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読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

メディアのフレーム-パリの事件からみえたもの

思考の痕跡

先週のフランス・パリで起きた大規模なテロ事件は世界に大きな衝撃を与えました。

私や家族も、友人が数人パリに居ることもあって、その日はテレビに釘付けになりながら、必死でSNSをくっていました。

被害にあわれた方、犠牲になられた方々、そして今なお、心安らかならない日々をおくっていらっしゃる方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

 

その日、話題になったのは、日本の報道機関が、テロを報じていない、ということです。*1

実際には、全く報じていないわけではなかったのですが、欧米大手のテレビ局、CNNやBBCが番組スケジュールを切り替えて、延々と報じ続けていたことと比較すると、対応には差が見られたということがこうした感想の裏にはあるのでしょう。

 

そこで行われていた議論を見て、私が思い出したのは、ドイツの放送を論じるときの用語である「基本的供給」というものです*2

ドイツでは、民間放送が成立したが、日本と比較すると遅かったのですが、それが出てきたあとに、公共放送の意義を説明するときに語られたのがこの言葉です。

ごくごく簡単にいえば、公共放送で商業的な意図と関係なく(視聴率関係なく)、みんなに放送できるから、「これさえみてれば社会(的な議論)に入っていける」という放送ができる、そして、それこそが公共放送というものが存在する意義なのだ、ということです。

あれだけの大事件、これからも社会的な論議を呼んでいくその発端。

あの議論には、それを放送することが、放送の果たすべき公共的な意義なのだ、という意図が含まれているようにみえたのです。

 

日本でも、そうしたことが意識されていなわけではないと思います。

例えば、NHKの理事さんは次のように述べています。

 

「多様化した社会はつながりが失われ、共通の関心について語る『公共圏』は今、細分化、分極化が進んでいる。公共放送の役割は公共圏を活性化させることだ」(NHK・井上樹彦理事 世界公共放送研究者会議)

 

「番組改編案に疑問」『毎日新聞』(夕刊)2015.11.19.

 

というと、公共放送はニュースと災害放送だけやってればいい、というように聞こえるかもしれませんが、必ずしもそうは言えません。

例えば、ドイツの公共放送の意義については、さらに「機能的任務」という「社会的な結びつきを強める」ことをもその意義として包含する概念になっていきますし、実際、上の井上理事も、そのあとで紅白歌合戦を例に出されたりしています*3

もしかすると、総合編成的にバラエティのようなことをやっていて、その流れでニュースなどに接するかも知れません。そういったことも含めたもの*4が放送の役割の一端なのかもしれません。

 

しかし、実際にニュースに切り替えるというのは、大きな判断です。

私が、何かを写せる立場なら走って行ってでも、撮りたい、と思うかもしれませんが、そう簡単なことではありません。

特に民間放送では、スポンサーとの兼ね合いもあります。

人員的な問題もあるでしょう。取材して、セットの準備をして、人を集めて。

番組を作るというのは大変な労力を要します。

難しい、という見解も多く聞かれました。

 

<パリ同時テロ報道>土日の報道量の少なさと対応の遅さはテレビ局のスタッフ不足が原因?

[安倍宏行]【何故地上波テレビは海外ニュースを瞬時に伝えないのか?】~ネット時代のテレビの役割~ | NEXT MEDIA "Japan In-depth"[ジャパン・インデプス]

 

私が、CNNを見ていたときに、記者の口からこんな言葉が何回か聞かれました。

「遠くにいたのでわからなかったのです」

日本の優秀なテレビマンなら取り繕うところかもしれません。

CNNの人も後で怒られたのかもしれません。

しかし、ニュースバリューの大きさいかんでは、最高の準備ができなかったとしても伝えるべきことがあるのだ、そういう心のあり方をそこに感じたのです。

東京大学大学院准教授の丹羽美之氏は、NHKの「やらせ問題」に関連してこういっていました。

問題の根幹は「決定的瞬間を撮ることばかりに固執しがち」な「スクープ映像主義」である、と。*5

決定的な映像がなくても、それは仕方ない、そういう時が許されてもよいのかもしれません。

 

と、縷縷書いてきましたが、こういうことを書けばこういう批判があるでしょう。

なぜパリの時だけそのようなことをいうのか、ベイルートの時はいわなかったのに?

 

大手SNSFacebookはまさにそのような批判にさらされました。*6

安否確認機能をパリの事件で人為的な事件に対しては初めて提供したこと、

プロフィール画像トリコロールをオーバーラップさせる機能を提供したこと。

正直に言えば、私も、トリコロールには違和感をもちました。

もちろん、個々人がトリコロールを使って哀悼を示すことはよいのです。

しかし、私があのボタンを押そうとする時、なんとなく「誘導」されている気になったのです。

こうして、自分で意識しない間に意識が集約されてしまって良いのだろうか、そう思ったとき、そのボタンを押すことはできませんでした。

人づてに聞いた「ワンクリックで連帯が表明できるような社会は私は苦手だ」という言葉に集約されるのかもしれません。

 

でも、そういうものだ、ということもできます。

少し話題になった風刺画がよく表しているように、どのようなメディア(マスと言う意味ではなく)も、現実の一部を切り取ります。

 

#prayfortheworld#opinionPS: pls do understand that this piece is only against the almost unequal treatment of the world media on every terrorism act

Posted by Leemarej on 2015年11月14日

 

Googleで検索される世界だって、ネットの何処かにある情報だって、

もちろん、マスメディアに乗る情報だって。

そこには何らかの観点が存在します。

そりゃそうです。人間全知全能ではあり得ないし、「すべての再現」というのはあり得ないのですから。

今回のパリの事件を中心にして巻き起こった議論。

それは、そもそもいつも日常にある問題を浮かび上がらせただけなのかもしれません。

 

Facebookはネットのプラットフォーム。

放送を初めとしたはこれまでなんやかんやと意見や表現のプラットフォームを担ってきました。

 これからの時代、私たちはどんな窓枠を、どんな枠組みを通じて世界を眺めるのでしょうか。

 

 

メディア・リテラシー―世界の現場から (岩波新書)

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*1:なお、本稿において、意見に渡る部分については、所属する組織等とは一切関係ないものであることを記しておきます。

*2:詳細はさしあたり、石川明「ドイツにおける「公共放送像」」『社会学部紀要』, 2001.3 http://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/kiyou/89/89-10.pdf

*3:世界公共放送研究者会議 RIPE、日本で初開催 - 産経ニュース。以前、ドイツの偉い先生にお話を伺った際に、公共放送は民主的な議論ができる共通的な文化の再生産に資するのだ(だから、交響楽団なども許される)(大意)といった話をされていたのが印象に残っています。

*4:もちろん、レクリエーション的なものそのものが価値が無いと言っているわけではないですし、私にとって次の日を生きる糧になることもあります

*5:丹羽美之「取材と撮影「縦割り」背景に」『読売新聞』2015.11.13.

*6:Facebook、パリのテロ事件で適用した安否確認機能の批判を受け、他の災害にも適用すると明言 | TechCrunch Japan