読書は人間の夢を見るか

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闘いとしての政治/信念としての政治

以下のようなイベントに行ってきたので簡単にレポートしたいと思います。本当に簡単に。
詳細は毎日新聞1月の紙面に記事が載るらしいですし、たぶん『思想地図』あたりにも出ると思われます。

シンポジウム「闘いとしての政治/信念としての政治」

自由民主党幹事長として日本政治の中核に位置し、
また数々の社会的な取り組みに尽力されてきた
野中広務氏をお迎えし、「政治家にとって信念とは何か」
「戦後日本社会と自民党政治」「社会的差別との闘い」と
いったテーマについて議論する。「二大政党制の幕開け」
が喧伝される現在だからこそ、自民党政治の担ってきた
社会的・政治的意味を再考し、「10年代」の課題を模索
することとしたい。

主催 東京大学情報学環 
後援 毎日新聞社 NHK出版
開催日 12月14日 18:00-20:30
場所 東京大学情報学環福武ホールラーニングシアター
出演者 野中広務(元自民党幹事長)
    森達也(ドキュメンタリー作家)
    姜尚中東京大学教授)
司会  林香里(東京大学教授)
    北田暁大東京大学准教授)
進行予定  
0.主催者挨拶(5分)
1.野中広務先生ご講演「闘いとしての政治/信念としての政治」(30分)
2.パネルディスカッション(野中広務先生、姜尚中森達也 司会 北田暁大)(70分)
3.閉会の辞(5分)
お問い合わせ先
  東京大学情報学環北田研究室


話は野中氏の人生談から始まりました。(基調講演)
たぶん、

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を読んでいただいた方がわかりやすいかと思います。
様々な成り行きの中で、その時々での「やるべきこと」に向かっていった結果、
政治家「野中広務」が形成されていくさまが語られたのだと思います。


パネルディスカッション セッション1は「政治と信念」と題されて行われました。
はじめに、パネルの司会である北田先生から本セッションの趣旨について説明がありました。
改革と言うことがキーワードになり、政権交代が実現した今だからこそ、この10年を振り返るときに、
自民党政治とはなんだったのかを振り返る必要がある、と。
そこで、重要なキーワードになるのが「信念」。
政治家の信念というと、明確な政治理念を求めがちである(ex.タカ/ハト、大きな政府/小さな政府など)
そういったものも大事ではある。しかし、「信念のある政治家」をもてはやす風潮には批判的になる必要がある。
「信念があればよい」というのであれば、大戦に突入したときと同じだ。
そういう視角から見た時に、野中広務という政治家はスッキリと収まる人間ではない。
そこにあるのは、弱者へのまなざしであり、一色に束ねられれば間違いを犯す、という「信念」ではないか。
(97年の米軍用地特別措置法改正案審議に際する発言等をひきつつ)


ここで、姜先生にバトンタッチ。
Q&A方式。
現在、自民が疲弊している、というのを、講演会等をしていても感じる。
官僚や、地方名望あがりの政治家が増える中で、青年会から一代たたき上げで、政治家になったのは野中が最後ではないか。
そこで、麻生元首相が「部落出身は総理大臣にはなれない」と言ったというが、その発言はあったのか?どうとらえているか?


野中先生
そういう趣旨はなかった。
一国の首相は、国際的な場に立って、コミュニケーションを図らねばならないから、私のように英語ができない人間がなるべきではないと言ってきた。国家のためにやってはならないのだ。


姜先生
漢字もよくわからない首相もいたことですので、野中待望論は根強かったと思います(笑)
政治家の信念が、学者やジャーナリストと違うのは、いくら正論を吐いても権力がなければいけないところ。
その源はどこにあるのか。


野中先生
(様々な政治的問題に言及。おそらくは、強い思いを持って、その時代時代で片付けなければならない問題に当たっていくことがそのまま、力の源泉になっていくというまとめでいいと思われる)


姜先生
金大中が「保守」であるように、野中も保守。
では保守が守るべきものとは?


野中先生
守るべきものは平和であり、国民を中産階級にしていくと言うこと。
中国との関係、東アジア諸国との関係に言及。
議員外交の成果とかに触れていました。
後には、村山談話について、天の配剤のたまもの、とおっしゃっていました。
9条についても、9条自体を守ったところで、それが遵守されない状況が変わらなければ意味がない。
→9条を変えて自衛隊は外に出られないように、ということにすると保守の人に笑われるという状況はおかしいのでは?


ここで北田先生がスライドを提示。
戦後体制の転換点としてこの10年の政治を位置づけ。
1.政治の激動
2.危機管理リスク政治の前面化
3.東アジア関係と新しいナショナリズム
4.「家族」「性」をめぐる状況
5.社会問題の精算へ
という5つに整理した上で、野中の関連の深さを述べる。


森さんにバトンタッチ。
森さん
始まる前の打ち合わせで、姜さんが「今日はさん付けで行きましょう。先生はやめて」というので
「じゃあ僕だけ先生でお願いします」と言ったら、笑ってくれるかなと思ったが、二人から冷ややかな視線がきた。
(会場爆笑)


一人一人が扇動しあうような状況において、多数決とはなんなのか。
民主主義への危機感を抱いている。
その磁場から逃れることが、解決策。
しかし、政治家は数=力の中で生きなければならない。
(マイノリティとして生まれ、戦争という大多数に飲まれた場を経験した)野中は信念ではなく、そのアンビバレントさに突き動かされた部分があったのではないか?


野中先生はあまり理解できなかったご様子。
セッション2で、森さんが改めて質問した際、絶対に反対な政策でも、立場上反対できないときがあったと答えた。
例えば、イラク/クウェート問題の時は、採決時に退席したということをあげていました。


ここまででも、大幅な時間超過。
とりあえず、野中先生は話が長い。
戦後史として重要なのかもしれないが、質問に真っ向から答えているとは言い難いという状況。
北田先生がそこをうまいことひろってまとめていくという、必殺技を繰り出し続けていた。
政治家の本能なのかもしれないが、半分自分の功績自慢みたいなところがあるので、
そこをどう本題につなげていくかというところだろう。
「イベントを作る」という面から見ると、こういうしゃべり続ける人をどうコントロールするのか、というのは大きな問題。
姜先生の質問はクリアだった。
全体にみると、「啓蒙思想」みたいなものを思わせた。
「あなたの意見には反対だが、あなたがそれを言う権利は擁護する」的な。
政治的に主張されることへの信念ではなく、政治そのものへの信念。そういう矛盾をいきた人なのではないかと言うことを感じた。


追記
ところで、このテーマ、内容というのは、いつでも存在するテーマなのだと思います。
では、それが「今」語られる意味とはなんなのか、に目を向けなくてはならない、のかと。
ちなみに、会場には上野千鶴子先生、吉見先生、丹羽先生など、有名学者がごろごろいましたw


疲れたので、2部については明日以降に回します。すいません。
この間参加した、長尾館長×濱野さん対談についても軽くまとめたいかな―、とは思っています。