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読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

「広告である」とはどういうことか

どくしょ

昔、吉見先生がこういうことを言っていた。
「大学院に来る人間の中で、理論から入れる人は4人に1人くらいだ。ほかは皆対象にこだわるべき。北田先生なんかは理論から入っていたがああいうのは特殊な例」


を読んで納得した。
これが修士論文か、というような嘆息とともに。


彼は、ルーマンの理論を下敷きにしつつ、ベンヤミン的な視点から、
日本における「広告の誕生」がいかにして起こったかを
見事に論じて見せている。


感想を述べたり、論点を整理するほどには深く読みこめていない。
(深く読み込むことを要求する)
だから、少しノート的に述べたいことを述べる。


北田先生の著作に通底するのは、
意味は
「メディアを通じてではなく、メディアにおいて成立する」
という視角だろう。
そして「身体性」だろう。

ゆえに「引札」(商品の紹介などをする記事)は「広告」ではない。
新聞に一種の「文法」が生れ、そこから「広告についてのメタ言説」が生まれて初めて、それは広告として「観察」されるものとなっていく。


以下たわごとですが・・・
「情報・手段ー差異」の観察者としての「受け手」という見方を
徹底していった先に何が残るのかという疑念が・・・。