読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

熱情が世界を変えるとき−人と機械(前編)

「正直言ってどの手が悪かったのか分からない」
三浦弘行八段(当時)の言葉が印象的だった。
第2回将棋電王戦は最終局を終えて、プロ棋士側から見て、1勝1分3敗という成績に終わった。
1戦目の阿部光瑠四段対習甦こそ、阿部四段が勝利したものの、二戦目の佐藤慎一四段がPonanzaに現役プロ棋士として初めてコンピュータソフトに敗れ、
数百台のコンピュータをつないだGPS将棋の底知れぬ強さに敗れた、三浦八段の冒頭の言葉に至って、私たちは大きな衝撃を受けた。


それから少しあと、私は再びニコニコ生放送の画面に釘付けになっていた。
将棋倶楽部24*1に参戦したPonanzaが次々と強豪を撃破し、歴代最高のレーティング*2を更新し続けていった。
その模様をPonanza作者の山本一成氏と将棋ネット記者の松本博文氏が中継していたのだ。
Ponanzaの鬼のような強さとは対照的に、アットホームな雰囲気。
著名将棋開発者を始めとした豪華なゲスト。
渡辺明竜王(当時)、保木邦仁氏(Bonanza開発者)までも登場した。
将棋の内容もさることながら、製作者の思い入れやソフトウェアの手法、あるいは電王戦の裏話と非常に興味深い内容だった。(と思う。少し前のことなので、記憶が混戦している可能性がある)
プログラムやコンピュータは私たちの生活に身近なものになっているけれども、それを作ってる技術者、プログラマの存在を感じることは多くない。
この放送では、人間味のあふれる姿、そして活気あるコミュニティが目の前に現れたのだ。


現在の将棋ソフト製作者それを本業としていない人も多い。
歴史上、アマチュアリズムが技術を動かしてきた例は多く見られる。
例えば、ラジオ*3、最近で言えばハッカー文化もその一例に成るかもしれない*4
将棋ソフトにも同じようなところがあるのかもしれない。
私たちはソフトウェアや技術を「ただそこにあるもの」として認識してしまいがちだ。しかし、その後ろには、多くの「天才たち」の知られざる人間ドラマがあるのだ。



その一端を紹介したのが、この『ドキュメント コンピュータ将棋』である。
「コンピュータ(プログラミング)」も「将棋」も非常に専門性の高い話題であり、ともすると難しい専門書のようになってしまいがちだ。
しかし、本書では、将棋やプログラミングの専門用語や符号をほとんど使わず(使ったとしても、簡潔な解説が挟まれている)、今回の電王戦に至る経緯を見事に描いている。
現在進行中の電王戦FINALで話題となった「投了の美学」やバグの問題、プロの戦法選択にも触れられており、プログラマの生い立ちや将棋棋士の矜持など「人間対人間」のドラマとしての電王戦を楽しむためには必携の一冊となっている。
更に、技術的なトピックにも触れられており、コンピュータ将棋観戦者によくありがちな誤解もといてくれる。


2010年の清水女流対あから2010の一戦から数えれば、5年の長きにわたった電王戦も来週の電王戦FINAL第5局、AWAKE対阿久津主税八段戦でひとつの区切りを迎える。
世の中は大きく変わった。コンピュータもAIも進歩した。
10代の人達の中には「コンピュータが勝つなんて当たり前でしょ」なんて考え方をする人が出てくるくらいに。
奇しくも、AWAKEの作者巨勢亮一氏は元奨励会*5である。
少年の頃、夢破れた場所に自ら作ったソフトを携えて戻ってくる。
『ドキュメント コンピュータ将棋』を横に、ご覧になってはいかがだろうか。


*1:インターネット上の将棋対局場

*2:強さを表す指標。勝利すると上がり、敗戦すると下がる。

*3:例えば、ネット上で読めるものとして綾部広則「情報通信分野におけるアマチュアの役割―世紀転換期米国におけるラジオアマチュアの活動から―」『情報通信をめぐる諸課題』http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_9104297_po_20140203.pdf?contentNo=1

*4:田豊「「技術思想としてのアマチュアリズム― 日本の電気通信技術をめぐる市民参加の歴史社会学 ―」http://www.taf.or.jp/report/28/index/page/P018.pdf

*5:プロ棋士の卵。街の天才少年たちが集まる奨励会員のなかから年間4人しかプロになることはできない。