読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

昨日、次のような報道がされました。


国会図書館:パンク寸前…新刊急増、本のサイズも大型化


国内で出版されるすべての本を保管している国立国会図書館(東京都千代田区)の収容スペースが限界に近づいている。出版点数の激増とサイズの大きな本が増える傾向にあることやCD・DVDの保管も原因で、「あと2〜3年持つかどうか」(担当者)という。書庫の増設計画はあるが完成には5年以上かかる見通しで、一部の保管点数を2冊から1冊に減らしたほか、閲覧を一部中止し、箱詰めして保存する「書架外配置」の検討も始めている。
・・・(中略)・・・
同図書館は、2冊ずつそろえていた一部の本を1冊にしたり、大きな本は横にするなどしているが、「少しでもいい状態で多くの資料を保存できるよう、数センチの単位で努力しているが焼け石に水。増え続ける本のスピードに追い付かない」(大塚奈奈絵・図書課長)と困惑している。

http://mainichi.jp/enta/art/news/20091207k0000e040059000c.html


mixiのニュースへのコメントでは、図書館のデータ化を促進すればよい、というものが多く見られました。
*1


しかし、私は、下記のいくつかの点から電子化については、やるべきだと思うが、だからといって紙はいらないということにはならないという立場をとります。(電子化は進行中で、在宅で見られる有料サービスも成立するかもしれないって報道がありました)*2


1.保存。デジタル化が進んでも、一番後世に残るのは紙。(グーテンベルク聖書などがまだ存在していることを見ても、その耐久力は刮目に値する)HDDとか光媒体なんて数年でダメになる。図書館でそのリスクを背負うのは危険。


2.似てるけどアーカイビング。実物が残っていることに意味がある資料が存在する。
そして、何がそれに当たるかはその時代が判断する。→基本全部残すべき。


3.「綴じられている」という意味。メディア論的な視点から、本であるということに意味がある。まぁ、Bolter*3でも長谷川一先生*4でも読んでいただければいいのですが。検索可能性を持つということは、「本」と言うメディアにおける統一した思想を放棄することでもある。


4.本は美術品。


・・・理由なんて挙げればいくらでも出てきますが。
ちなみに、Googleとの連携については、某所で聞いたことがありますが、Googleはあくまで私企業なので無理だそうです。
やってくれたデータを全部渡してくれるならいいよ、とのこと。


もちろんスペースは有限なので、いろいろな兼ね合いもあります。
デジタル化は必要でしょう。しかし、デジタル化を書物の保管の代替手段として考えてはならないと思います。


デジタル化原理主義者には「絶対的真理」への信憑があると思う。
どっかに、正しい情報、ってのがあるから、それを探せばいいんでしょ?っていう。
だから、誰が、どこで、何を書いたのか、ということには目が向かない。
誤りを共有できることでそれを乗り越えていくと言う作法に目が向いていないのではないか。
そんなことを考えたニュースでした。


グーテンベルクからグーグルへ―文学テキストのデジタル化と編集文献学
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*1:そして、その中でもGoogleに頼れよ、というのは大きなポジションを占めていたように思います

*2:慣例からはずれて長尾先生が館長になったのも電子化の要請が強いという背景があるのでは?

*3:ライティング スペース―電子テキスト時代のエクリチュール

*4:http://ci.nii.ac.jp/naid/40016572262