1円拾わなかった話
チリン
朝の混雑した駅のホームから、エスカレーターに乗り込む。
と、同時に時間を確認しようと、ポケットのスマホに手をやったときのことだった。
指に残るかすかな感触。軽い音。
1円玉だ。
昨日、売店で貰ったおつりが残っていたのだろう。
ふと思い出す。
1円玉を見つけた時には、すでに1円分以上のエネルギーを使っているという話を。
探して拾うことを考えたら収支は赤字だろう。
ただでさえ混雑しているエスカレーターの乗り込み口。迷惑にもなる。
さらに言えば遅刻しそうだ。
言い訳を探しながら、体はどんどんと上昇していく。
どうだ、もう拾えない。
「落としましたよ」
と、後方から若い女性の声がする。
わざわざ他人が落とした1円玉を拾ってくれるなんて、天使のような人だ。
ちょっとした罪悪感を追い出すことに努めていた私は、振り返ることもできなかった。
「あ、す、すいません」
言葉を絞り出しても、そんなもの。
たいした感謝の言葉も言えない、都会の人になってしまったか。
1円玉を財布にしまい込みながら、そんなことを考えていると、
もう降り口に差し掛かる。
道すがら、1円分の後悔と自責がグルグルと頭をめぐる。
そうして1銭にもならない駄文を書き散らすのだった。