食とともにめぐったもの-『食の500年史』
最近、料理をする機会が多くなっている。
いわゆる”男の料理”風に作りたいものを作っているので、怒られるかもしれない。
ここ一週間だと
タコスに、
ラザニア、
そして、チゲなんかを作った。
每日、いろいろな計算をしながらお料理されている方々には、
ほんとうに頭が上がらない。
昔、話に聞いたのは、こういう風に世界の料理が家庭の食卓に上がる国は珍しい、ということだ。
その国の家庭料理以外に、メキシコ料理、欧州料理に、韓国料理と、作ったり、作れたりするのは珍しいのだ、と。
街に出れば、色々な国の料理が、手軽な値段から、高級志向なものまで揃っている。*1
一方で、「イタリア人が認めなかったパスタ」のコピー*2に象徴されるように、各国の料理を日本風にアレンジしていることも確かだ。
カツレツ、コロッケ、枚挙に暇がない。
こうしたことをひっくるめて、各国の食の混交したあり方は、日本文化特殊論のように語られることも多い。
果たしてそうだろうか。
を読んで、そんなことを考えた。
ラウトレッジ社から刊行されているThemes in World Historyシリーズの中の一冊。
食は、世界を動き回っていたのだ。
時には征服者とともに、時には移民とともに。
ほんの数百年前まで南米原産であるジャガイモはアイルランドにはなかったし、
唐辛子はヨーロッパを経由して中国、日本(そして韓国)へ入っていった。
インドに行ってさえ、自国のアフタヌーンティーやディナーに固執したイギリス人が「これらのごちそうは、死ぬほど重くて消化困難な代物です」と書いたと言うには笑ってしまうが(p.152-153)、彼らは自国に帰った際には、インド料理を知るものとして重宝がられたという。
アメリカに渡ったイタリア系移民は、偏見の眼差しを受けながらも、セロリなどの野菜、そしてカリフォルニアのワイン産業などにも多くの知識を伝えたという。
北米の人々の興味をひいていくとともに、スパゲティ・ミートボールやペパロニ・ピザなど、故郷からは遠く離れた食べ物が登場していく。
様々な土地で、その原産物や風土によって構築されてきた食物が海を渡り、時にその地の影響を受け、時には拒絶されながら相互に影響し、混ざり合っていく。
単に「家庭料理」と思っているものこそが、「外国料理」なのかもしれない。
食文化の変容を語る言葉は「勝利や抵抗(レジスタンス)といった軍事的な比喩」から「適応やハイブリッドといった生物学的な比喩」に変わっていった、と筆者は語る。
コロンブスがアメリカに入り、そしてマクドナルドがアメリカから出発していくまでの500年。
やや駆け足の感は否めないとしても、「食」という身近な題材を通じて、私たちが得てきたもの、壊してきたもの、そして、新たに作り上げてきたものについて、多くの示唆を与えてくれる*3。
ま、普段食べる分には美味ければいいのだけれどね。