読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

記憶・自己・歴史

最近暇です。
暇で一日中時間があると思うと、かえって何もできません。
明日からはバイト→ガイダンス→飲み会→授業開始、ですが。


今日は大学のガイダンスがあったので外に出ました。
田園都市線がめちゃくちゃにこんでいて、筋トレかっていうようなきつい姿勢を強いられたおかげで腕が軽い筋肉痛ですw


そういう日は、読書ができるものです。

エクサバイト
エクサバイト
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服部 真澄
角川書店
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うちのテーブルの上においてあったので
(といっても、日常的に10冊以上おいてありますがw)
読んでみました。軽い本しか読めませぬな。


近未来SF、と呼んでいいのでしょうか。
軸としている技術はありきたりな発想ともいえます。
人間の見たもの・聞いたものをすべて記録できたら・・・。
東さんのギートステイトに出てくるPSP(でしたっけw)をはじめこうしたアイデアというものは昔からあったのだと思います。


しかし、この物語のそれは、現代の技術の進歩、という現実の変化によって、現実味を増しています。
Gmailの容量が日に日に増していく。それは気持ち悪いことかもしれませんが、HDDが大容量化されさらに安価に小型化されていく現状を示しています。
「人間の見たもの・聞いたもののすべてを記録する」
「人間の想像できる事で、実現不可能なことはない」と誰かが言いましたが、まさにこれは現実の可能性として現出しつつあるといえるでしょう(まぁ、以下に小型化といっても、物語中にあるようなものになるためにはまだいくつかのブレイクスルーが必要でしょうが)。


そして、この技術をてこにして著者が描いているものは
「人間のエゴ」そのものであるように思います。
自らを表現するときの、虚飾。
時にそれは歴史すら書き換えます。
歴史の改変は、時に自己を形成するその記憶の改変という形をとります。


世の中に事実(実際に起こったこと)は存在するにしろ
それをとらえるのに多様なアスペクトが存在する(見方がいっぱい)
ゆえに真実なるものはありえない。
現代の文系はそういいます。


それでもなお、わたしたちは真実を求め続けます。
マスコミで偽の情報が流れればそれを叩きます。
メディアリテラシー」なるものをかたるものは
表象を疑います。
それが、どれだけやっても真実に(論理的に)到達しえないにもかかわらず。そこにある「正義」はいったいどこからやってくるのか。
あるいはその行動の「意味」とは何なのか。
(真実を見抜きえないのに、見抜こうとするその行動になんの意味があるのか!!)
そうしたことを考えていかねばならないのだと思います。


そして、「真実」という言葉のかげには
「本当の自分」というもやもやとした言葉が見え隠れします。
自己の記憶を変え、他人にはそれぞれ向けに(キャラw)脚色した自分を見せ。「本当の自分」はどこに?


閑話休題。最後のほうの、胎児・アンチエイジング、などテーマとして拡散し続けていって収束し切れていないという点はどう評価するのか、分かれるところではあると思いますが、読みやすいです(1日かからず読めました)。暇な日が続いている方は読んでみてはいかがでしょう。

あ、装丁結構すきかもしれない。