テレビは嘘をつかない!
こんばんは。
テレビ番組をあんまり見られていない僕ですが
たまにみると、テレビって「本当」を伝えているのか、と疑問に思います。
メディアリテラシー、という言葉は魔法の言葉のようにいろいろなところから耳に入ってきます。
でも僕は言いたいのです。
「テレビは嘘をつかない」
と。
僕が、去年、メディアリテラシーについてワークショップをやったとき、僕らは、メディアの「嘘」を4段階に分けてみました。
・編集=ある事実を思うとおりの順番にならびかえ、あるいは効果的な方法で伝える。
・演出=ある真実を伝えるために効果的な方法で表現する
・ホワイトライ=「綺麗な嘘」。悪意なき嘘。意図としては、対象をだますことを主眼としていない。
・ブラックライ=「悪意ある嘘」。いわゆる捏造。
視聴率など、自身の利益を目的として、対象をだますこと。
今回
という本を読んで、今まで抱いてきた或る種の疑問が明確化されたように思います。
この本では、「ムスタン王国事件」などを例に取りつつ、
テレビにおける(一般には)「嘘」と思われるような事象について検証しています。
その語り口は、ある見方をすれば言い訳がましいとも見えるでしょう。
しかし、わたしはそこにいっぺんの真実があるように思います。
テレビは「嘘」をつかない。
活字メディアに属する人は言います。
テレビは一種センセーショナリズムを含むのだと。
何でもいいから、映像が取れればそれを「真実」として加工するのだと。
しかしながら、ドキュメンタリー作家の池谷薫さんにお話を聞いたとき、こういう話が出ました。
活字メディアは、一種の事実さえあれば、書ける。
しかし、映像メディアはそのシャッターチャンスを逃しては、何もできない、と。
活字メディアにしても、映像メディアにしても、
受け手に対して(ルーマン的なコミュニケーション解釈で行けばこの言葉遣いはおかしいのでしょうが)「事実」を伝えることはできない。
あるアスペクトにおいて「真実」を伝えることがかろうじて可能なのではないか。
そんな気がしてならないのです。
活字メディアが、映像メディアを、受け手のコントロールの方法として批判するのは我慢ならない。
なぜならば、それは、活字メディアの、「事実性」に対する疑いのなさの象徴であり、誤謬であるからである。