
3月8日、父が亡くなった。68歳だった。
まだまだ若い、と言われる年齢だけど、ものすごく長い日々をともに過ごしてきた気がする。
それは、多分、私たち家族が、長いお別れをしていたからだ。
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父は、幸せな人間だった。
父は、予備校・大学時代のミニコミ誌の作成から、文章を書く道に入った。
渡辺和博氏らとの『金魂巻』、西原理恵子氏との『恨ミシュラン』などのヒット、その後のTBS、RCCの番組をはじめとするラジオ・テレビへの出演。
SPA!、アスキー、NAVIといった多くの雑誌での連載。行楽猿、六月の蛇、といった映画にも出演した。
2011年には、くも膜下出血に倒れ、後遺症で要介護5の状態となり、療養生活に。
それでも、エッセイ集『一度、死んでみましたが』、朝日新聞での連載「コータリンは要介護5」をはじめ、病気や介護のことなど、以前と異なる視点で文章を公表してきた。
家族には優しかったけれど、「24時間酔っ払い」という言葉にも象徴されるように、よく言えば、常識にとらわれない、言葉を選ばずに言えば、ハチャメチャなところがあった。
皆様にも多くの御迷惑をおかけしたと思う。というかかけていた。
それにもかかわらず、やまいを乗り越えながら晩年まで活躍の機会をいただけたのも、周囲の方々の尽力以外のなにものでもない。
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一昨日、3月16日は父の葬儀だった。
通夜葬儀の長い列、本当に多くの方が父を悼みにきてくださった。
読者、リスナーなど多くの方々からコメントを寄せてもらった。
もちろん、人生山あり谷ありだったことは、よく知っている。
でも本当に幸せ者だという感慨を覚えずにはいられなかった。
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長い療養生活だったけれど、昨秋には、ハワイでの娘の結婚式にも出席した。
亡くなるつい一週間前にも、孫と外出して食事を共にした。
最期は突然だった。
3月8日の朝、自宅で意識を失い、そのまま帰らぬ人となった。
最期まで周囲を安心させようと「大丈夫だ」と言っていたと聞いている。
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一週間前、3人目の孫が風邪をひかずに家族写真を撮れていたら、
夏休みに一緒に広島を歩けたら、
生き残ってもっと多くの作品を書いてくれたら、
言い始めればきりがない。
最大の、もしも、は、2011年に倒れなかったら、か。
厳しくなるコンプラ、震災・コロナを経て難しくなった情報空間でどうだったか。
酒量、タバコが変わらなければ、ここまで生きられなかったかもしれない。
2011年からこちら、これほどないくらいに濃密な15年を過ごすことができた。
一緒に本も書いたし、父の友人たちと飲みに行き、旅行にも行った。
孫の誕生を祝うこともできた。
とても幸せな、長いお別れだったのだ。
今はそう思おう。
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家族一同から、皆様へ、尽くしても尽くせない感謝を込めて。
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…こんないたずらも、新しい物好きの父なら喜んでいただろうか













