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読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

Think from Akiba 2

一昨日に続き。


所属しているコミュニティによるのかもしれないが
この事件についての語りはほとんど「ジャーナリズム」の問題をともなってなされるように思う。


わけてもよく聞くのは「やじうま」の問題だ。
いわく、手当てもせず、救助もせずに、ケータイで写真を撮っている。
やつらはなんなんだ。
今に始まったことではない。
何か事故があれば、人だかり。
葬式のときにさえ故人をケータイで撮る人がいるという。


「彼ら」*1と「ジャーナリスト」のやっていることの違いはなんなのだろう。
ケビン・カーター*2を例にとるまでもなく、死に行きそうな人々にカメラを向けることなど良くあることだ。
何かの折には、命が犠牲にされることもあるだろう。


やっている行為に差はそうない。
私はそう思う。
しかし、歴然たる差がある、とも同時に思う。
それは「覚悟」である。
時として人を死に至らしめるという覚悟。
時として一国を崩壊させるという覚悟。
伝えるという行為はひとつの「暴力」であるという自己認識。
人を傷つけるということを無視するのではない。
わからないのでもない。
それでも尚「伝える」「表現する」そのことに意味を見出し、
自らを傷つけてでもそうし続ける覚悟こそが
彼らの間に線を引く。


では、今のマスメディアのやっていることは「ジャーナリズム」だろうか。
という問いは必然的に立ち現れる。
すべて、ではないにしても、それは瑣末なことに囚われた
視聴率競争(部数競争)にしか見えない。
これがただの視野狭窄であることをいのる。

*1:彼ら、のやっていることの善悪はこの際おいておく

*2:「ハゲワシと少女」が有名