料理を「楽」に
小学生のころだったか、日本の家庭料理は特異だと聞いたことがあった。
同じ国の料理だけではなく、和食、中華、洋食、いろいろなバリエーションのものが出てくる。
通り一遍でなく、一汁三菜、栄養バランスも考えて。
いま、そんな日本の家庭料理に疑問が投げかけられ*1、もっと楽をしてもよいではないか、という見方が広がっている*2。
かくいう私も、結婚して、毎日料理をする担当になったクチだ。
もともと料理は嫌いではなく、イベントごとでは作ったりしていたが、毎日家庭料理をするとなれば、話は全く違う。
ともあれ、週に二回ほど3~4品の作り置きをして、メイン一つを毎日作る、それらを弁当にも入れる、週末は外食も併用する、というようなペースでやってきた。
ところが、コロナが社会を襲い、子育てを始める中で外食は難しくなり、何をつくるか頭を悩ませることが多くなった。一方で、少し忙しくなったこともあって、料理に「楽」をしたいと考えるようになった。
ところが、楽をするのも「楽」ではない。
一口に料理、といっても、献立を決め、買い出しをし、調理、食事、そして、片付けとステップを踏まなければならない(下図参照*3)。
献立を決めるのだって、そのもととなる情報(レシピ)を仕入れていかなければならないし、最近食べたものや食べさせる相手の好みを考えて調整しなければならない。
こうしてみていくと、これらには、①思考のコスト、②作業・手間のコスト、③空間のコスト、(④金銭的コスト、)が絡み、あっちを立てれば、こっちが立たない、という関係にある。そのため、一歩間違えると、楽をしようと思ったはずなのに、かえってコストが増大しているだけ、という結果にもなりかねない。
1.ネットスーパーを使うこと
例えば、ネットスーパーを使うという方法はどうだろうか。
実際に買い物に行く時間、手間を省くことができる。
一方で、ある程度まとめ買いをすることになるし(保存する空間の必要性)、その期間の献立をある程度想定しなければいけないから、思考のコストはかかってくる。
当たり前だが、料理の手間はそのままだ。
2.ミールキットを使うこと
最近はやりの一つは、ミールキットだろう。
ミールキットも、ある意味日本の家庭料理の「呪縛」、手作り信仰だと言ってしまえばそうかもしれないが、合わせ調味料だけのレトルト(クッ〇ドゥ的な)よりは、合理的な気がする。
ただ、手順書に従って作る分、かえって普段着の料理よりも手間がかかってしまう、という面があるかもしれない。あと、意外と冷凍・冷蔵スペースをとる。
3.冷凍弁当を使うこと
介護食弁当、宅食、みたいなものもあれば、サブスクサービスみたいなものもある。
Ubereatsみたいな出前も発達したけれど、毎度店を考えるところから始めるのは意外と億劫だったりもする。
それに比べれば、選択の幅をちょうどよいくらいに狭めてくれるサービスとしては使い勝手が良い(今風に言えばナッジだろうか。noshならぬ)。
欠点としては、冷凍のスペースをとること(配送頻度を増やすと配送料がかさむ)。味はまぁ、そこそこだろうか。
4.出張料理・家事代行を使うこと
これはまだ、使った経験がない。
献立決定のプロセスから、買い物、調理まで、ある程度のお金を払えば、やってもらえるというのは明らかにほかのものと比べても優位なのは間違いがない。
ただ、結局どんなものが出てくるかは人によるのだろう。あと、うちの台所で料理してもらうのはちょっと引ける。
どれも一長一短あるようで、なかなか難しい。*4
何か、おすすめの方法があれば教えてほしい*5。
栄養がとれればそれでよい、お腹に入れば同じ、というのなら、極論毎日同じメニューでも、なんなら、ソイレ〇トでもよいわけである。
それでもなお、と、こうして悩むのも、結局のところ、食事が好きで、料理に何かを期待しているからなのだろう*6。現実の制約はあっても、料理をすること、食べることはただ「楽」であるだけではなく、楽しみであってほしい、と。
*1:例えば、家庭料理はごちそうでなくていい。ご飯とみそ汁で十分。土井善晴さんが「一汁一菜」を勧める理由 | ハフポスト
*2:少し方向は違うけど、直近の記事ではこんなのも「お惣菜でゴメン」もうやめた 出勤前、コロッケの匂いに確信した朝:朝日新聞デジタル ここのところ炎上気味の以下の漫画も亜種だろうか。新連載【妻の飯がマズくて離婚したい】私は料理が苦手です<第1話> #4コマ母道場 | ママスタセレクト
*3:こんなの書いてる暇があったら料理しろと言われそうである
*4:ひとまず、冷凍弁当を週に1.5食使ってみているところだ。
*5:あらかじめ献立決めとく、とかそういう手法もあるようだけど、行き当たりばったりの人生な私にはなかなかできない。尊敬する。
*6:実際、料理方法とか調べたり新しいものを作ってみたりするのは好きなのだ。ただ、日々追われているとかえってそうした「クリエイティブ」なものは作りがたい