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読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

「無駄な」学問

思考の痕跡

前回予告から全く外れた話をします。
先日社会学ゼミの合宿でつくばの高エネルギー加速器研究所に行ってきました。
高エネルギー加速器を実際に見るなどして巨大科学というものに感銘すら受けました。
それとともに、あの研究所で、毎日同じように食堂に行って飯食ってたら死にたくなるなぁ、とも思いました。(僕は無理、ということにすぎません)


その施設は年間500億円の国税がつぎ込まれています。
アウトプットは自分たちでも言っていたとおり、社会の役には立ちません。
僕自身はこうした「無駄な」科学は必要だと思うのですが、
つぶしてしまえ、といわれても仕方ないかな、という面もあります。


そこで、どうにかしてこれらの科学を擁護する論陣をあくまで説得的につづってみたいと思いました。(=「科学は役に立つべきである」を是認するところから始めると言うこと)
そのためには、単体で語るのではなく、科学全体という視点が必要であるように思いました。ここで言う科学は「文系の」科学を含みます。


1)生態系モデル
科学というものは単科で成り立っているのではなく、複雑に絡み合っているので、一つがつぶれてしまっては存続しないのだ。というモデルです。生態系へのアナロジーとして考えてみました。
一見うまくいきそうです。特に、文系科学などでは、相互の引き合いやその相互作用によって進化が起こってきました。
しかし、研究所の先生が言っていたように、高度に専門化した物理学の世界では、となりのにはほとんど役に立たないようです。だから、このモデルは放棄します。ちょっと無理、ですね。


2)モチベーション保証
こちらが本命です。優秀な科学者を相当量「生産」するためには、裾野を広げておく必要があります。
どうすればいいでしょう。とりあえず、みんなにやらせてみるのが一番でしょう。彼らは、将来的にどこの分野に専門特化していくかわからないわけです。(高校レベルとか?)
そこで、彼らは自分の将来像を現実から見ます。もしかしたら、興味を持ってそこを専門とするかもしれない分野、それを専門に研究している科学者はどうしているのか。
その時点で、科学者たちがご飯も食べられないような状態であれば、彼らの気持ちは萎えてしまうのではないでしょうか。


つまりこういうことです。
今役に立たない科学にお金を払うのは、まだ見ぬ役に立つ研究者を生産するため。
むちゃくちゃな論ですが、どうでしょうかね?