読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

誰にもない責任を誰が負うか

SFの世界でしかあり得なかったようなことが次々と起こっている。
Googleは自動運転車の実験を行い、昨年12月にはプロトタイプの完成版を公表した。*1
それとともに、問題となってくるのは、これまで想定されていなかった事柄に対してどのような規則を設けていくかということだ。
例えば、自動運転車の場合でいけば、これが事故を起こした時にその責任はだれが、どのように負うのか、といったような具合に。
容易に想定できるような事態であれば、製造者の責任としてもよいのかもしれない。これまでの機械の延長のように、説明書に注意書きをつけて。
しかし、電子レンジに猫を入れて乾かすような事柄を逐一考慮に入れることは果たして可能であろうか。


私たちは、現実を把握する段階で、起こりうる事柄の可能性、社会の複雑性を「縮減」しながら生きている。
例えば、乗り込んだ通勤電車がいきなり逆方向に走って行って、会社に辿りつけないなどとは考えない。
そんなことを考えていては身がもたないし、効率的ではない。
コンピュータも同じように可能性を「枝切」することで効率化をする場合がある。人間の場合とは違って、刈りとられる可能性は明確に定義してやる必要がある。
その時、いわば「二重の想定外」によって、刈りとられた枝から大きな火の手があがることがありうる。
そのようなとき、私たちはどのように対処できるだろうか。


まさにそのような場面が、将棋電王戦FINAL 第2局 永瀬拓矢 六段 vs Seleneで起こった。時刻は19時を回った頃だっただろうか。

上の図の場面で、先手のSeleneは将棋のインターフェースソフト「将棋所」*2に▲2ニ銀の信号を送った。
局面は王手がかかっているから、この手をもってSeleneの反則負けとなった*3
先週のBlogで書いたような小学生のうっかり、のようにも見える。


なぜこのようなことが起こったか。
コンピュータ将棋プログラムでは、読む「無駄な」局面の数を減らすことが一つの重要な要素になる。
将棋のルールに沿った手は有限とはいえ、それをすべて読んでいては限界がある。
ドアを開けたら、天が落ちてくるかもしれない、電車に乗れば逆に行くかもしれない、と考えていれば、日常を送れないのと同じだ。
そこで、例えば、起こりにくい手は読まない、ということをプログラムに組み込むことになる*4
将棋の飛車・角行・歩兵の三種の駒は成った*5場合、元の駒の動きを包含して動ける場所が増える。だから、普通は成らない手は得にならないし、起こらない*6
そこで、そうした手は読む枝から切り落とす、といったように*7
Seleneの「生きる」世界には△2七角という手は存在しなかった。
そして、反則となる手を指してしまった、ということだ。


ただ、局面自体は永瀬六段の勝ち。
私が指し継いだら負ける自信があるけれど、10数手先には詰みかもしくはそれに近い状態になるということだ。
一方、この時点では、コンピュータ側は自分の方がよいと思っている。コンピュータは幅広く手を読むが深く読むのは評価すべき局面数が等比級数的に増えていくので難しい。
コンピュータよりも深く深く先を読んで行けるのは実はプロ棋士が非常に効率よく、「枝切」をしているからだとも言われる。*8
起こりうる「世界」をいかに効率的に、そして正確に絞り込めるか、という能力で勝負がついた、といえるのかもしれない。


永瀬六段は事前の研究で、Seleneは不成を認識できないということを知っていた。*9
彼の読みの範囲では「勝ち」だったけれども、しかしながら、強敵であるSeleneが予想だにしない手を用意している可能性は考慮に入れていた。
であれば、勝つ確率を上げるために出来ることはなんでもするのが勝負師。*10
穴熊は指すな。右玉は指すなと言われた時代もあった。今は許されるだろう。
勝つための手段として、あらゆる可能性を捨てなかった。責められるべきことは何もないだろう。


では、プログラムの側ではどうか。
コンピュータ将棋の草創期には、ルール通りに指すことができない、ということもよくあったようだけれど、プロ棋士を負かす、という段階に来て、そして数万人が見守るような環境でのこの事態は大きな衝撃を与えた。
バグだ、と言ってしまえば簡単だ。
不成は起こりうることだし、予期できる範囲だ、と言われればそれまでだ。
しかし、本当に想像だにできないような事態が起きた時に、それにコンピュータが対応できなかったとして、その責任は、誰が、どのように負うべきものなのだろうか。
もちろん、将棋ソフトは盤面の負けで終わる。それ以上に責を負うべきことは何もない*11


では、それ以外には?私たちは「可能性」を考慮に入れなければならないことを学んだはずだ。
電車が逆走して、会社に遅刻したくらいなら、笑い話で済むかもしれないけれど。


##
毎週毎週見せられるというか、考えさせられるというか、おもしろいですね。
自分なら、その可能性があっても、不成はちびって指せないかもしれません。
将棋のプロであるだけでなく、勝負のプロだということでしょう。
ともあれ、来週勝てば、今回の団体戦は棋士側勝利ということになるわけですが、いかに。

*1:http://japanese.engadget.com/2014/12/22/google-self/

*2:http://www.geocities.jp/shogidokoro/

*3:王手放置は反則負け

*4:枝切などという

*5:「成」とは、敵陣(敵側から3段以内)に入るかそこを起点として動いた場合に駒を裏返す表示をして動きを変えることのできるルール。駒の動きはhttp://www.shogi.or.jp/shogi/hon/03.html

*6:打ち歩詰という反則を回避するためなどの理由で成らないということも稀に起こりうる。プロでも実戦例がある。第24期(1983年)王位戦リーグ白組5回戦 大山康晴谷川浩司など参照。打ち歩詰めはhttp://www.shogi.or.jp/shogi/hon/05.html

*7:一般的には読みからは切り落としても、指されれば合法的な手としては認識できるようにしていると思われる。よって正確には今回の件は「枝切」の本質とは関係がない。

*8:過去の経験則に基づく。だからこそ、反対にコンピュータが「想定しない=プロ同士では良くないだろうと思われていて読まない」手を指すことも多くありうる。こうした枝切に特色があるのでプロに「何手読むんですか?」というのはあまり意味が無いのかもしれない。

*9:と同時に、修正されている可能性があること、またそれがされていたとしても受け入れる、という気持ちでいたようだ。

*10:たとえ修正されていたとしてもコンピュータの読み筋と一致した場合としない場合では、思考時間に差が出ることが多い

*11:プロだって反則負けをすることはある。二歩などはたまに目にするが、角の効きに自ら飛び出して反則負けした方もいたようだ。

将棋と意味と、そして、人工知能と

小学生の頃、僕らの指す将棋は、あくまでも王様を取られるまで続いた*1をして投了するところ、Aperyがコンピュータ将棋特有の「王手ラッシュ」を始めたのだ。
解説の鈴木大介八段は、「棋譜を残すのが仕事」というとおり、将棋棋士には棋士の美学があり、無駄に王手だけを重ねる行為は好まれない。
ある程度の局面が来たら投了することが作法とされる。
一方で、コンピュータにそんなことは関係がない。


わかりきった負けの局面を自分の思考の限界の外へと押しやろうと王手を続ける(水平線効果*2)。
これまで、棋士を負かしつづけてきた、あの鬼のように強いコンピュータが、まるで小学生のころの僕達と同じような手を繰り返すのだ。
この手の連続には賛否が巻き起こった。*3


鈴木八段のように、許せない、とする人もいれば、
電王戦というイベントそのものがこうした「異文化」の交流なのだから、
これも含めてみるべきだとする人もいた。


ともに理はある。というより、これは美学の問題であって、
とやかく言えることではないだろう。
「水平線効果」自体は中盤でもそれに近いものが生じていたようだ*4し、
評価値(コンピュータの局面の評価)が一定以上になれば自動で投了しろというのも違うだろう。

(人間には見えにくいような長手数の詰みが生じている場面などもあり得る。そもそも、評価値が絶対的に正しいというのを前提とするのならば勝負をする意味が薄れる。)
つまりは、あのような手が生じてしまうこと、そして、それを人間(の一部)が美しくないと感じてしまうことは、まさに「思考」のあり方の違いから起こることなのだ。


折しも、人工知能をめぐる議論が盛んである。
あと10年もすれば、多くの仕事がコンピュータに取って代わられるとも言われる*5
国も、人工知能に関連した検討をはじめている。*6
各種の分野でコンピュータにやらせたほうが良い結果が生まれる時代になっていくのだろう。
そうした時に、「将棋」という分野のトップクラスの「人間」が「コンピュータ」と真っ向から戦い、そして、そこに「思考」の方法と「美学」の違いが鮮明に現れるというのは非常に興味深いケースだと言える。


コンピュータは、「将棋」を指さない。
与えられたルールの通り、統計的によい*7とされる局面に進むように「動作」する。
一手一手に「意味」もなく、「美学」もない。
それはコンピュータの強さの源そのものでもあり、「弱点」でもある*8
将棋のルールは完全ではなく、そこに人間らしさがあるとともに「軋轢」も生じるのだろう*9
これからの世界に踏み込もうとする私たちがすべきことは、この「美学」のなさを罵ることではなく、また、「軋轢」の存在を認めずに敵を非難することでもなく、この鬼のようでもあり、子どものようでもある存在のについて考え、そして、その動作に「意味」を与えてやることにこそあるのではないだろうか。


<単なる感想>
電王戦FINALへの道、という連続ドキュメントを見ていたこともあって、期待感はあったものの、
近年のコンピュータ将棋の成長は目覚しく、棋士側が勝つのは難しい面もあるだろうと思っていました。
そこで、このような激しい勝負を制し、また、最後もバッサリとした決め方を選んだところに、斎藤五段の強さを見ましたし、
逆にApery開発者の平岡さんも、認めるべきことをきちんと認め、また、棋士に対するリスペクトも感じました
(上記の王手ラッシュについても、事前に配慮されていたようです。)。
どうしても、人間対コンピュータと言う図式になりがちですが、開発者の方々の言をTwitter、Blogなどを通じて見るに、
プログラマという人間が、非常に大きなエネルギーを費やしていることが、分かりますし、人間同士のドラマとして、非常に楽しませて頂いています。
棋士という人々が天才かつ非常な努力をされていて、人間離れしていることは以前から聞いていましたし、この勝負を見てもわかることですが、
それと同じように、プログラマの方々も色々な思いを積み重ねていらっしゃるのだと思います。


来週土曜日には第二局が開催されますので、ご関心の方はニコニコ生放送をご覧になってはいかがでしょうか。
http://ex.nicovideo.jp/denou/


<追記的感想>
局面評価を行って、形作りする機能をつけろ、という議論がある。
それによって、もしかすると対人間の勝率は上がるかもしれないともいう。
しかし、おそらくコンピュータは2つ以上のルールを(メタレベルで)切り替えながら、「思考」方法を変えることは比較的不得手な部類ではなかろうか。(端的には入玉勝負に現れる)
そもそも、なんでそんなことをしなければならないのかと言われればそのとおりだ。

しかし、商用のソフトウェアでは、そのような機能やあるいは「解説」「指導」といった、単に「強い」以外の機能が求められる面はあると思う。(そうしたことに価値を認めて研究する人もあるようだ)

*1:本来、将棋のルールでは王様は取らない。詰めることが目的で王手放置は反則扱い(http://www.shogi.or.jp/shogi/hon/05.html)))。 負けが確定すると、相手に王手をかけて、「一手違いだった」などと強がった。 あれほど強いコンピュータが、あの頃の僕らのように見えた。 京都は二条城を舞台にした電王戦FINAL第1局 斎藤慎太郎 五段 vs Apery  現役のプロ棋士とコンピュータが戦う第2回からの電王戦では、プロ側からみて2勝7敗1分と圧倒的な負け越しの状況で今回の”FINAL”を迎えた。 小雨の二条城に入ってくるときにはやや緊張した面持ちだった斎藤五段も、対局が進むにつれて集中していくのが目に見える。 対局は居飛車四間飛車のいわゆる「対抗形」に進み、やや優勢な序盤から先手側の斎藤五段がリードを広げ、125手までで勝利をおさめた。 問題となったのは、斎藤五段の勝ちが誰の目にも明らかになった局面。 プロ棋士同士の対局ならば、数手の形作り((勝ちにならないが「美しい」投了図を作るために詰めろなどをかける

*2:コンピュータ将棋の思考は基本的に可能な手をすべて読む。よって深さ(10手なら10手。20手なら20手)に限度がある。王手をその深さの限界まで続けると「負け」の局面に到達しないため、王手をしない時と比べて有利であると錯覚する

*3:http://togetter.com/li/794992

*4:https://twitter.com/ayumu_sugita/status/576777624929751041

*5:「オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」702業種を徹底調査してわかった」現代ビジネス, 2014.11.8 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40925

*6:例えば「インテリジェント化が加速するICTの未来像に関する研究会」総務省http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/intelligent/index.html 同研究会では、電王戦主催のドワンゴ会長CTOの川上量生氏も委員となっている。

*7:近年のコンピュータ将棋では、多くの棋譜(過去の将棋のデータ)から機械学習と呼ばれる方法で局面の良さを認識している。流行り風に言えば「ビッグデータ」。

*8:現に、意味的な理解がないことにより長手数先が読めず「ハメ手」的なものにハマることもある。

*9:不完全さは例えば、相入玉の宣言法などに見られる。同意せず、相手が死ぬまで指し続けたらどうなるのか、という思考実験を聞いたことがあるが、コンピュータ対人間ではありうることだろう。現に第二回の塚田九段vsPuella α、年末の森下九段対ツツカナ戦は近いものを感じた。

父からのお礼

昨日、神保町にて、父・神足裕司と私との共著『父と息子の大闘病日記』と父と母との共著『生きていく食事 神足裕司は甘いで目覚めた』の出版を記念したサイン会と出版記念パーティが開かれました。
お陰様で盛会となりましたことをご報告するとともに、あつく御礼を申し上げます。



父はパーティに向け、ご挨拶の言葉を書きました。
これはいつも応援してくださっている皆様への御礼の言葉です。
ぜひお伝えしたいと思い、こちらにアップすることといたしました。
今後ともよろしくお願いします。


皆様 今日はありがとう。
 ボクがボクでありつづけるために、こんなに多くの人たちが関わって、応援してくれていることを改めて知る会となることでしょう。
 今のボクはひとりでは外を出歩くこともできない。それどころか、ベッドの上で寝返りすらできない身体であります。こうして書いていることもどうやら次の瞬間には忘れてしまうようなのです。そんなボクが病気から3冊もの本を出すことができたのは、ここにいる皆さん、それとここにはこれなかったけれど、忙しくてもいつも応援してくれているボクの大切な人たちのお陰です。
 ボクの心の窓となり、足となり、この世のことを教えてくれるのもそんな友人や家族たちです。
 ボクの脳はまだどうにかしてしまっていて、夜中に目覚めた時、動かない身体や、なんでこうしているのかもわからなくて急に暗やみに突き落とされたような気分になることがあります。これが夢なのか、ベッドの中で毎回同じ夢を見ているような気持ちになり、恐ろしくなります。
 でも朝起きてみると家族の顔があり、声があり、あそびにきてくれる友人たちがいて、ボクは平常を取り戻します。
 ボクは今のボクにしかできないことを少しずつ頑張りたいと思います。
 本当に皆さんありがとうございます。
 また、遊びに来てください。

父と息子の大闘病日記

父と息子の大闘病日記

生きていく食事 神足裕司は甘いで目覚めた

生きていく食事 神足裕司は甘いで目覚めた

将棋で見るワールドカップ

長いようで短かったサッカーFIFAワールドカップも、明朝の決勝戦で全試合日程が終了となります。
決勝はドイツ対アルゼンチン。
優勝候補として、ブラジル・アルゼンチン・ドイツ、を挙げていたのですが、準決勝ではまさかの結果もありました。


日本代表は残念な結果となりましたが、質の高い試合を短期間にたくさん見られて満足です。


さて、今こんな本を読んでいます。


将棋とサッカー?ぜんぜん違うじゃん、と思われるかもしれません。
でも、例えば、プロ棋士の野月七段はサッカーから着想を得て、新戦法を編み出したりしているんです。
それぞれの戦術によって得手不得手が生まれたり、いろいろな選手(駒)のコンビネーションでゴール(詰み)が生まれたりと共通点も多いのです。


詳細はこの本に譲りますが、ちょっと将棋をかじったことがあるサッカー好きならうなずきまくりで首が痛くなるかもしれません。


例えばこの本では、矢倉戦法をポゼッションサッカーに、四間飛車をカウンターサッカーに例えています。
まさに我が意を得たり、という感じです。


その流れで、日本代表をみてみましょう。
個人的には、日本代表(2014)は初手7六歩、3手目8六歩と突いていく居飛車党のイメージです。
正統派の攻撃型という感じで捉えてもらえればと思います。
後手の対応によって、戦法が分かれてきます。
日本代表が一番得意なのは横歩取りだと思います。*1
大駒(本田)や桂(香川)が入り乱れ、序盤から激しい撃ち合いになります。
それがうまくハマれば高位のチームを倒す力も持っているといえると思います。


他方で相手がカウンターの布陣を敷いてきた時には苦手意識があるようです。
相手がどんな体制だろうと、
とにかく棒銀を仕掛けていって、相手(四間飛車)にうまくさばかれ、
堅さを活かしたカウンターにハマるケースも見られるように思います。*2
「自分たちらしい」サッカーの魅力はもちろん感じるのですが、そうでない展開になった時の「裏芸」のようなものを身につけていけるといいですね。


今回決勝に進んだドイツはまさに両方できるチームだと思います。
(個人的にはショートカウンターのイメージが強いですが)
羽生名人のようなオールラウンダー、そんな感じがします。


対するアルゼンチンはマスチェラーノを中心とした固い守備から、最後の最後でメッシという強烈なアタッカーが決めるという、森内竜王のようなサッカーを展開しているといえるのではないでしょうか。
(W杯前の名人戦解説で元日本代表の波戸さんと深浦九段は、森内竜王をイタリア、羽生名人をブラジルに喩えていました。二チームは残念な結果に終わってしまいましたね)


準決勝の消耗も込で2-1ドイツと予想しておきたいと思います。
ワールドカップが終わったら将棋も見てみてください。
(サッカーと将棋といえばこの漫画もおもしろいです。
ナリキン! 01 (少年チャンピオン・コミックス)

おわりに

以上駆け足ではありますけれども、将棋の見どころと最近読んでよかった棋書を紹介してみました。
ちょうど日曜日の午前中にはNHK将棋トーナメントもありますし、ニコ生(http://ch.nicovideo.jp/shogi )で観ることもできます。
是非一度ご覧になってみてください。
やってもやっても新戦法は出てくるし、全く同じ形の終局図にもなりません。
将棋の世界は海原のように広いです。


ほんとは棋士の紹介とかしてみたいところですが、自分の力不足もありますし、長くなってしまうので今日はこんなところで!


指してみたくなった方
どうぶつしょうぎウォーズと同じ会社の将棋ウォーズがあります。(招待ID(ry)
https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.heroz.android.shogiwars&hl=ja
・弱い練習相手としてハム将棋があります。
http://www.hozo.biz/shogi/
・番外編として、コンピュータ将棋については以下の書籍がおすすめです。若干ゲーム理論とかの勉強にもなるかも。

4.序盤戦

もうこれを読んでください。これで決まりです。


序盤は戦法によって駒組みと言いました。
ここで不利になるとかなり厳しいです。
なので、近年はここで少しでも有利にするための研究が進められています。
(研究に基づく一連の駒の動かし方を定跡といいます。ちなみに囲碁では定石です。)


例えば、昔は穴熊という(めちゃめちゃ固い)囲いはあまり用いられなかったのですが、
王が固いほうが勝ちやすい、ことがわかってきたので、これを目指すことが多くなってきました。
穴熊に囲われてしまえば、作戦負けに近い状態になりかねない
→組むまでに時間がかかることを突いてこちらは守備はそこそこに攻めかかろうとする。
→穴熊に組むと見せかけて守備の弱い隙をついて攻めかかる
→守備はそこそこにする戦法を取ると見せかけて(ry
といったように、誰かが対策を取れば、それに対して誰かが更に対策を取り、と進歩していくわけです。


こうした最近の動きを非常にわかりやすくまとめたのが上の二冊です。
将棋の本というと訳の分からない暗号(▲7六歩とか)で書かれているのが定番ですが、この本はそういうのがあまりわからない方でも読めるようにできています。矢印とか使われていて、初めて読んだとき感動しました。


「研究」という言葉がピッタリ来るように、実は序盤は本当に細かいところまで突き詰められていて、それぞれの戦法で「専門書」が出ている(一方、もちろん「奥の手」は発表しないで隠し持っているのでしょうがw)のですが、そういう本はちょっと難しいので一旦パス。
どういう考え方で駒を組んでいっているのかを知っているとずいぶん世界が違って見えるはずです。
実力伯仲のプロ同士の対局ではわずかな差が命取り。
49対51みたいな微差でもそれを広げていかれてしまいます。実は始まった瞬間からすごい神経戦が繰り広げられているのです。


…ちゃぶ台を返すようですが、「名人に定跡なし」といいます。
必ずしもプロの将棋は定跡通りの進行にはならないことにご注意を。
(悪くなってしまう、という結論が出た定跡があればどこかで手を変えないといけない。あるいはそれまでの常識にはない新戦法などが出ることも)

3.中盤戦

難しいところです。わかりません。
序盤は初期配置から計算していくことができます(そのまま終盤に突入するまで研究されている戦法もある)。
最終盤は「正解」があるはずです。(終盤はそこからの逆算がある)
中盤はその間に挟まれていて、どっちからも計算していきにくい上、上にも書いたように選択肢が多いからです。


最初の戦力は同じわけですから、相手の駒をとったほうが得になります。
しかし、単純にとればよい、というわけではありません。
序盤にせっかく固めた守り(駒の連結)が外れてしまっては損になります。
戦いが起きている場所から遠く離れた方に駒が入っては非効率的です。
戦力を増強すると同時に相手の戦力を削いでいき、十分というところでいよいよ最終盤へと突入していくわけです。


攻め方については私の敬愛する藤井猛九段*1が最近出した以下の本はわかりやすかったです。

*1:将棋の戦法は大きく居飛車振り飛車にわかれますが、私は振り飛車を多く指します。藤井九段は振り飛車界のスターで革新的な新戦法をいくつも編み出しています。