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読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

なぜ資本主義は成長を志向するか。

mixi社会学コミュニティでこんなトピックスがたっていました。
[質問]なぜ企業は成長を続けないといけないのでしょうか?
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=43161261&comment_count=14&comm_id=8396


ウェーバープロ倫に言及しながら、現在ではプロテスタント的なあれがないからだめだ、とかいう人がいますが、それは読み間違いですよね。
ウェーバーは資本主義が組みあがるところまでのプロセスでプロテスタンティズムが大きな役割を果たしたことに言及しているわけで、それが出来上がった後は資本主義の精神は「鉄の檻」となるといっているわけです。
っつーことは、プロテスタンティズムの倫理はもはや必要ないんですよね。*1


とはいえ、成長そのものを自己目的化した精神がその倫理から生まれた、というのはなんかすげーな、と思ってしまいます。


ゼミで、

暴走する資本主義
暴走する資本主義
posted with amazlet at 09.10.18
ロバート ライシュ
東洋経済新報社
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単純な話、今の「超資本主義」は消費者と投資家が要求多すぎるから出来てるんだよね、ってことを言っています。
まぁ、当たり前。だけど、核心。
上で掲げた答えのひとつはこれでしょうね。
投資家がうるさいw


その理由は何?って考えたときに彼が持ち出すのが技術革新です。
商品を運ぶこと、注文を受けること、生産をすること。
そういったことが、技術革新を経て、大企業以外にも可能になってくる。それによって、競争が激化していく。というロジックです。
マクルーハンはメディア論の中で、こうした技術革新は人間の在り方を変えてそれが、社会の変化につながる、というようなことを言っていたかと思いますが、中身の説明の仕方としてはこっちのが納得できる気もします。


資本主義が成長をしなければならない理由の一つは世界がつながってしまったことなのでしょう。
もう、「村」にはもどれない。
(ライシュは70年代までのアメリカ社会は談合による計画経済がうまくいった事例だと言っています=あまり成長は望まれていなかった)
でまぁ、ライシュがいうのは国内での公共性を実現するための法規制なわけですが・・・。


ライシュの言う公共の議論って、何が公共性なのか、ということをすっ飛ばしてる感じがして、怖さを感じました。
民主主義っていえば何でも善なのか。
その結果はすべて善なのか。
善とは何か。そうした問いはどこかに置き去られて、
その上で、公共性を実現するための法規制を論じている。
それはなんとなく、不自然な感じがする。
(だって、大勢がそれを望んだからと言ってそれは禅ではないというのだもの)

*1:追記:後々見てみると上の論は間違っている気がします。とはいえ、必要だとする論者とそうではないとする論者がいるようです。どちらにしても、資本主義を作動させるのに宗教性が必要、というのはナンセンスだと思いますが。