読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

犯罪報道について

トラックバックを張ってるのですが、
http://d.hatena.ne.jp/canarykanariiya/20080622
やりとりのなかで
犯罪を「社会」に帰す報道も、「個人の性質」に帰す報道もなんとなく気に食わないということになりました。
その場での回答は
結局、何かを「仮想敵」というみなしてそれをたたくというようなスタイル自体が問題なのではないか、ということでした。
すなわち、「社会」たたきも、「個人の性質」たたきも鏡に映っているかのような構図であると思うのです。何が悪い、という分析を超克したもの。
あれはなんだったのか、という報道がここでは抜け落ちているのではないでしょうか。


ついでにこの間大学に来た辺見庸さんが引用した言葉。
加害者と被害者の根源的等価性。
そこでは、彼のしたことは私に望まれたことであり、私のしたことは彼の望んだことである、ということが成立しています。
「社会」はほかならぬ「個人」を内に含み、「個人」はまた「社会」によって作られます。
そこを無視して話はできないのでしょう。