読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

集合知とはなんなのか

自分あんまり、ビジネスに興味なくて
しかも、ICTなんて、まぁめっちゃ使わせてはもらっているけれども
Web2.0”はバズワードだと信じ込んでる人間なので、
梅田望夫さんの本とか読まないできたんですよ。


ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)
梅田 望夫
筑摩書房
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でも、食わず嫌いは良くないなって思うんで読んでみました。

去年の博報堂の先生が薦めてたりしました。
ってことは、3週遅れくらいで読んでるわけですがw
よくまとまっているし、今の時代、技術とアイディアが
ビジネスに直結し、またそのモデルは今までのものとはかなり違う
ということはわかりました。


しかし、いくつかのごまかしと感じられる部分や
疑問が見つかりましたので、皆様にお尋ねするしだいです。


筆者は、インターネットは衆愚ではないといいます。
その例にとられているのが、小泉選挙。
マスメディアはまったく当てられなかったその趨勢を
ブログの潮流をみることで当てられた、ということでした。
でも、それっていわゆる衆愚だよね?
って思うんです。
本来的にいいかどうかを判断することなく、
大勢に身を任せるような形で判断を行っていったということですから。
むしろ、それが起こりやすくなっているというのは議論として妥当だと思います。(cf. キャス・サンスティーン)


あと、疑問です。
1.
集合知(あるいは wisdom of crowd)についてかいた項目で
wikipediaを出しています。
wikipediaの特性のひとつは辞書には載っていないような些末なことを調べられる、ということではないでしょうか。(枕投げ、とか一時話題になりましたよね)
厳密に言うと違いますが、これはある種のロングテールだと思います。
ただ、その尻尾の先では、「集合地」働かなくありませんか?
ユーザーの数が明らかに少ないのですから。
一番必要なはずの尻尾の先で働かないとすると・・・?
wikipediaを会社の重役に見せて、誤りを指摘されたらその場で直す
というのは特殊ケース。なんか、巧みにエピソードを織り込んだごまかしに見えるのです。


2.
アカデミズムの復権は起こらないか?
学問的な知の体系、というのはある意味でものすごいでかい、何千年も続いてる「集合知」なわけです。
インターネットがすごいのは、そのスピードを超超高速化して、
参加を容易にしているところ。
だとすれば、「専門家」たちがそれを自在に使えるようになって
いままでの蓄積をもちつつ、その発展を高速化していけば・・・?
何かと既存の権威はバカにされ、
そうではありえなかった人々に光が当たります。
それ自体はいいことだと思いますが、「既存の権威」のいぎとは何だったのかを再考する必要があるのではないでしょうか?
(Oh!my newsの記事に悪い評判も聞きましたしw)