読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

将棋と意味と、そして、人工知能と

小学生の頃、僕らの指す将棋は、あくまでも王様を取られるまで続いた*1をして投了するところ、Aperyがコンピュータ将棋特有の「王手ラッシュ」を始めたのだ。
解説の鈴木大介八段は、「棋譜を残すのが仕事」というとおり、将棋棋士には棋士の美学があり、無駄に王手だけを重ねる行為は好まれない。
ある程度の局面が来たら投了することが作法とされる。
一方で、コンピュータにそんなことは関係がない。


わかりきった負けの局面を自分の思考の限界の外へと押しやろうと王手を続ける(水平線効果*2)。
これまで、棋士を負かしつづけてきた、あの鬼のように強いコンピュータが、まるで小学生のころの僕達と同じような手を繰り返すのだ。
この手の連続には賛否が巻き起こった。*3


鈴木八段のように、許せない、とする人もいれば、
電王戦というイベントそのものがこうした「異文化」の交流なのだから、
これも含めてみるべきだとする人もいた。


ともに理はある。というより、これは美学の問題であって、
とやかく言えることではないだろう。
「水平線効果」自体は中盤でもそれに近いものが生じていたようだ*4し、
評価値(コンピュータの局面の評価)が一定以上になれば自動で投了しろというのも違うだろう。

(人間には見えにくいような長手数の詰みが生じている場面などもあり得る。そもそも、評価値が絶対的に正しいというのを前提とするのならば勝負をする意味が薄れる。)
つまりは、あのような手が生じてしまうこと、そして、それを人間(の一部)が美しくないと感じてしまうことは、まさに「思考」のあり方の違いから起こることなのだ。


折しも、人工知能をめぐる議論が盛んである。
あと10年もすれば、多くの仕事がコンピュータに取って代わられるとも言われる*5
国も、人工知能に関連した検討をはじめている。*6
各種の分野でコンピュータにやらせたほうが良い結果が生まれる時代になっていくのだろう。
そうした時に、「将棋」という分野のトップクラスの「人間」が「コンピュータ」と真っ向から戦い、そして、そこに「思考」の方法と「美学」の違いが鮮明に現れるというのは非常に興味深いケースだと言える。


コンピュータは、「将棋」を指さない。
与えられたルールの通り、統計的によい*7とされる局面に進むように「動作」する。
一手一手に「意味」もなく、「美学」もない。
それはコンピュータの強さの源そのものでもあり、「弱点」でもある*8
将棋のルールは完全ではなく、そこに人間らしさがあるとともに「軋轢」も生じるのだろう*9
これからの世界に踏み込もうとする私たちがすべきことは、この「美学」のなさを罵ることではなく、また、「軋轢」の存在を認めずに敵を非難することでもなく、この鬼のようでもあり、子どものようでもある存在のについて考え、そして、その動作に「意味」を与えてやることにこそあるのではないだろうか。


<単なる感想>
電王戦FINALへの道、という連続ドキュメントを見ていたこともあって、期待感はあったものの、
近年のコンピュータ将棋の成長は目覚しく、棋士側が勝つのは難しい面もあるだろうと思っていました。
そこで、このような激しい勝負を制し、また、最後もバッサリとした決め方を選んだところに、斎藤五段の強さを見ましたし、
逆にApery開発者の平岡さんも、認めるべきことをきちんと認め、また、棋士に対するリスペクトも感じました
(上記の王手ラッシュについても、事前に配慮されていたようです。)。
どうしても、人間対コンピュータと言う図式になりがちですが、開発者の方々の言をTwitter、Blogなどを通じて見るに、
プログラマという人間が、非常に大きなエネルギーを費やしていることが、分かりますし、人間同士のドラマとして、非常に楽しませて頂いています。
棋士という人々が天才かつ非常な努力をされていて、人間離れしていることは以前から聞いていましたし、この勝負を見てもわかることですが、
それと同じように、プログラマの方々も色々な思いを積み重ねていらっしゃるのだと思います。


来週土曜日には第二局が開催されますので、ご関心の方はニコニコ生放送をご覧になってはいかがでしょうか。
http://ex.nicovideo.jp/denou/


<追記的感想>
局面評価を行って、形作りする機能をつけろ、という議論がある。
それによって、もしかすると対人間の勝率は上がるかもしれないともいう。
しかし、おそらくコンピュータは2つ以上のルールを(メタレベルで)切り替えながら、「思考」方法を変えることは比較的不得手な部類ではなかろうか。(端的には入玉勝負に現れる)
そもそも、なんでそんなことをしなければならないのかと言われればそのとおりだ。

しかし、商用のソフトウェアでは、そのような機能やあるいは「解説」「指導」といった、単に「強い」以外の機能が求められる面はあると思う。(そうしたことに価値を認めて研究する人もあるようだ)

*1:本来、将棋のルールでは王様は取らない。詰めることが目的で王手放置は反則扱い(http://www.shogi.or.jp/shogi/hon/05.html)))。 負けが確定すると、相手に王手をかけて、「一手違いだった」などと強がった。 あれほど強いコンピュータが、あの頃の僕らのように見えた。 京都は二条城を舞台にした電王戦FINAL第1局 斎藤慎太郎 五段 vs Apery  現役のプロ棋士とコンピュータが戦う第2回からの電王戦では、プロ側からみて2勝7敗1分と圧倒的な負け越しの状況で今回の”FINAL”を迎えた。 小雨の二条城に入ってくるときにはやや緊張した面持ちだった斎藤五段も、対局が進むにつれて集中していくのが目に見える。 対局は居飛車四間飛車のいわゆる「対抗形」に進み、やや優勢な序盤から先手側の斎藤五段がリードを広げ、125手までで勝利をおさめた。 問題となったのは、斎藤五段の勝ちが誰の目にも明らかになった局面。 プロ棋士同士の対局ならば、数手の形作り((勝ちにならないが「美しい」投了図を作るために詰めろなどをかける

*2:コンピュータ将棋の思考は基本的に可能な手をすべて読む。よって深さ(10手なら10手。20手なら20手)に限度がある。王手をその深さの限界まで続けると「負け」の局面に到達しないため、王手をしない時と比べて有利であると錯覚する

*3:http://togetter.com/li/794992

*4:https://twitter.com/ayumu_sugita/status/576777624929751041

*5:「オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」702業種を徹底調査してわかった」現代ビジネス, 2014.11.8 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40925

*6:例えば「インテリジェント化が加速するICTの未来像に関する研究会」総務省http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/intelligent/index.html 同研究会では、電王戦主催のドワンゴ会長CTOの川上量生氏も委員となっている。

*7:近年のコンピュータ将棋では、多くの棋譜(過去の将棋のデータ)から機械学習と呼ばれる方法で局面の良さを認識している。流行り風に言えば「ビッグデータ」。

*8:現に、意味的な理解がないことにより長手数先が読めず「ハメ手」的なものにハマることもある。

*9:不完全さは例えば、相入玉の宣言法などに見られる。同意せず、相手が死ぬまで指し続けたらどうなるのか、という思考実験を聞いたことがあるが、コンピュータ対人間ではありうることだろう。現に第二回の塚田九段vsPuella α、年末の森下九段対ツツカナ戦は近いものを感じた。