あなたのどこが好きなのか?
「わたしのどこが好きなの?」
そう聞かれたことはありませんか?
ありますよね。
ないかもしれませんね。
意外と困るこの質問。
具体的に「顔」
とか言えば
顔が変われば嫌いなの?
と問い返され
「性格」
と答えればとってつけた感があります。
「体」
などと答えようものなら、顰蹙を買うこと間違いがありません。
そこで、ソクラテスおじいさんは
「君の魂が好きだ」
と答えたようなのです。
土屋賢二の
「もしもソクラテスに口説かれたら -愛について・自己について」(岩波書店) を読みました。
もしもソクラテスに口説かれたら―愛について・自己について (双書哲学塾)
posted with amazlet at 09.10.18
これはなかなかうまい回答な気もします。
「あなたがどう変わろうとも「あなた」がすきなのだ」
「あなたの顔は好みじゃないし、性格もなんかねちっこくて好きなわけじゃない。体なんて見るところもない。けど、(そんなところも含めて)君がすきなんだ」
()内を入れる入れないでケンカの元になるか否かが決まるでしょうw
これって一種の記号フェチな感じもあります。
「あなた」という記号。
この議論は「使う・使われる」といった日常の言葉から始まります。
哲学を日常言語に根ざしてやることは難しい。
でもそれができなきゃ意味がない。
しかし逆にそこに限界があるような気もする・・・。
難しいですね。
でも、この本自体は、ゼミを基にして会話調に起こしてあるのでとても読みやすいです。ご一読を。