読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

「水餃子」は「レトロニム」か(追記)

 レトロニム(retronym)あるいは再命名とは、ある言葉の意味が時代とともに拡張された、あるいは変化した場合に、古い意味の範囲を特定的に表すために後から考案された言葉のことを指す

レトロニム - Wikipedia

 

f:id:filled-with-deities:20170122231423j:plain

Photo credit: mmmyoso via Visualhunt.com / CC BY-NC-ND

 

少し前に、Twitterで「レトロニム」が話題となった。

その時、ふと「水餃子はどうだろうか」という疑問が浮かんだ。

中国では「餃子」といえば、普通は水餃子のこと。

焼き餃子は余った水餃子のタネを焼いて食べたもの。

そんな話を聞いたことがあったからだ。

「餃子」といえば、水餃子を指す時代があったとすれば、

「水餃子」という言葉は後からできたものでも不思議ではない。

 

調べ初めて見ると、意外と奥が深い。

結論から言えば、レトロニムかどうかという問題設定が誤りだった。

 

餃子が一般的に普及したのは、戦後。

田中氏は、戦後2-3年で餃子が広まった理由として大陸への郷愁をあげる*1

ここで、松崎修氏は、「引揚者が餃子をギョウザとして広めたのではないかと思います(ただし水餃子だったのですが)」と当時の「餃子」が「水餃子」であったことを示唆している*2

戦中、満州の食事情を紹介した書籍の中で、「餃子」が「麺類(粉の類)」として紹介されていることは、かえって、日本ではこれが一般的でなかったことを示すものといえるかもしれない*3

同書では、餃子を

(1)水餃子(茹でた豚饅頭)

(2)蒸餃子(蒸した餃子)

(3)焼餃子(鍋烙。焼いた餃子)

と分類しており、「餃子」の語が水餃子に限定されたものではないものの、主として「水餃子」を指していたことがうかがえる。

 

と、このように、ある時代を区切れば、餃子といえば「水餃子」を想起していた時代があり、その意味で、「水餃子」という言葉をあえて使うようになったのは、後からだ、と主張することもできるかもしれない。

 

もう少しさかのぼってみよう。

 

田中清一氏によれば*4、日本における「餃子」の初出は、江戸時代の『卓子調烹法』(1778年前後)である*5

続いて、1784年の『卓子式』、『清俗紀聞』(1799年)にも記述があるという。

前者に紹介される餃子は「ごま油」を使って調理するもののようで、実際に作られた人もいる*6

清俗紀聞に紹介される餃子には絵がついているが、読みは「カウツイン」、形もより饅頭に近い(上部をすぼめる形状)。これは、蒸し上げるという調理法とのことであり、餃子の調理法は様々であったようだ。

 

江戸時代の調理法は割れており、「餃子」という言葉がどちらを指示していたかということにここでは、結論を出すことはできない。

 

では、中国ではどうだろうか。

「餃子」といえば、水餃子を指すのだろうか、指してきたのだろうか。

 

まずは現代。Wikipedia先生。

饺子 - 维基百科,自由的百科全书

中国語が読めるわけではないが、「水餃」の言葉が見て取れる。

また、焼き餃子や蒸し餃子も並列されて書かれているようだ。

少なくとも、現代においては、水餃」という言葉が使われており、

当然ながら、日本独自の言葉というわけではないようだ。

 

餃子の起源をさかのぼってみると、似た料理は古くからある*7ものの、名称が成立した時期は必ずしも定かでない。

 

清・明の時代に発祥したという説もあるし、三国時代書物にある『餛飩餃(ホントンコウ)』が初出だともいう。唐代には餛飩・湯中牢丸という水餃子様のものが現われ、宋代に揚げたり、蒸したりという料理法が出てくるとともに「角子(チャオズ)」という呼称が使われるようになったという。*8

とすれば、小麦の皮で具を包んで何らかの調理をした食べ物を総称するものとして「餃子」(という言葉)が生まれたとも考えられる。

 

このように、「餃子」をさらにさかのぼっていけば、ひょっとすると、むしろ「餃子」という言葉自体が、「餛飩」と何らかの区別をするために生まれた(ある意味での再発明)という可能性だってある。

 

私の問題設定の誤りは「どのような調理法が正統(オーソドックス)だと考えられているか」という問いと「ある料理名が何を指示するか」という問題を混同したことにある。

「汁あり担々麺」がレトロニムだといわれるのは、「汁あり」がオーソドックスだからではなく、元々ある社会において「担々麺」と呼ばれるものが一意に決まっていた(中国では汁なし、日本ではスープのあるもの)からなのだろう。

それに対して調理法が変化することは、ある意味で当たり前のことであり、ある料理名が指示するものが時代や地域(お好み焼き)によって異なるのも当たり前のことなのだろう。

 

 ※追記:書いた後に、古い新聞を見てみると、1940年代の読売新聞にすでに「餃子」のレシピとして「焼き餃子」が掲載されているものがあり、50年代(朝日新聞の記事)には「焼き餃子が一般的」のような記述があることがわかった。というわけで、餃子といえば水餃子、というのは、少なくとも日本ではあったとしても非常に短いということかもしれない。

*1:田中清一『一衣帯水 中国料理伝来史』柴田書店, 1987, pp.222-226

*2:松崎修『食文化雑学 原語から考えるホントの語源』文芸社, 2015, pp.81-86.前段は中国でチャオズと発音されることに関連したもの

*3:佐藤美智子・小原楓『満洲料理法』満洲事情案内所, 康徳9(1942)年。大日本料理研究会編『支那料理辞典 上下』料理の友社, 1939には記述なし

*4:田中清一『一衣帯水 中国料理伝来史』柴田書店, 1987, pp.143-160

*5:1697年の『和漢精進料理抄』にも「片食」の名で餃子らしいものが登場しているという。なお、卓子は「しっぽく」。卓を囲んで食べる料理は江戸にも進出したという

*6:@nifty:デイリーポータルZ:江戸時代の餃子を復活させろ!

*7:1959年に新疆ウイグル自治区の唐代の遺跡から餃子のミイラ(化石)が出土している。

*8:岡田哲「ギョーザ」『たべもの起源時点 世界編』筑摩書房, 2014, pp.146-147.