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読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

ハゲの社会学を目指して

またまたお久しぶりです。
私は、社会学を専攻しようと決めたとき、
「ハゲの社会学」をやろうと思っていました。


私の家系が曾祖父までさかのぼって全員ハゲというサラブレッド的な家系にある、という
個人的な事情から出発したのですが、考えてみると面白い。


例えば、何で「ハゲ」はそこまで嫌悪されなければならないのか・・・。
これは文化的に構築されてきたものに過ぎないのではないか・・・。
なんと言っても、いまや「AGA」として病気扱いですから、これは看過できない、と。


で、駄文を書き連ねたのがこちら。
1.「ハゲ」は悪ではない。
1-1.ハゲとは何か
渋谷知美は『日本の童貞』の中で「童貞」を定義づけようとしている。
そしてその作業は非常に難航しているように思われる。
社会学とは何か、という問いも同様に難航する。)
ハゲとは何か、という問いも答えようと思えば、
その歴史的な用語の変遷を追うか、
ハゲはかくあるべしというような当為の問題に踏み込むしかないだろう。


1-2.ハゲは悪い、は文化的に構築されている
以上のような理由から、ハゲというものはどう認識されてきたか、を追う。
すると、ある事実に気づく。
西洋では日本ほど気にされていないという報告を聞くのだ。
また、歴史的に見ても、古くから否定的だったわけではないだろう。
よって、「ハゲ=かっこ悪い」という図式は文化的に構築されたものであることがわかる。
にも関わらず、現在では「AGA」などと呼んで「医療化」(詳しくは、『逸脱と医療化』を参照)のプロセスが進んでいる。もはや、ハゲは「病気」なのである。ゆゆしき事態だ。


1-3化粧と比べてどうか
「ハゲ」は「デブ」「バカ」などと並べて使われる侮辱語の代名詞である。
後者二つはある種の自己責任的な要素をはらむが、「ハゲ」は遺伝的形質が大きく、
なぜ批判されているのかがよくわからない。
また、似て非なる問題に近いが「カツラ」と「めがね」あるいは「化粧」の違いはなんだろうか。
『ハゲを生きる』で須長が論じたようなジェンダーバイアスが「ハゲ」の問題に大きく関わっていると思わざるをえない。


1-4小括
以上のことから、ハゲは悪ではないことがわかっていただけたと思う。
しかし、論理的に認識したところで美的感覚が変化するわけでもないことはまた事実である。
そこで、このハゲに否定的なシステムの中で生きていくための手法について次章で説明する。
こうして、エクリチュールは強化されるんですね。わかります。


私が気になっているポイントはおわかりいただけたかと思います。
こうした関心に、若干学問的なバックグラウンドを付与したのが下記レポートです。


社会問題としての「ハゲ」


  ハゲ、すなわち頭髪が薄くなることは、とりわけ若い男性にとっては大きな悩みとなりがちである。ここで言うハゲとは、男性型脱毛症という状態である。これは、女性にもてなくなる、人にからかわれるなどといったの理由によって忌避されている。ハゲていることについては「インタビューや資料の中で「恥ずかしい」という趣旨のコメントが非常に多く、そしてそれは今日のハゲ現象を語るとき、暗黙の前提となっている」(須長,1999:121)のである。これは、ハゲていることがある種の逸脱であるからだと考えられる。そして、その逸脱に対し、「恥ずかしい」というラベリングがなされ、結果としてハゲは多くの男性の悩みとなっているのである。そして、その悩みは自明視されている。須長の議論では、この悩みは「男らしさ」を求められることに依拠しているとされ、ジェンダー論的な問題点を指摘している。ハゲているということが、倫理的あるいは道徳的に悪であるということを言う人はおそらくはいないだろうが、ほとんどが個人の行為をその要因としないにもかかわらず、テレビなどマスメディア媒体から日常生活までさまざまな局面でからかいの対象とされている。「みんなとりあえずハゲを攻めとけば、共通の笑いを取れると思ってる」(神足/編,2004:97)という状況があることが指摘されている。また、ハゲに付随した状態である「スダレ」や「カツラ」に対するからかいもまた非常に強い。このことは大きな問題だといえるのではないだろうか。最近では、このハゲという逸脱は医療化している部分がある。AGA(男性型脱毛症)という呼称をつけて、医者による診断を勧めるテレビCMが流れたことは記憶に新しい。逸脱の医療化は「逸脱行動を医学的な問題として、通常は病として、定義しラベル化すること、そしてそれに対するある形態の治療を提供することを医療専門職に委任すること」であり、この「社会統制としての医療的介入は、健康という名のもとで医療的手段を用いて逸脱行動を限定、変容、規制、孤立化もしくは除外しようとする」(Conrad・Schneider,1992;=進藤監訳,2003:55)。ハゲの場合は、他の医療化された逸脱と違い、その行動は元来「悪」とされていたものではなかった。ハゲで何が悪い、と開き直ったり、あるいは諸外国では日本ほど問題視されないことなどを胸に気にせず生きることもできただろう。しかし、医療化により、ハゲは「美」という規範からの逸脱から、医療的な規範からの逸脱ということになってしまう。これはハゲへの差別や悩みを拡大させる「お墨付き」となってしまうのではないかと考える。それまで、からかいの対象でこそあれ、悪だとは考えられていなかったものが、反対に個人の責任ではないものの劣ったもの、としてみなされる可能性がある。AGAが、実際に医学会の常識として治療が必要な病気であるかどうかは問題ではなく、病院に行って治療しなくてはならないもの、という印象をマスメディアを通じて与えていることが問題だといえよう。そのことによって、社会的な規範が構築されていくからだ。医療化による暗い側面が顔をのぞかせている。特に「逸脱行動が医学用語に置き換えられることによって、逸脱を病気としてとらえるということが実は政治的、道徳的判断を要するという事実が隠蔽されてしまう」(Conrad・Schneider,1992;=進藤監訳,2003:471)点は非常に問題である。これは、ハゲが科学的に劣っているとの認識を助長するのにたる。以上述べてきたように、ハゲという社会問題を考えたとき、まずもって改善されるべきはそれがからかいの対象となっているという事実である。そして、そのためにはハゲが「恥ずかしい」ことであるとの認識が改善されるべきであろう。この問題に関して争点となるのは、それがからかいの対象とされても仕方がないことなのか、すなわちハゲは逃れるべき欠点であるのか否かということにあろう。そして最大の争点となるのは、そのハゲヘの「恥ずかしさ」が社会的に構築されたものなのか否か、また、その構築が、ジェンダー的な見方によるものなのか、あるいは違うのかということである。また、この問題の問題たるゆえんは、争点が争点として浮かび上がらないほどにハゲが欠点として自明視されていることにあるともいえる。

参考文献
文献
Conrad, Peter & Schneider, Joseph W, 1992, DEVIANCE AND MEDICALIZATION: From Badness to
Sickness:Expanded Edition , Temple University (=2003, 『逸脱と医療化 ――悪から病へ――』, 進藤雄三・杉田聡・近藤正英/訳, ミネルヴァ書房
神足裕司/編, 2004, 『誇大毛想――ハゲが、ハゲを相手に、ハゲを語り尽くす』, 扶桑社
須長史生, 1999, 『ハゲを生きる ―外見と男らしさの社会学―』, 勁草書房



ハゲの問題を構築主義的アプローチで解明しようとしたわけです。
といっても、大学2年生のレポート・・・ひどい点が多々ありますねw
何かしら研究にはなると思うのですけれどね。
ちょっと気力が失せてしまったので・・・。


次回ははげないための作法についてでも書きますか。


ハゲを生きる―外見と男らしさの社会学
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