自由
俺は自由だろうか
俺は自由だろうか
俺は自由だろうか
俺は日に3度そう確認する。
などということはないが、たまにそう考えることならばある。
僕は自由であることが好きだ。
責任、とか、義務、とかそういう言葉も
嫌いなわけではないがどこかかったるい。
自由に生きているだろうか。
幼稚園からお坊ちゃま私立校に通い
周りの望むがままに某国立大学に入った。
自由にしているだろうか。
周りがあわただしくなってくる中で
一人のほほんとしている。
資格を取ろうともしない
特に何かに打ち込むわけでもない。
自由にしているだろうか。
「右腕をあげてください」
あげられましたか?
あるいは、はむかってあげないこともできたでしょう。
しかし、あげて、かつ、あげないことはできない。
あなたは、あげることが(あるいはあげないことが)決まっていた
そういわれたらあなたは反論できるだろうか。
私たちは自由にしているといえるのだろうか。
あるいは、自由な意思など存在するのだろうか。
そんなレイヤーとは少し違うところの話だが
自由に関して話している人がいる。
例えば、これだ。
筑摩書房
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ゼミの課題。(まぁ何週間かあとですけど。)
先生が言うように、いろんなところに話が飛びすぎている感じがあります。僕のBlogのようですw
とりあえず、書き方は評価できる、というか・・・
感情を鼓舞するようなことを書いて、議論とは関係ないところで
うまいこと誘導しようとしている感があるという点で
まぁ、評価できるw(皮肉ではないですよw)
議論的には、バーリンの話をひいたり
排除系オブジェの話をしたり
現状認識としては、東さんの「情報自由論」とかと近いかな。
ただ、法の話がエッセンスとして加わっているのと、
話の方向性が違う(結論が違う感じ)
これは、まぁ、価値観の違いでしょう。
僕の立場を表明するならば、
慎みあるリバタリアニストとしての
リベラルですw
はっきりリベラルといえるほどには、
他者に寛容ではいられないけれど、
他者に寛容でない世界は(監視社会も含めて)
息苦しすぎる。
皆様にとってはいかがでしょう?