読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

あなたのどこが好きなのか?

「わたしのどこが好きなの?」
そう聞かれたことはありませんか?

ありますよね。
ないかもしれませんね。

意外と困るこの質問。

具体的に「顔」
とか言えば
顔が変われば嫌いなの?
と問い返され

「性格」
と答えればとってつけた感があります。

「体」
などと答えようものなら、顰蹙を買うこと間違いがありません。

そこで、ソクラテスおじいさんは
「君の魂が好きだ」
と答えたようなのです。

土屋賢二
「もしもソクラテスに口説かれたら -愛について・自己について」(岩波書店) を読みました。


これはなかなかうまい回答な気もします。
「あなたがどう変わろうとも「あなた」がすきなのだ」
「あなたの顔は好みじゃないし、性格もなんかねちっこくて好きなわけじゃない。体なんて見るところもない。けど、(そんなところも含めて)君がすきなんだ」
()内を入れる入れないでケンカの元になるか否かが決まるでしょうw

これって一種の記号フェチな感じもあります。
「あなた」という記号。

この議論は「使う・使われる」といった日常の言葉から始まります。
哲学を日常言語に根ざしてやることは難しい。
でもそれができなきゃ意味がない。
しかし逆にそこに限界があるような気もする・・・。
難しいですね。

でも、この本自体は、ゼミを基にして会話調に起こしてあるのでとても読みやすいです。ご一読を。


北田暁大先生の書評
http://book.asahi.com/review/TKY200710300252.html