平和
うちの爺さんは戦争が終わった後モンゴルのほうに抑留されていました。
中国の満州のほうで兵役についていたわけですが、8月の頭にソ連軍が侵攻してきて連れて行かれちゃったわけです。
本当に寒い地域だったらしく、また、ご飯も一日に1回の黒パン・自分らで取った川魚(あっちの人たちは川魚は食べない)くらいの生活をしていたようです。
陽気な爺さんだったので僕らにはあんまりそういうくらい話はしませんでした。
かなり、大きくなってからしてくれたときも、レンガ造りの作業をやらされて、ノルマがあったんだけど、積み上げるときに空間を空けてごまかしたら怒られた話なんかをして、少しでも空気を和らげようとしていました。
でも、作業に行くとき帰るときに人数を数えると毎回人数が違う、という話も同じようにされるわけです。
楽しく話そうとしている爺さんの姿がかえって痛々しく見えたものです。
うちの婆さんは、被爆者です。
1945年8月6日に広島で被爆しました。
女学生だった婆さんが、作業に借り出されていたときに原爆が落ちてきたそうです。たまたま影にいた婆さんはほんとに偶然にも助かり、70いくつまで生きていたわけです。
そのときの情景を語るとき、彼女は「幽霊」とか「生き地獄」という言葉をよく使いました。死に行く人間たちにまったく未練もなく生きなければならない状況は「この世のものとは思われない」ものだったのだろうと思います。
被爆3世は危ないというので、僕は危ないかもしれませんね。
二人は同時期に死んでいってしまいましたが、
そんなわけで僕は絶対平和主義者です。
カント的とも言っていいほどに理想を追求したいのです。
たとえ、それがかなわぬ理想なのだとしても、それを最初から放棄して方策を練ることはただの怠慢で空虚だと思うのです。
を読みました(親父にすすめられました)
僕は中沢新一を人類学者と呼ぶことに抵抗があります。
それは、茂木健一郎を脳科学者と呼ぶことに抵抗があるのと同じようなものだと思います。
ただ、それが彼の文章にとってマイナスであるわけではないでしょう。
この本は波多野一郎という哲学者が書いた短い文章に
中沢新一が注釈をつけたものです。
その内容は平和とあるいはエコロジーと結び付けられて語られます。
イカの哲学、本文そのものは、戦争経験者が他者の実存に関して考える。極限を知るものにしかできない思考(コンテクストも含めたものが文章ですから)であって、意義深いものだと思います。
しかし、中沢新一の注釈は多少無理があるのではないでしょうか。イカでなければならないわけ。そんなものは必要ない、と僕は思います。というか、あるとしても、それを書くことは、あえての権威付けに肩肘を張っているようでいまいち好きになれません。
戦争に関するとらえ方、共食いではないのか、などにも若干の疑問が残ります。
結局のところ、中沢新一による注釈によって(もちろんこれがあるから世にでているし面白くなった部分もあるかもしれませんが)他者の実存を意識することで(超)平和を築きましょう。というような凡庸な、というか当たり障りのない解釈をされてしまうのではないかと思いました。
平和がいいのかどうか、というのは結局のところ規範の問題なので、説得するしかないのでしょうが。これに説得はされません。