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読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

児ポ法に関して。

児ポ法は「児童ポルノ禁止法」の略。
もっと言えば「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」という法律です。
詳しくは、ぐぐってください。w


最近児童ポルノの「単純所持」禁止についての議論がかまびすしいです。参考:
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080313_child_anime_manga/


3つくらいの点から僕は「単純所持取り締まり」には反対です。
本当だったら段落とかをきっちり分けたほうが格好いいのでしょうが、頭の中をまとめながら書くのでだらだらになります。勘弁してください。


1つ目は単純にテクニカルな問題。
法律を作っている人たちはパソコンの仕組みとかわかっているのでしょうか・・・。
例えばネットサーフィン中、ここをクリック!、ってボタンを押したら、いきなり児童ポルノの画像が出たとしますよね。やべ、っと思ってすぐに閉じる。しかし、次のような罠がまっています。
ネットで開いた画像というのは、次回以降の読み込みの効率化のために、キャッシュと呼ばれる場所に一時保管されます。
そうすると、パソコン内部に「所持」していることになるわけですよね。犯罪者いっちょ上がりです。
もしくは何かのファイルに紛れ込ませておく、ということも考えられますね。犯罪者をいたずらに増やしていくでしょう。


2つ目は、対象が絵なんかも入ってることです。
児童を性的な虐待から救うことが目的であるならば、絵(=被害者となる児童はいない)を範疇に含めることは目的から外れているはずです。いつのまにやらぼくらの自由が制限されていくことに単純な意味で反感を覚えます。どさくさまぎれ、火事場泥棒的な所業であるように思います。

1つ目の理由とあわせて、潜在的な「犯罪者」(悪いことをしているという意味ではなく、法の網に引っかかるという意味で)の数を一気に増やすことになります。
もはや検挙率を上げたい警察の陰謀なんじゃないかと。


最後に、ちょっと哲学的に。「自由の剥奪感の剥奪」について。
児童ポルノのときは言われるかわからないんですが、監視カメラの問題のときにこういう議論がよく出ます。「お前は何を反対しているんだ。やましいことがなければ、大丈夫だろう。さては、犯罪者予備軍だな?」とこういう具合の「詰問」です。
ブログ炎上なんかにみられる「道徳の過剰(過剰な道徳)」(=軽微な犯罪などをこれでもかと叩きまくる。法をバックにつけて、正義を暴走させること)がどうなのか、という議論はまた別の機会にしたいと思うのですが、こうしたぼくの感覚からすれば「へんな正義感」(=権威をかさにきて安心しているかにも見える)にもつながっているような効した「詰問」。
どうなんでしょう?「やましいことがな」ければ、「監視カメラ」をつけられてもいいのか?「児童ポルノに縁などないから」ことさらに自由を制限しているような法律を通してしまっていいのか。「自由の剥奪感の剥奪」は、「排除系オブジェ」など東浩紀さん流に言えば「環境管理型権力」に関連して、KTD先生がいっていたことなんですが、つまり自由を奪われているという感覚を抱かないままに行動を制限されている、ということです。
さっきから話している問題とは関係ないように見えるかもしれませんが、見えないところで刷り込みが行われて、「規範」が形成されて、いつの間にやら法律ができて、またそれが規範を強化していく、ならば、それは自由を奪われていることに自ら身をゆだねていくことなのではないかと思うのです。そうした感覚をなくしていくのって、どうなんでしょうね。


児童ポルノ禁止法自体はいい法律だと思います。
児童が性的な虐待を受けるのはあってはならないことです。
ただ、この改正は単に検挙率を稼ぐための改正に思えるのです。
このまま通してしまっていいのでしょうか・・・。
大切なのは、自由を確保すること。
それは、児童、の自由でもあり、僕らのさまざまな自由でもあると思います。それを単なる数字稼ぎのトリックのために傷つけられてはいけないのではないでしょうか。


幼稚な論ですが、この辺で。