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読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

思考の痕跡 思考の痕跡

大学生活も(少なくとも学部生活は・・・卒業できればだけど)あと半年。
大学で学んだこと、いや、学べることってなんだったのかな、とたまに思うことがあります。
そりゃ、「大学時代に」学んだことなら、たくさんあると思います。
特に僕は幼稚園から高校までエスカレーターでしたから、
新しく出会う人との付き合い方とか、年齢の違う人とのうまい接し方とか、お酒の飲み方とかw。
たぶん、みんなそれぞれ色々あると思う。
友達だけ見たって、イベント運営の最前線で色々やってた人もいれば、バイトで接客しまくった人もいる。
でも、大学で学んだこと、というと少し言葉に詰まる感じがする。


もちろん、なんやかやあると言えばある。
社会調査・統計、社会学的な考え方。メディア論、教育・・・。
全部一端に過ぎないけれど、少しは学んだつもりではいる。
ただ、「そんな授業でてて勉強大丈夫なの」という皮肉を真に受けて、
あまり、マジメに講義に出席もせず気ままに本を読んで勉強したというのが実際のところ*1

31歳女性講師 「大学生に教えるのが怖い…」(22)
http://daitai.diary.to/archives/1576066.html
これを読んだりとか、

あと、mixi社会学コミュニティで、質問が出るたびに、
大学での学びがどうとか、っていう話になるのを見て、いろいろ考えてしまうのです。


そもそも、大学で学ぶ、っていう発想が希薄なんだ。
言われ尽くされてることだけど、大学は単なるモラトリアムとしか見られてない。
その証拠に、プレジデントだってなんだって、大学で学べること特集なんてやってない。
(やってるのかもしれないけど、目立たない)


例えば先に挙げたmixiのコミュニティでは、

課題を他人に解かせるのってインチキです。助言を仰ぐというレベルではありません。

さっぱりわからないならそれが実力です。あきらめましょう。


とか

因みに、プロ倫にしても具体的事例を踏まえて書かれているのですから、そんなに厚い本ではないので読んでみることは最低限必要でしょう。
大学での「学び」というものはそういうものです。


というような発言が毎度出てくる。
正論だと思う。*2
大学は自ら学び、研究する場、としての役割の方が大きくて、
教授する、ってよりは、見て学べ、盗め、の職人的な世界のように見えるからだ。
ゾレン的な話で言えば、大学はそう言う場所だったしそうあるべきなのかもしれない。


でも、高校までの「勉強」って誰かに解法聞いてもいいし、家庭教師つけたりするのだって普通だった。
現実問題ものすごい乖離した世界だったと思う。*3
そっからの転換ってなかなかうまくいかない。
たぶん、「答え」を出すことが大学の学びではなく、
「問いをたて」、「調査する」ことが大学の学びだ、なんてさらっと言われて理解できるもんでもない。
そういうことを教えるための授業はやってるみたいだけど、ただの方法論になってしまったり、
今までと同じゼミをやってるだけだったりする。
工場(こうじょう)で働いてたはずがいきなり徒弟制の工場(こうば)に移される。
専門家を育てるためにはそういうプロセスは確かに必要なのだと思うし、大学で学べることと言えばほんとはそれなんだと思う。
でも、それを学び取れたか、それはわからない。みんなできてる、って感じもしない。



じゃあ、どうするのっていわれりゃわからない。
大学が変わればいいってことじゃなくて、そこまでの教育のあり方とか、仕事のあり方とか、全部含めて変わって行かなきゃ変わらない問題だと思う。
実際問題、社会学身につけて社会でなんの役に立つのかは未だにわからない*4
ただ、自分のことに話を戻せば、最近、レポート書くときの視座が固まってきたようには思う。いいことか悪いことかわからないけど。
いろんな思想やら考え方ががぐちゃぐちゃのマーブル模様に混ざり合った中に、少しだけ足場ができてきたのを感じる。
これが「自分なりの考え方」ってやつなら最高に嬉しい(たぶん、誰かのコピーですけどw)。


大学の教育力―何を教え、学ぶか (ちくま新書)
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*1:大教室の授業で学べることなんて本読んで先生に聞きに行った方が早い、っていう考え方は今も変わらない。

*2:人に頼るな。文献読め!勉強しろ!

*3:高校時代の先生のおかげであんま変わらんとも言えるが

*4:けど、正当に問いをたてる力は役に立つと思う