読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

ガソリン税について思うこと

ガソリン税暫定税率がついに復活しましたね。
さすがに30円上がると(税は25円でしたっけ)財布的には
きついものがあります。


中身についてはここで深く議論すると長くなりそうなので割愛します。今日考えたいのは、日本におけるメディアと政治の機能と意味についてです。基本的に読書に絡めてさまざまな問題関心を撒き散らしてきましたが、今日は考えたことをとどめておくという意味でとりあえず書き記します。


といっても、一応暫定税率そのものに関する立場を表明しておかないとアンフェアになるということも考えられるので、記しておきます。さまざまな商品に関する流通コスト(まぁ、自分の財布も痛いんですが)を考えるならないほうがいいに決まってます。
しかし、自動車が社会にいろいろな負担をかけていることもまた事実。この負担を自動車を用いていない人までこうむるのは問題があるでしょう(先ほど述べた流通については物価に還元されるので「受益者負担」の原則は守られます)。よって、暫定税率、というのは言葉のあや的に問題があるので、恒久的なものとして、議論を重ねた上で恒久的な税率を設定し、(一般財源化すると今度は車に乗っている人が損をするので)自動車がもたらす社会的・環境的負担の軽減に用いるということにしてはいかがでしょう。
その際忘れてはならないのは、監査、の体制でしょう。
ま、この辺で。


今回の騒動、始まりがどうだったかというのは正直覚えていないのですが、少なくとも「暫定税率」の問題に現実的に注目が集まったのは、国会で議論になり、それが廃止される可能性が高まったときだったと思います。つまり、政治家の働きによって「暫定税率」がアジェンダ(問題)として設定されたのです。
メディアが行ったのは、それを後追いで報道し、問題を大きくすることでした。
ここで、メディアの機能と政治の意味について簡単に振り返ってみましょう。


メディア研究が始まったとき、それはプロパガンダ研究でした。
ゆえにその力点は、伝えられるコンテンツやインパクトにおかれ、手法も社会心理学的なものとなりました。
そのころ、メディアはパイプ(透明な存在)としてとらえられていました。
すなわち、メディアはせいぜいノイズを加えるだけの存在で、「進化」すればそれがなくなっていく、というのがこのころの考え方でした。
そのころの、メディアの人間への影響の考え方というのは単純なものです。
「弾丸理論」・「皮下注射理論」といわれるようなもので、メディアで見たもの聞いたものをそのまま信じてしまうというものです。
(今でも暴力的なゲームをすると暴力的になるとか言いますね)
しかし、実際にそんなに単純なものではないことは明らかです。
M.マクルーハンが「メディアはメッセージである」としてメディアそのものに意味性があること(ケータイで「好き」とメールを送られるのと、直接言われるのじゃぜんぜん違いますよね)を看破して以来、メディアのとらえ方も変化します。
そこで、(マス)メディアの機能として有力になったのが「アジェンダ・セッティング」です。
人々は見たままを信じるということはないが、その見たもの・報じられたものが問題であるということを認識する。という理論です。
つまり、テレビで死刑を廃止すべきだ!、とかいっているとして、それを直接的に信じるわけではないが、
そこに「死刑を廃止すべきか否か」という問題が存在していることを認識しそこへの回路が生まれるということです。
(より抽象度の高い次元でも作用するでしょうが)
当たり前ですね。いちいち信じていたら、チャンネルを回すたびに記憶喪失です。


さて、政治、について考えて見ましょう。
これは、簡単に言えば「利害の衝突する個人やグループの間の富の分配の調整」でしょう。
広義でとらえれば、部活のリーダー選びも、家族内のチャンネル争いも・・・すべて政治でしょう。
その中でも、かなり重要なのが国家の政治です。
これは、国民の利益*1を最大化することを目標として異なる意見を持った人間・集団が議論を重ねて(真ん中をとるという意味ではなく)決定を積み重ねていくものだと思っています。(効用を最大化するという意味で)
すなわち、(日本で言えば)日本社会に存する諸問題を解決するための努力の積み重ね、であるはずです。



さて、こんにち、マス・メディアは重要な問題について「自ら」アジェンダを設定しよう*2としているでしょうか。
「政治」は、問題を解決しようとしているでしょうか。
もちろん、私の見ている狭い範囲でしかないのですが、その役割を完全に果たせているとは感じられません。



今私の手元に、昭和49年11月の文藝春秋があります。
そうあの有名な「田中角栄研究」という特集を組み、60万部を完売したという文藝春秋です。
田中角栄はこれをきっかけに政治生命の終わりへと向かっていきます。
メディアは時にこうした自らの意思を見せる形で、ニュースバリューのあるものを世に問い
それを目に留めた人々の中にそれを問題として知らせるものなのではないでしょうか。


今回の「暫定税率」問題。
メディアは政治の後を追わなかっただろうか。*3
ブームになったものを追っていてはいけない。
みんなが知りたいものを伝えようとするとどうしてもそうなりがちだ。
しかし、多少傲慢になっても、「伝えるべきもの」を伝えないジャーナリズムに意味はない。
政治家にも「効用最大化」のモチベーションはなくなることだろう。


最後は感情的になりましたね。
追伸的に署名のお願いです。
友だちが絡んでいるものでw
彼は言います。
署名をする人が減ってもいい。
真実を伝えたいのだ、と。
それから、判断して欲しい、と。
ジャーナリストですね。


http://www.shomei.tv/project-16.html

*1:国益」なる怪奇な語彙は何を指すのでしょう。

*2:アジェンダ設定は機能であって責務ではありません。が、それをもちいうる立場にいるのは確かです

*3:一応asahi.comで見てみたところ暫定税率が最初に話題になっているのは政治家の発言の中でだった