読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

誤報とは何か 誤報言説をたどって

1.はじめに
誤報とはなんだろうか、と聞けば、「事実とは違う報道」という答えが返ってくるのが一般的だろう。
しかし、もう少し良く考えてみると、私たちがそれほど簡単に「誤報」を識別しているわけではないということに気づく。
にもかかわらず、私たちは、日常「誤報」を発見し、批判し、その改善すべき点を論じている。
本稿では、昭和期以降の誤報に関する言説を追うことで、私たちが誤報についていかなる考え方を持ってきたのかについて考察していきたいと思う。何をもって誤報としているのかということに関する記述があれば適宜引用する。分析の対象として用いたのは国立国会図書館データベースにおいて、「誤報」で検索した際に結果としてあらわれた書籍・雑誌論文である。


まず、はじめに、考えてみていただきたい。
2008年9月27日の東京スポーツ一面に「千葉に!カッパ来襲」という記事が掲載された。
記事の概略を言えば、千葉県市川市に住む会社員宅の郵便受けに線状の跡が残っていた。他の動物にしては不自然な跡であり、水かきがくっきりと見える。よってこの跡はカッパの手形であろう。というものである。むろん、「カッパと断定する確証は得られなかったが、カッパではないとする根拠もなかった」という逃げ口上はうってあるものの基本的にはカッパの存在を肯定する内容である。
 一般的な常識を用いて考えれば、世の中にカッパはいないので、この記事は捏造に近いものということになる。では、私たちはこれを「誤報」と呼ぶだろうか?


では、まず戦前の新聞記者向けの誤報言説から見ていこう。


2.戦前の誤報観―新聞紙法と新聞協会附属学院の発行物を手がかりに
 戦前の誤報観を見るにあたって、まず、当時の法律の中に現れる誤報を見てみる。

新聞紙法 第十七条 
新聞紙ニ掲載シタル事項ノ錯誤ニ付其ノ事項ニ関スル本人又ハ直接関係者ヨリ正誤又ハ正誤書、弁駁書ノ掲載ヲ請求シタルトキハ其ノ請求ヲ受ケタル後次回又ハ第三回ノ発行ニ於テ正誤ヲ為シ又ハ正誤書、弁駁書ノ全文ヲ掲載スヘシ


「錯誤」と表現されているものが、いわゆる誤報であり、「事実とは異なる記事」ということになる。誤報が掲載された際には正誤書を受け付けて、それを元の記事と同等の扱いで、新聞紙面上に掲載することが義務付けられていた。*1
ここで、すぐに浮かぶ疑問は誰が錯誤であるということを認定するのか、ということだろう。新聞も、当事者も論理的には中立の立場であるはずで、事実の認定を行うことはできないからである。大審院の判断は、基本的に正誤書が寄せられたら、すべて掲載すべしというものであった。つまり、当事者により、記事が誤っているという指摘を受けたならば、すべてこれを誤報とするという立場である。


これに関しては、山根眞治郎による批判(1938)*2が行われている。新聞への信頼が揺らぐことや、悪人がはびこる、といったことを理由とするものであり、ある意味で当然の批判ともいえる。では、山根自身は誤報についてどのような立場をとっていたのか。


山根は、以下のように「錯誤」(=誤報)を分類する。


1.虚報―事実無根。デマ。

2.假稱誤報―記事関係者が単に自己の考えから記事の誤りを主張し、法により認められたもの

3.誤報 ―動機 :有―意識誤報(悪質とされる)

―   :無―無意識誤報

―被害 :有―有害誤報

―   :無―放任誤報

―取材経路:正―直接誤報(新聞社の責任)

―    :誤―間接誤報(例外的)

―制作技術:無関係―本質誤報

―    :関係  ―表現誤報

(3.は観点別の分類)


 つまり、「錯誤」は(=誤報)は「単に事実とは異なった報道」である、と考えられていたことがわかる。


しかし、実際の著書をひもといていくと、現在の感覚から行くと必ずしもそうとは言えない事例にも遭遇する。彼の著書の前書きにおいて、新聞における報道の重要性が語られ、ゆえに、真実性=正確さが必要であるとされている。*3さらに、世論指導の重要性が語られている。このことから、新聞の書き手の側からは、新聞の役割が、事実性を保った上で、世論を善導していくことにあるとされていたのではないか、と考えられる。山根自身も報道の公共性を強く認めており、記者が「想像力」を用いて記事を補完していくことを認めている。新聞紙法に対する批判からもわかるとおり、報道の公共性を守るために誤報に対して寛容であることをもとめている。


上記は一例に過ぎないが、戦前においては、誤報であるか否かは、「事実との違い」によって定義されている。そして、その根拠となるのは、関係者の言であった。*4
新聞の自由は制限されたものであり、山根らはそれに対して反発をしていた。
しかし、時代は戦争へと移り、しばらくはより悪い状況になっていく。


3.戦後の誤報観
戦中、および戦後のGHQ支配下では言論統制や自主規制が行われた。戦後はそれに対する自己批判が行われた。


三樹(1959)*5は誤報を以下のように分類している。

  • 虚報:事情のいかんに関わらず完全に事実無根
  • 歪報:ある事実に何らかの作為、または圧力が加えられ、ゆがめられたもの
  • 誤報:意図はなく、何らかの過失、失策、不備などから生じるもので、広義の誤報の大多数を占める
  • 禍報:原則として誤りではなく、その意図もないが、人間の意思伝達上または言語上に横たわるいろいろな不完全さと言う障害から、読者の側に誤って受け取られやすいもの
  • 無報:何らかの理由でぜんぜん報道されずにしまうもの
  • 歪報:誇大や矮小(故意)。例。大本営発表、大男の表現、誤植も悪意に基づくものであれば。”American System of freedom and security”-> “facism”本人の証言がなければ故意かは判定できない。
  • 誤報:単なる間違い。問題は見出し読者の多さ。「容疑者」がほとんど犯人と同一視される現状  「赤ん坊が一晩中泣いて困るが、どうしたらよいか」→「Kill it」(投書の削除を命じる"Kill it"がそのまま掲載された)
  • 禍報:誇大や矮小(過失)「ピストルでばらすぞ」と脅した件に関して「拳銃で脅迫」という見出し。ぎりぎりのライン。「実際の現存の被害は生じなかったので、いわゆる”禍報”には入らない」→被害を重視か。


ここで、着目すべきは「無報」が「誤報」として分類されていることだろう。彼は、「ある事実が、どの新聞または放送によっても全然報道されずにしまうということは、場合によって、誤報全般よりも大きな誤りをもたらすことがある」(207)と述べている。つまり、記事が誤っている、ということではなく(載せていないのだから誤ってはいない)記事が掲載される(あるいはされない)ことによって生じる社会的な不利益を根拠として、誤報か否かを判断している。これに関しては、「禍報」について論じる際に、「実際の現存の被害は生じなかったので、いわゆる”禍報”には入らない」と述べていることからもわかる。また、以下の一文は、より顕著なものと言えるだろう。


>>それがたとえほんの一時の誤植から来ようと、あるいは大きな圧力からもたらされたものであろうと、その最終結果が読者―国民の判断を誤らせることになれば、それは”誤報”としては全く同程度の責任を問われることになり、そのいずれが重いとも軽いともいえないのである。新聞その他のマス・メディアの”訂正”という手段もふくめて、真剣に考えられねばならぬ問題であろうと思う(207) <<


記事掲載に至る経緯をより重視する立場も存在している。例えば、同時期のベストセラー城戸又一(1957)*6では、天気予報の当たり外れについて、以下のように述べている。


新聞に掲載された天気予報が外れたとき普通これを誤報とは言わない。予報が外れたのは、気象学ないしは予報技術が未熟なためであって、記事が間違っていたというわけではないからである。気象庁から発表された、たとえば「明日は北の風、晴れ」という予報文を、そのまま誤りなく掲載していれば、たとえ明日雨が降っても、記事そのものは正確だった、という考え方である。逆に、あるとき編集者がうっかり一日前の使いふるしの予報文を組込んだ。ところが皮肉なことに、その日発表された予報ははずれ、使いふるしの方が当たってしまった。現実にあった話だが、当たりはずれにかかわらず、この場合は誤報といわねばならない(ibid. :132-133)


話はこのあと、自主取材にもとづく、台風記事へと向かうのだが、要するにこの文章は、記事が現実と正誤するいかんではなく、その情報が掲載されるに至ったプロセスが正しいものであったかを判断の材料にしている。


上記でみられるように、戦後においては、記事そのものよりも、記事が与えた影響や記事に至るまでの経緯を元にして誤報か否かを判断する傾向が強まっていると考えられる。正しい/誤っているという判断のラインがそれほど簡単に引けるものではないということへの意識と、戦中の報道への反省がこうした考えに影響を与えていると考えられる。例えば三樹は以下のように述べる。


>>報道内容について、どこまでが正しく、どこからがいけないか、ということには、普通一般的に考えられているように、しかく明確な区分線などというものがあるわけではない。だれが、それを、どう判定するか、によってもかなり揺れ動くものであるからだ。”良識の問題”だなどともよく言われるが、良識自体は決して自明の理ではない。かりにある年齢層にとって悪いとされる報道内容でも、それが逆に別の年齢層にとっては正しく役立つ、ということもあり得るわけだ(191) <<


誤報の定義の揺らぎを見つつ、近年誤報がどう考えられているかについて、若干考えたい。


4.近年の誤報観
80年代以降の誤報観において、「虚報」が誤報から独立していくような動きが見られる。


城戸の前掲著でも、「誤報というより純然たる虚報」という一文が見られるなど、虚報(ねつ造)は一種独特なポジションにあった。しかし、山根の分類や、三樹の分類では、虚報(ないし故意的な誤報)はあくまでも誤報の一分野として取り上げられていた。しかし、山下(1987)*7では、虚報は誤った情報という点では、誤報と同じでも別個の概念として捉えられている。それは、タイトルや目次における分類からわかる。また、後藤(1990)*8も、タイトルから、誤報と虚報を切り離して考えていると考えられる。


こうしたことの背景には、(あくまで推測でありデータを検証する必要がありますが)マス・メディアへの不信感=マス・メディアがウソを(意図的に)つくことへの嫌悪感の増大、という図式があるのではないか。


いわゆる、足利事件に対して、各種メディアが盛大に謝罪や反省を行ったことは記憶に新しい。以前であれば、(前掲の多くの書籍に掲載されていたことだが)新聞の片隅に小さくお詫びを載せるだけだったという可能性もあるのではないだろうか。*9


また、近年の誤報について考えるときに、忘れてはならないのは、名誉毀損訴訟における損害賠償金額の高騰である。以前、100万円がせいぜいといわれた、賠償額が、現在では1000万円を越えることもまま見られる状況となっている。これは、アメリカ系の法律における「懲罰的」損害賠償の考え方を取り入れたものであるとも考えられるが、アメリカと違い被告側に立証責任がある*10日本の裁判では、メディア各社にとって非常に辛い状況となっている。*11


さらに報道への不信の増大と誤報観の変化を直接的な事例から見ようとすれば、2009年3月の西松建設献金事件がらみの「政府筋」情報を例とすることができる。政府筋が「自民党には捜査は及ばない」とするオフレコ発言を行ったとして、記事を掲載したが、後に実名を明かして、漆間氏が否定をした。
これを誤報と捉える向きも強かった。某新聞関係者から聞いたところでは「昔であれば、こうした事態の時は、新聞が正しいことをいっている、と考えられただろうが、今は違う」ということであり、マス・メディアへの不信感から、以前では誤報としてカテゴライズされなかったものまでも誤報とされる(些細なものもあれば大きなものもあるだろう)状況が生まれているとも考えられる。*12


5.本稿の限界とまとめ
上記のように、誤報に関する言説をおうことで、誤報観の変化や違いというものを捉えることができる。
しかし、本稿では誤報言説を網羅的に扱うことはできなかった。書籍については、タイトルに誤報というワードがつくもの、もしくは参考文献リストの中から重要そうなものをピックアップするにとどまったし、雑誌論文についても、重要度が高そうなものをピックアップしたにとどまる。
本来であれば、より多くの記事に目を通した上で、言説の変遷を追うべきだったのだろうが、諸般の限界によりそれは断念された。また、学術的なレベルでの誤報の研究は災害など一部の分野に限られており、先行研究から示唆を得ることも難しかった。
よって、今後はさらに多くの文献に当たった上で精査していくことが求められる。


最後に、東京スポーツに戻ろう。おそらくこれを誤報と言う人は少ないだろう。
私たちは東京スポーツの一面に必ずしも「真実」を求めていないからであろう。
同じような事例、しかも極端なものは海外にもある。創刊当初(1835)のニューヨークサン紙に望遠鏡の観測により月面に生物発見との記事が掲載された。通信手段も未熟だったので、他紙も追随し、転載をおこなった。連載は望遠鏡が壊れたためとして、何度かの掲載の後終了した。後に、記者がウソであることを告白すると、他紙からは非難を浴びたものの、大衆からは歓迎されたという。*13


誤報については、その分類、対処法などが論じられることは多かったが、その定義については所与のものとされることが多かった。
だが、今回見てきたように、時代や論者のメディア観・報道観によって、誤報の定義は揺らぎを含んでいる。つまり、誤報とは報道(ないしは、マス・メディア)に何を求めているか、ということの裏返しとして存在しているのである。
「新聞は公正であるべきだ」故に「公正ではない記事は誤報であり、許せない」という論法は単なるトートロジーに過ぎない。誤報について考えるとき、批判するとき、私たちは、私たちの報道観そのものを問い直さなくてはならないのではないだろうか。


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*1:ないしは弁駁書と呼ばれる反論書。現在の放送法上の規定にも同様のものがある。

*2:山根眞治郎, 1938, 『誤報とその責任』, 日本新聞協会附属新聞学院

*3:筆者は山根ではない

*4:一部新聞社に誤報を調査する機関があったようだ。しかし、膨大な記事を事前に精査することは当然ながら難しかったらしい。

*5:三樹精吉, 1959=S34, 「誤報」, 臼井吉見編, 『現代教養全集5 マス・コミの世界』, 筑摩書房:189-207

*6:城戸又一, 1957, 『誤報』, 日本評論新社

*7:山下恭弘, 1987, 『誤報・虚報の戦後史 : 大新聞のウソ』, 東京法経学院出版

*8:後藤文康, 1990, 『誤報と虚報:”幻の特ダネ”はなぜ?』, 岩波書店

*9:ただし、メディアにも過失はあった。

*10:おかしな話だが

*11:元木昌彦, 2009, 『週刊誌は死なず』,朝日新聞出版

*12:再び三樹の言によれば、美智子妃の婚約の際、新聞が報じないのだから、婚約の噂はウソだろう、というような形での新聞への信頼があったそうである。それとは裏返しの事態だと言える。

*13:伊藤慎一, 1972, 「誤報と報道」, 『言語生活』より