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読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

不可思議なるコミュニケーション

試験やレポートって嫌ですよね。
だからブログに逃げますw
お久しぶりです。


コミュニケーションというのは相手があって初めて成立します。
情報の出し手が何かを表現し(情報および伝達手段の選択)
受け手がその内容を理解する(その差異の観察と受け取る意味の選択)。*1その2つの作業が絶対に必要です。
誰もいない森の中で倒れた木、その音はいかに、という問いへの答え。
それは一種の共同作業なわけです。


なにも、コミュニケーションをとる相手は他者に限られてはいません。
そう、自己との対話も立派なコミュニケーションだと私は思います。


そんな状態を描いたのがこれではないでしょうか。



何かと、評判のいい光文社の新訳文庫。
内容の是非はわかりませんが、いろんな人(専門家・一部のマニアにとどまらず)にリーチすると言うのはいいことなのではないでしょうか。


閑話休題
主人公のまわりでおきていることは正直たいしたことであるようには思われません。
それを、描写しきる筆者の力量に感嘆いたします。
売春婦への罵倒はたいしたものです。
とともに、主人公は、独り相撲を取るわけです。
これは、自らとのコミュニケーションのスパイラルに陥っているということなのではないでしょうか。


意味がわかりませんね。
人と対話しているようでいて、実は彼は、自らと対話しているのです。
前述の売春婦への罵倒もじつは自分の内面との対話の中から出てきていると思われます。
人はみなそうした性質をもっているのではないでしょうか。
ということです。




小説を読みつけていないので、これから何冊か読んでいきたいと思います。
なにか、これは、というものがあれば教えてください。

*1:一応ルーマン先生から。北田先生の解釈ですが。