者か : HUSCAP

*2:ニュージーランドの有害デジタル通信法 ―オンライン上の有害なコンテンツに関する包括的規制―」<http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10016376_po_02680006.pdf?contentNo=1&alternativeNo=>

*3:Heiko Maas: Facebook kann sich entspannen | ZEIT ONLINE

*4:例えば、違憲団体(ナチスとか)の宣伝、侮辱、名誉毀損、犯罪への扇動など

*5:Beschwerdestellen

Internet-Beschwerdestellen - klicksafe.de などを見ると日本でいうインターネットホットラインセンターなどが該当しそう

*6:秩序違反法の当該条文は法人の場合について規定しており、過料上限の10倍を上限とする旨、すなわちこの場合では、法人については上限が5000万ユーロとなる

リズムは続くよどこまでも #GrooveMerchant

新宿の雑踏のなかそびえるビルのホール。

100余りの客席は、満席。

スネアの音が徐々に大きくなり、いきなりのドラムソロ。

Freddie HubbardOn the Que-Teeだ。

細かくリズムを刻むドラムに、ベースとピアノのリズムセクション

その上に、優美なトランペットにサックス。

初めてのアルバムに入れられたスタンダードナンバーに、

メンバーのオリジナルなども演奏されて、その日の2時間はあっという間に過ぎた。

 

ライブが始まる直前、知人の訃報を聞いて混乱していた私を、

彼らのGroove*1が運んで行ってくれた。

「リズムなしには音楽は生まれないという事実は、運動、秩序、均衡などという言葉を超えて、リズムがより根源的な、生命と直接かかわりをもつ力であることを感じさせる」(芥川也寸志『音楽の基礎』岩波書店, 1971)というが、そのリズムがその日以降の私の生命そのものだった。

 

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その日は、アルバムリリース*2を記念した日本ツアーの初日だった。

グループ名はGroove Merchant。

ピアノ、ドラム、ベースに、サックスとトランペットの5人編成。

トランペットのAaron Bahr氏を除けば、日本人*3

いずれも、ニューヨークで活動している。

飛行機に乗ってわざわざ日本までやってきて、車に荷物を詰め込んで、日本各地をまわるのだという。

事実上のリーダー、権上康志氏が語るように、今の時代、ジャズバンド5人で、

ツアーを回るというのは、金銭的にも体力的にも簡単なことではないのだろう。

 

 

それでも、その価値はあった。

何故そう言い切れるかといえば、2週間のツアーを終えた最終日、渋谷会場のライブにも顔を出したからだ。

こちらも7,80ほどの客席が満員。

多少の疲れやかたさを感じる場面がないではなかったのだけど、

音楽は「熟成」されていた。

 

 

細かく分割された、豊かで厚いフレーズを奏でるドラム(小田桐氏)*4。陰に陽に縦横無尽。

パワフルなドラムとの掛け合いを見せたかと思えば、優美なボウイングも見せるベース。権上さんはしゃべりもおもしろかった。

そんな二人と楽しそうに絡んでいた?ピアノの末永氏。オリジナル、You may know.は、遠い異国の地からの郷愁を感じさせた。

前のお二人は、演奏もさることながら、オリジナルの曲がかっこよかった。

Bahr氏の美しい、優雅な曲。他方、三富氏の曲は異文化との出会い、「不可思議さ」が前面に表現されたものだったように思う。

どのメンバーのオリジナル曲も、日本的な旋律を取り入れたり、異文化との出会いを描いたり、していた点が印象に残った。

ほどなく、彼らはNYに戻って活動を続ける。

ジャズミュージシャンにとって、セッションも、バンド活動も両輪のように大切(権上氏)だそうだが、今回のツアーで音楽ができていく過程が経験できたし、課題も見えた。これをファーストインプレッションから発揮できるようにしていきたい(小田桐氏)、という言葉は力強かった。

「生きていくだけでも大変な街」NYでのさらなる活躍を期待したい。

 

グルーヴ・マーチャント(GROOVE MERCHANT)

グルーヴ・マーチャント(GROOVE MERCHANT)

 

 

 

*1:人によってニュアンスが違うみたいだけど、”The “lock” between members of a rhythm section playing well together.”(Mark Levine, The Jazz Theory, 2011.ところで、Merchantって「商人」みたいな意味だと思ってたら「~狂」みたいな意味もあるのね。)と定義するものがあった。

*2:アルバムは後掲。スタンダードナンバーをがっつり。楽しい曲も、しっとりした曲も。

*3:Bahr氏はイケメン。御両親二人ともに日本人の親御さんがいるらしい

*4:師匠?そのラルフ・ピーターソンに似てると言っている人もいた

靴ひもを通してもらったはなし

僕の革靴はボロボロだ。

つま先は傷つき、見事な餃子型になっている。

ビジネスマンは足元から、という人からみれば、

ビジネスマンの足元にも置けないということになるだろう。

いいのだ。ボロボロに擦り切れるまで精一杯。そんな美学もある。

 

それでも、靴ひもが切れては歩けない。

これまでも何度か替えてきたが、経験上、そろそろ切れる。

そう思ったある日、僕は靴屋に向かった。

 

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真新しい靴が並ぶその空間は、なんとなく踏み入れることを躊躇させる。

何とか分け入っていくと、靴ひもをみつけた。

隣には、靴の修理と靴磨きのコーナー。

清潔感のある若いお兄さんが、靴の手入れをしている。

何か言われるんじゃないかと内心びくびくしながら、

ひもを見比べる。

丸ひもか、平ひもか、長さも、いろいろあるぞ。

清水の舞台から飛び降りるつもりで、200円の丸ひもに。

お兄さんに手渡す。

 

「よろしければ、お通ししましょうか」

明るく、優しい声だ。

このボロ靴に、200円のひもなんですけど、いいんでしょうか、

そう思いながらソファーに腰かけ、靴を渡す。

「もしかすると、こちらの300円のひものほうが合うかもしれません。

100円お高くなってしまうのですが…」

そうですか。同じひもに見えますが、でもそうなんでしょうね。

お願いします。

 

お兄さんは、ボロ靴から、丁寧に、

そんな靴をも、いつくしむように丁寧に、ひもを外し、

新しいひもを通してくれた。

そして、僕の渡した500円玉をもって、奥のレジまで走っていった。

申し訳ないことしちゃったな、と思いながらも、

僕はまたこの店に来る時のことを考えていた。

 

明日からまたこの靴を履いて、

丁寧にひもを通そう。

丁寧に精一杯。それだけでもいいのだ。

「水餃子」は「レトロニム」か(追記)

 レトロニム(retronym)あるいは再命名とは、ある言葉の意味が時代とともに拡張された、あるいは変化した場合に、古い意味の範囲を特定的に表すために後から考案された言葉のことを指す

レトロニム - Wikipedia

 

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Photo credit: mmmyoso via Visualhunt.com / CC BY-NC-ND

 

少し前に、Twitterで「レトロニム」が話題となった。

その時、ふと「水餃子はどうだろうか」という疑問が浮かんだ。

中国では「餃子」といえば、普通は水餃子のこと。

焼き餃子は余った水餃子のタネを焼いて食べたもの。

そんな話を聞いたことがあったからだ。

「餃子」といえば、水餃子を指す時代があったとすれば、

「水餃子」という言葉は後からできたものでも不思議ではない。

 

調べ初めて見ると、意外と奥が深い。

結論から言えば、レトロニムかどうかという問題設定が誤りだった。

 

餃子が一般的に普及したのは、戦後。

田中氏は、戦後2-3年で餃子が広まった理由として大陸への郷愁をあげる*1

ここで、松崎修氏は、「引揚者が餃子をギョウザとして広めたのではないかと思います(ただし水餃子だったのですが)」と当時の「餃子」が「水餃子」であったことを示唆している*2

戦中、満州の食事情を紹介した書籍の中で、「餃子」が「麺類(粉の類)」として紹介されていることは、かえって、日本ではこれが一般的でなかったことを示すものといえるかもしれない*3

同書では、餃子を

(1)水餃子(茹でた豚饅頭)

(2)蒸餃子(蒸した餃子)

(3)焼餃子(鍋烙。焼いた餃子)

と分類しており、「餃子」の語が水餃子に限定されたものではないものの、主として「水餃子」を指していたことがうかがえる。

 

と、このように、ある時代を区切れば、餃子といえば「水餃子」を想起していた時代があり、その意味で、「水餃子」という言葉をあえて使うようになったのは、後からだ、と主張することもできるかもしれない。

 

もう少しさかのぼってみよう。

 

田中清一氏によれば*4、日本における「餃子」の初出は、江戸時代の『卓子調烹法』(1778年前後)である*5

続いて、1784年の『卓子式』、『清俗紀聞』(1799年)にも記述があるという。

前者に紹介される餃子は「ごま油」を使って調理するもののようで、実際に作られた人もいる*6

清俗紀聞に紹介される餃子には絵がついているが、読みは「カウツイン」、形もより饅頭に近い(上部をすぼめる形状)。これは、蒸し上げるという調理法とのことであり、餃子の調理法は様々であったようだ。

 

江戸時代の調理法は割れており、「餃子」という言葉がどちらを指示していたかということにここでは、結論を出すことはできない。

 

では、中国ではどうだろうか。

「餃子」といえば、水餃子を指すのだろうか、指してきたのだろうか。

 

まずは現代。Wikipedia先生。

饺子 - 维基百科,自由的百科全书

中国語が読めるわけではないが、「水餃」の言葉が見て取れる。

また、焼き餃子や蒸し餃子も並列されて書かれているようだ。

少なくとも、現代においては、水餃」という言葉が使われており、

当然ながら、日本独自の言葉というわけではないようだ。

 

餃子の起源をさかのぼってみると、似た料理は古くからある*7ものの、名称が成立した時期は必ずしも定かでない。

 

清・明の時代に発祥したという説もあるし、三国時代書物にある『餛飩餃(ホントンコウ)』が初出だともいう。唐代には餛飩・湯中牢丸という水餃子様のものが現われ、宋代に揚げたり、蒸したりという料理法が出てくるとともに「角子(チャオズ)」という呼称が使われるようになったという。*8

とすれば、小麦の皮で具を包んで何らかの調理をした食べ物を総称するものとして「餃子」(という言葉)が生まれたとも考えられる。

 

このように、「餃子」をさらにさかのぼっていけば、ひょっとすると、むしろ「餃子」という言葉自体が、「餛飩」と何らかの区別をするために生まれた(ある意味での再発明)という可能性だってある。

 

私の問題設定の誤りは「どのような調理法が正統(オーソドックス)だと考えられているか」という問いと「ある料理名が何を指示するか」という問題を混同したことにある。

「汁あり担々麺」がレトロニムだといわれるのは、「汁あり」がオーソドックスだからではなく、元々ある社会において「担々麺」と呼ばれるものが一意に決まっていた(中国では汁なし、日本ではスープのあるもの)からなのだろう。

それに対して調理法が変化することは、ある意味で当たり前のことであり、ある料理名が指示するものが時代や地域(お好み焼き)によって異なるのも当たり前のことなのだろう。

 

 ※追記:書いた後に、古い新聞を見てみると、1940年代の読売新聞にすでに「餃子」のレシピとして「焼き餃子」が掲載されているものがあり、50年代(朝日新聞の記事)には「焼き餃子が一般的」のような記述があることがわかった。というわけで、餃子といえば水餃子、というのは、少なくとも日本ではあったとしても非常に短いということかもしれない。

*1:田中清一『一衣帯水 中国料理伝来史』柴田書店, 1987, pp.222-226

*2:松崎修『食文化雑学 原語から考えるホントの語源』文芸社, 2015, pp.81-86.前段は中国でチャオズと発音されることに関連したもの

*3:佐藤美智子・小原楓『満洲料理法』満洲事情案内所, 康徳9(1942)年。大日本料理研究会編『支那料理辞典 上下』料理の友社, 1939には記述なし

*4:田中清一『一衣帯水 中国料理伝来史』柴田書店, 1987, pp.143-160

*5:1697年の『和漢精進料理抄』にも「片食」の名で餃子らしいものが登場しているという。なお、卓子は「しっぽく」。卓を囲んで食べる料理は江戸にも進出したという

*6:@nifty:デイリーポータルZ:江戸時代の餃子を復活させろ!

*7:1959年に新疆ウイグル自治区の唐代の遺跡から餃子のミイラ(化石)が出土している。

*8:岡田哲「ギョーザ」『たべもの起源時点 世界編』筑摩書房, 2014, pp.146-147.

「この世界の片隅に」生きるということ

この世界の片隅に」見てきた。

こうの史代原作、片渕須直監督・脚本。

声の主演はのん(能年玲奈)。

 

感想をTweetすることができなかった。

付け加えるべき言葉が見つからなかった。

 

舞台は戦前から終戦に至るまでの広島、呉。

 

主人公の北條すずは、普通の人、だ。

少しぼーっとしたところがあって、絵が好きで。

身近にいるあの人みたい、そう感じさせるような人物。

 

ときにコミカルさをもって、ときに切なさをもって、

描き出される主人公、そしてその反省は、魅力に満ちている。

「戦争」に関する映画、という言葉から想起されるような

暗闇に塗りつぶされたものではない。

今を生きる私たちとも共通する普遍的な感情を共有する

等身大の人物であればこそ、彼女や彼女の

家族たちに自らやその家族を重ねあわせる。

それはきっとそこにあった生を「理解する」という営みであった気がする。

 

私の祖母は、あの大きく立ち上った雲の下にいた。

女学生だった祖母も動員される中で、あの瞬間は訪れた。

ガラスの破片がたくさん刺さった。

町に出れば、皮がむけた人々が、「幽霊のように」手を前にたらして、

さまよっていたという。

少し、前に出ていたら、少し時間がずれていたら。

祖母も、そして今の私も選び取られなかった現在となっていたことだろう。

 

彼女の目を通してみた、美しく、残酷な世界。湧き上がる感情。

そして「この世界の片隅に」、「普通のひと」として生きることの意味。

言葉は思いに足りない。

生態の監獄―『セーラームーン世代の社会論』を読んで

ゆとり世代」と呼ばれてきた。

2002年に学習指導要領が改定されたことがその遠因になっている。

週休2日制が完全施行され、絶対評価に。総合の時間も導入された。

いささかセンセーショナルな形で言い広められたことには、

風評被害だと思うが―

円周率は3と教えられている、というものもあった。

 

私の通っていた学校では、幼稚園から週5日制だったのが、

それを機に週6日に変更された。

そうでなくても、私たちの生まれ年(1987-88)で変更されたのは、中学3年生から。

多少、カリキュラムから落ちた部分はあっても、人格形成にかかわるような部分で、

大きな影響があるとも思えない。

そもそも、学校でやったことを覚えている人がどれほどいるというのだろう。

…学校でやったことを覚えているだけで物知り扱いされる、という逆説的な体験を多くしてきたものだ。

ついでに言えば、就職の時期はリーマンショックの直後だった。

 

いささか愚痴のようになってきたが、

世代論にピンときていない、ということはお分かりいただけただろう。

 

そんな私たちの世代に(正確に言えば私たちの世代の女性に)新たなレッテルが貼られることとなった。

セーラームーン世代」*1である。

 

セーラームーン世代の社会論

セーラームーン世代の社会論

 

 (ちなみに、本の中には「のび太世代」なる言葉が、彼女らの少し上の世代の男子を指す言葉として出てくるが、「のび太」なんて言ったら世代論もクソもないと思うのだが)

 

本書では、1982-93年生まれごろの女子を「セーラームーン女子」と定義する。

彼女らの幼少期の体験、すなわち「セーラームーン」の視聴が彼女らに大きな影響を与えたとするのだ。そして、セーラームーンという作品の分析を通じて、この世代の特徴を描き出そうとする。

と、書けばなんだか深遠な分析がなされているように思えるが、一読した限りでは表層的な印象批評と居酒屋談義を組み合わせたようなものに見える。

例えば、「インターバル セーラームーン世代のアンセムとしてのエンディング曲」の章では、エンディング曲をセーラームーン世代のアンセムとして、その内容から世代の特徴を読み解こうとするが、自らの世代論にあった歌詞(実際に流行ったものではあるのだろうが)を解説する一方で、それにそぐわないものについては「特筆すべきでない曲もある」と切り捨てる。

これは、こういう風に読めるし、だからこの世代はこういう世代なのだ。

そういう「分析」が散りばめられるが、「なぜそのように読まれなければならないのか」という点で論証にかけるように思われた。

 

極めつけには

そういった性の目覚めにつながるスイッチのようなものが『セーラームーン』に仕込まれていたのだとしたら、なかなかに興味深いし、ぜひそうであってほしいと、個人的には思う。

と個人的な願望を語って見せたりもする。

 

しかし、本書で最も批判されるべきことは、

論証の不足でもなければ、願望による論点の先取でもない。

「世代」なる枠組みを用いて、「個性(特徴)」を語ろうとすることそのものなのではないだろうか。

「セックスはつねにすでにジェンダーである」などという言葉を持ち出すまでもなく、

個の振れ幅はつねに枠組みよりも大きいはずだ。

 

セーラームーン」が大ヒットしたアニメであることは間違いないし、

なるほど、影響を受けた人も多くいるかもしれない。

確かに、世代の空気をなにものかで語るときに心地よいフックになるのかもしれない。

しかし、彼のいう「セーラームーン世代」が旧き桎梏から抜け出そうとするとき、

この議論は、また新たなる監獄を作り出してしまうものではないのか。

そんなことを思うとき、表紙の色が脳裏に浮かんで消えた。

*1:知らない人がいるかどうかはわからないが、知らない方はこちらを参照。ようするに、大変人気をはくした少女向けの戦隊(?)アニメである。美少女戦士セーラームーン - Wikipedia

三浦九段の出場停止と連盟の電子機器取扱いに関する経緯

本日(12日)、日本将棋連盟から驚きの発表が行われました。

第29期竜王戦七番勝負挑戦者の変更について|将棋ニュース|日本将棋連盟

丸山忠久九段との挑戦者決定戦を制し、

第29期竜王戦に出場が決まっていた三浦弘行九段が出場しないこととなり、

更に今年いっぱいの出場停止処分が課せられるというのです。

 

また、その後の報道*1で、

夏ごろから三浦九段の離席が多く、対局中にスマートフォン等を使って不正(具体的にはコンピュータ将棋ソフトの使用のことと思われる)を行っているのではないか、との声が上がった。

11日に三浦九段に聞き取りを行ったが、満足な説明が行われず、

休場の意向を示したが、期日とされた本日(12日)までに届け出が行われなかったため、今回の処分に至った、

ということがわかりました。

また、一部の棋士Twitterによれば、一致率*2の高さが噂となっていたとも読めます*3

三浦九段は、「ぬれぎぬ」であるとしています。

 

近年、コンピュータ将棋ソフトの進歩は目覚ましく、

スマートフォン上で動かしても相当の強さがある*4と考えられるほか、スマホ経由のリモートで自宅PCを動かす等の方法でより精度の高い情報を得うることから、

対応が検討されていました。

 

時系列で整理すると以下のようになります。

 

夏ごろ:離席が多い等の指摘?

8月:電子機器持ち込みに関する意見伺いが始まる?*5

9月8日:竜王戦挑戦者決定

9月26日:持ち込み規制の方向で棋士の意見を聞く。反対意見もあり。この時点では規制は11月に発表の予定。*6

10月5日:持ち込み、外出の禁止を12月から施行することを発表。竜王戦では金属探知機を使用することに両者合意と報道*7

10月11日:三浦九段から聞き取り

10月12日:処分公表

 

 いかにも対応がちぐはぐで、拙速であるように感じます。

三浦九段が否定しているにもかかわらず、

状況証拠のみでグレーな裁定を下すことは、ご本人の不利益はもちろん、

今後の棋界にとって様々な意味で禍根を残すものとなるでしょう。

仮に(本当に万が一)なんらかの証拠があるが、隠している場合であっても、

処分のみを公表することは、不信を生むだけであって、

竜王戦だけでもすんなり終わらせた方が合理的であるように思います。

聞き取りのタイミングももう少し前のタイミングにはならなかったのか。

悪しき前例を作り、すべての棋士に疑いの目を向けさせ、

タイトル戦というハレの舞台を戦う棋士を万全の状態から遠ざける。

どうにも、ココセの悪手を指し続けているような気がします。

 

三浦九段が不正を働いたとは思いません。*8

一方で、広い意味で電子機器にどう対応するのか、という問題はあるのでしょう。

将棋連盟が棋界とファンのため、賢明な判断を下されることを望みます。