そして、それは「敵」なのか−人と機械(後編)
「ケンカとは、どうやっても勝たなければならないものだ。そのためには、相手の金玉を蹴り上げ、指を突っ込んで目の玉をほじくり出してやれ!」
とぼくは乱暴に言った。
息子の返事はこうだった。
「パパ、ボーリョクはいけないんだよ」」
(神足裕司『パパになった男』主婦の友社, 1997, p.110)
勝負事に負けるというのは辛いことだ。
そして、勝ちにこだわればこだわるほど、負けた時の辛さは増していく。
周りからは、半ば願望を反映した批判も届く。
青木真也選手と長島自演乙選手が立ち技系と総合系のミックスルールで戦った際には、青木選手が立ち技系での戦いを避けたことで、大きな批判も上がったことを覚えている。そして、長島選手の勝利に対する歓声も。
いや、批判は敗者にだけ向けられるのではない。
それでもなお、「勝たなければならない」というのはどういうことなのだろうか。
はたして、そうしたものと対峙するということはどのようなことだろうか。
電王戦FINAL第5局、阿久津主税八段対AWAKEの一戦が、思いがけないような短手数(21手)で幕を閉じたあと、ニコファーレの椅子に座って、私は考えていた。
結果から言えば、今回の電王戦FINALはプロ棋士側から見て3勝2敗と、
団体戦形式が始まって3度めにして、初めて勝ち越すことになった。
その背景には、プロ棋士の膨大な研究があった。
時間の使い方、勝ちやすい戦型、読みの特徴。
その中には、人間相手に「勝ちやすい」戦い方とは異なるものが、含まれており、今回の第5局では、それが明確に表に出た。
元奨励会員でもある開発者は、対局がその道に進んだのを見て投了した。
憤りと失望を隠すこともなかった。
与えられたルールの中で最善をつくすのはあたりまえだという、人がいる。
そのやり方が一番勝率を高めるのなら、そうすべきだという考え方だ。
一方で、それが「ハメ手」にうつるという人もいる。
ましてや、コンピュータ・ソフトは事前貸出だ。
こうした、プログラムの特性上、全く同じ条件を提示されれば、確率論の中でその道を選ぶことは十分な可能性がある。つまり、人間のように一度ハマったから、修正して、違う手を指そう、とはならないわけだ。
落とし穴にハマることがわかっている相手がいるからといって、落とし穴を掘ればそれでよいのか。
「美学」からそれを嫌う人もいる。
おそらく、「棋士」の中にこそ、そうした考えの人が多いだろう。
ではなぜ、そのような手を選ばなければならなかったのか。
プロにとって、ああした手を選ぶことがどれだけの無念さをともなうものなのか、私にとっては想像すらできないが、負ける「恥」と比べて、どれだけの大きさだったのか。
今までの敗戦の歴史を欠いて語ることはできない。
プロはやはり、第一義的にはその強さによって魅力を保ってきた。
事実、第2回電王戦後には、将棋から離れていった人もいた*1。
電王戦がHUMAN vs. Computerと題された時点でこうなることは決まっていたのかもしれない。
途中からは、共存をうたい、「タッグマッチ」なども試みられたが、必ずしも成功したとは言いがたかった。
何も、将棋の世界の話だけではない。
テクノロジーによって、仕事が奪われているという議論は前々から存在するし、その処方として共存が提示されたりもしている。
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コンピュータは進歩する。
それもものすごいスピードで。
ディープラーニング、という技術は、機械が自らどの項目を重視すべきかを発見してくるものだという。*2
それが、機械の改良に応用されて行ったら?
爆発的な発展が起こることは目に見えている。*3
では、人間はどこかに置いて行かれてしまうのだろうか。
そこに待っているのは、単なる失業なのか、あるいは、働かなくても暮らしていけるユートピアなのか。
しかし一方でこうも思えるのだ。
どこに機械を使い、どこに使わないか、という判断はしばらくは人間の手に残るのではないだろうか、と。
思えば、第5局の投了も、開発者の手によるものであった。
一見正常に動作しているようにみえる、高性能な機械の動作を、(ひょっとすると性能に劣っているかもしれない)人間が判断しなければならない。こんな主張は奇妙に見えるかもしれない。
しかし、今回の電王戦を見ていて感じたことは、メタなレベルで、ゲームの種類を判別して異なる判断の様式を(無意識のうちに)用いている人間の姿だった。
川上会長の「コンピュータと人間が競争するということがそもそもおかしい」というのと、裏表の意味であえて言うならば、
「機械との共存」は異なる次元に置いてしか、成立しないのかもしれない。
今日の第5局では、あまりにも早い決着にエキシビジョンマッチが組まれた。
AWAKEのあとを(角を打つ前の局面)から永瀬六段*4が指しつぐ形で。
終盤の妙手がいくつも繰り出される熱戦の末、阿久津八段が勝利した。
印象的だったのは、感想戦の様子だ。
エキシビジョンだったということもあってか。本当に楽しそうにいつまでも手を語り合う二人の姿が見えた。
機械との共存とは、こういうことなのかもしれない。
最後に、有名なコピペを一つご紹介しよう。
メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。旅行者が
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、
漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、
女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、
きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、
漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。
お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、
ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、
日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、
子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」「お金持ちの不思議。 : ひろゆき@オープンSNS」2006.9.14 http://hiro.asks.jp/9161.html?thread=204489
- 作者: 松尾豊
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 中経出版
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熱情が世界を変えるとき−人と機械(前編)
「正直言ってどの手が悪かったのか分からない」
三浦弘行八段(当時)の言葉が印象的だった。
第2回将棋電王戦は最終局を終えて、プロ棋士側から見て、1勝1分3敗という成績に終わった。
1戦目の阿部光瑠四段対習甦こそ、阿部四段が勝利したものの、二戦目の佐藤慎一四段がPonanzaに現役プロ棋士として初めてコンピュータソフトに敗れ、
数百台のコンピュータをつないだGPS将棋の底知れぬ強さに敗れた、三浦八段の冒頭の言葉に至って、私たちは大きな衝撃を受けた。
それから少しあと、私は再びニコニコ生放送の画面に釘付けになっていた。
将棋倶楽部24*1に参戦したPonanzaが次々と強豪を撃破し、歴代最高のレーティング*2を更新し続けていった。
その模様をPonanza作者の山本一成氏と将棋ネット記者の松本博文氏が中継していたのだ。
Ponanzaの鬼のような強さとは対照的に、アットホームな雰囲気。
著名将棋開発者を始めとした豪華なゲスト。
渡辺明竜王(当時)、保木邦仁氏(Bonanza開発者)までも登場した。
将棋の内容もさることながら、製作者の思い入れやソフトウェアの手法、あるいは電王戦の裏話と非常に興味深い内容だった。(と思う。少し前のことなので、記憶が混戦している可能性がある)
プログラムやコンピュータは私たちの生活に身近なものになっているけれども、それを作ってる技術者、プログラマの存在を感じることは多くない。
この放送では、人間味のあふれる姿、そして活気あるコミュニティが目の前に現れたのだ。
現在の将棋ソフト製作者それを本業としていない人も多い。
歴史上、アマチュアリズムが技術を動かしてきた例は多く見られる。
例えば、ラジオ*3、最近で言えばハッカー文化もその一例に成るかもしれない*4。
将棋ソフトにも同じようなところがあるのかもしれない。
私たちはソフトウェアや技術を「ただそこにあるもの」として認識してしまいがちだ。しかし、その後ろには、多くの「天才たち」の知られざる人間ドラマがあるのだ。
ドキュメント コンピュータ将棋 天才たちが紡ぐドラマ (角川新書)
- 作者: 松本博文
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
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その一端を紹介したのが、この『ドキュメント コンピュータ将棋』である。
「コンピュータ(プログラミング)」も「将棋」も非常に専門性の高い話題であり、ともすると難しい専門書のようになってしまいがちだ。
しかし、本書では、将棋やプログラミングの専門用語や符号をほとんど使わず(使ったとしても、簡潔な解説が挟まれている)、今回の電王戦に至る経緯を見事に描いている。
現在進行中の電王戦FINALで話題となった「投了の美学」やバグの問題、プロの戦法選択にも触れられており、プログラマの生い立ちや将棋棋士の矜持など「人間対人間」のドラマとしての電王戦を楽しむためには必携の一冊となっている。
更に、技術的なトピックにも触れられており、コンピュータ将棋観戦者によくありがちな誤解もといてくれる。
2010年の清水女流対あから2010の一戦から数えれば、5年の長きにわたった電王戦も来週の電王戦FINAL第5局、AWAKE対阿久津主税八段戦でひとつの区切りを迎える。
世の中は大きく変わった。コンピュータもAIも進歩した。
10代の人達の中には「コンピュータが勝つなんて当たり前でしょ」なんて考え方をする人が出てくるくらいに。
奇しくも、AWAKEの作者巨勢亮一氏は元奨励会員*5である。
少年の頃、夢破れた場所に自ら作ったソフトを携えて戻ってくる。
『ドキュメント コンピュータ将棋』を横に、ご覧になってはいかがだろうか。
*1:インターネット上の将棋対局場
*2:強さを表す指標。勝利すると上がり、敗戦すると下がる。
*3:例えば、ネット上で読めるものとして綾部広則「情報通信分野におけるアマチュアの役割―世紀転換期米国におけるラジオアマチュアの活動から―」『情報通信をめぐる諸課題』http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_9104297_po_20140203.pdf?contentNo=1
*4:飯田豊「「技術思想としてのアマチュアリズム― 日本の電気通信技術をめぐる市民参加の歴史社会学 ―」http://www.taf.or.jp/report/28/index/page/P018.pdf
誰にもない責任を誰が負うか
SFの世界でしかあり得なかったようなことが次々と起こっている。
Googleは自動運転車の実験を行い、昨年12月にはプロトタイプの完成版を公表した。*1
それとともに、問題となってくるのは、これまで想定されていなかった事柄に対してどのような規則を設けていくかということだ。
例えば、自動運転車の場合でいけば、これが事故を起こした時にその責任はだれが、どのように負うのか、といったような具合に。
容易に想定できるような事態であれば、製造者の責任としてもよいのかもしれない。これまでの機械の延長のように、説明書に注意書きをつけて。
しかし、電子レンジに猫を入れて乾かすような事柄を逐一考慮に入れることは果たして可能であろうか。
私たちは、現実を把握する段階で、起こりうる事柄の可能性、社会の複雑性を「縮減」しながら生きている。
例えば、乗り込んだ通勤電車がいきなり逆方向に走って行って、会社に辿りつけないなどとは考えない。
そんなことを考えていては身がもたないし、効率的ではない。
コンピュータも同じように可能性を「枝切」することで効率化をする場合がある。人間の場合とは違って、刈りとられる可能性は明確に定義してやる必要がある。
その時、いわば「二重の想定外」によって、刈りとられた枝から大きな火の手があがることがありうる。
そのようなとき、私たちはどのように対処できるだろうか。
まさにそのような場面が、将棋電王戦FINAL 第2局 永瀬拓矢 六段 vs Seleneで起こった。時刻は19時を回った頃だっただろうか。
上の図の場面で、先手のSeleneは将棋のインターフェースソフト「将棋所」*2に▲2ニ銀の信号を送った。
局面は王手がかかっているから、この手をもってSeleneの反則負けとなった*3。
先週のBlogで書いたような小学生のうっかり、のようにも見える。
なぜこのようなことが起こったか。
コンピュータ将棋プログラムでは、読む「無駄な」局面の数を減らすことが一つの重要な要素になる。
将棋のルールに沿った手は有限とはいえ、それをすべて読んでいては限界がある。
ドアを開けたら、天が落ちてくるかもしれない、電車に乗れば逆に行くかもしれない、と考えていれば、日常を送れないのと同じだ。
そこで、例えば、起こりにくい手は読まない、ということをプログラムに組み込むことになる*4。
将棋の飛車・角行・歩兵の三種の駒は成った*5場合、元の駒の動きを包含して動ける場所が増える。だから、普通は成らない手は得にならないし、起こらない*6。
そこで、そうした手は読む枝から切り落とす、といったように*7。
Seleneの「生きる」世界には△2七角という手は存在しなかった。
そして、反則となる手を指してしまった、ということだ。
ただ、局面自体は永瀬六段の勝ち。
私が指し継いだら負ける自信があるけれど、10数手先には詰みかもしくはそれに近い状態になるということだ。
一方、この時点では、コンピュータ側は自分の方がよいと思っている。コンピュータは幅広く手を読むが深く読むのは評価すべき局面数が等比級数的に増えていくので難しい。
コンピュータよりも深く深く先を読んで行けるのは実はプロ棋士が非常に効率よく、「枝切」をしているからだとも言われる。*8
起こりうる「世界」をいかに効率的に、そして正確に絞り込めるか、という能力で勝負がついた、といえるのかもしれない。
永瀬六段は事前の研究で、Seleneは不成を認識できないということを知っていた。*9
彼の読みの範囲では「勝ち」だったけれども、しかしながら、強敵であるSeleneが予想だにしない手を用意している可能性は考慮に入れていた。
であれば、勝つ確率を上げるために出来ることはなんでもするのが勝負師。*10。
穴熊は指すな。右玉は指すなと言われた時代もあった。今は許されるだろう。
勝つための手段として、あらゆる可能性を捨てなかった。責められるべきことは何もないだろう。
では、プログラムの側ではどうか。
コンピュータ将棋の草創期には、ルール通りに指すことができない、ということもよくあったようだけれど、プロ棋士を負かす、という段階に来て、そして数万人が見守るような環境でのこの事態は大きな衝撃を与えた。
バグだ、と言ってしまえば簡単だ。
不成は起こりうることだし、予期できる範囲だ、と言われればそれまでだ。
しかし、本当に想像だにできないような事態が起きた時に、それにコンピュータが対応できなかったとして、その責任は、誰が、どのように負うべきものなのだろうか。
もちろん、将棋ソフトは盤面の負けで終わる。それ以上に責を負うべきことは何もない*11。
では、それ以外には?私たちは「可能性」を考慮に入れなければならないことを学んだはずだ。
電車が逆走して、会社に遅刻したくらいなら、笑い話で済むかもしれないけれど。
##
毎週毎週見せられるというか、考えさせられるというか、おもしろいですね。
自分なら、その可能性があっても、不成はちびって指せないかもしれません。
将棋のプロであるだけでなく、勝負のプロだということでしょう。
ともあれ、来週勝てば、今回の団体戦は棋士側勝利ということになるわけですが、いかに。
*1:http://japanese.engadget.com/2014/12/22/google-self/
*2:http://www.geocities.jp/shogidokoro/
*3:王手放置は反則負け
*4:枝切などという
*5:「成」とは、敵陣(敵側から3段以内)に入るかそこを起点として動いた場合に駒を裏返す表示をして動きを変えることのできるルール。駒の動きはhttp://www.shogi.or.jp/shogi/hon/03.html
*6:打ち歩詰という反則を回避するためなどの理由で成らないということも稀に起こりうる。プロでも実戦例がある。第24期(1983年)王位戦リーグ白組5回戦 大山康晴対谷川浩司など参照。打ち歩詰めはhttp://www.shogi.or.jp/shogi/hon/05.html
*7:一般的には読みからは切り落としても、指されれば合法的な手としては認識できるようにしていると思われる。よって正確には今回の件は「枝切」の本質とは関係がない。
*8:過去の経験則に基づく。だからこそ、反対にコンピュータが「想定しない=プロ同士では良くないだろうと思われていて読まない」手を指すことも多くありうる。こうした枝切に特色があるのでプロに「何手読むんですか?」というのはあまり意味が無いのかもしれない。
*9:と同時に、修正されている可能性があること、またそれがされていたとしても受け入れる、という気持ちでいたようだ。
*10:たとえ修正されていたとしてもコンピュータの読み筋と一致した場合としない場合では、思考時間に差が出ることが多い
*11:プロだって反則負けをすることはある。二歩などはたまに目にするが、角の効きに自ら飛び出して反則負けした方もいたようだ。
将棋と意味と、そして、人工知能と
小学生の頃、僕らの指す将棋は、あくまでも王様を取られるまで続いた*1をして投了するところ、Aperyがコンピュータ将棋特有の「王手ラッシュ」を始めたのだ。
解説の鈴木大介八段は、「棋譜を残すのが仕事」というとおり、将棋棋士には棋士の美学があり、無駄に王手だけを重ねる行為は好まれない。
ある程度の局面が来たら投了することが作法とされる。
一方で、コンピュータにそんなことは関係がない。
わかりきった負けの局面を自分の思考の限界の外へと押しやろうと王手を続ける(水平線効果*2)。
これまで、棋士を負かしつづけてきた、あの鬼のように強いコンピュータが、まるで小学生のころの僕達と同じような手を繰り返すのだ。
この手の連続には賛否が巻き起こった。*3
鈴木八段のように、許せない、とする人もいれば、
電王戦というイベントそのものがこうした「異文化」の交流なのだから、
これも含めてみるべきだとする人もいた。
ともに理はある。というより、これは美学の問題であって、
とやかく言えることではないだろう。
「水平線効果」自体は中盤でもそれに近いものが生じていたようだ*4し、
評価値(コンピュータの局面の評価)が一定以上になれば自動で投了しろというのも違うだろう。
(人間には見えにくいような長手数の詰みが生じている場面などもあり得る。そもそも、評価値が絶対的に正しいというのを前提とするのならば勝負をする意味が薄れる。)
つまりは、あのような手が生じてしまうこと、そして、それを人間(の一部)が美しくないと感じてしまうことは、まさに「思考」のあり方の違いから起こることなのだ。
折しも、人工知能をめぐる議論が盛んである。
あと10年もすれば、多くの仕事がコンピュータに取って代わられるとも言われる*5。
国も、人工知能に関連した検討をはじめている。*6
各種の分野でコンピュータにやらせたほうが良い結果が生まれる時代になっていくのだろう。
そうした時に、「将棋」という分野のトップクラスの「人間」が「コンピュータ」と真っ向から戦い、そして、そこに「思考」の方法と「美学」の違いが鮮明に現れるというのは非常に興味深いケースだと言える。
コンピュータは、「将棋」を指さない。
与えられたルールの通り、統計的によい*7とされる局面に進むように「動作」する。
一手一手に「意味」もなく、「美学」もない。
それはコンピュータの強さの源そのものでもあり、「弱点」でもある*8。
将棋のルールは完全ではなく、そこに人間らしさがあるとともに「軋轢」も生じるのだろう*9。
これからの世界に踏み込もうとする私たちがすべきことは、この「美学」のなさを罵ることではなく、また、「軋轢」の存在を認めずに敵を非難することでもなく、この鬼のようでもあり、子どものようでもある存在のについて考え、そして、その動作に「意味」を与えてやることにこそあるのではないだろうか。
<単なる感想>
電王戦FINALへの道、という連続ドキュメントを見ていたこともあって、期待感はあったものの、
近年のコンピュータ将棋の成長は目覚しく、棋士側が勝つのは難しい面もあるだろうと思っていました。
そこで、このような激しい勝負を制し、また、最後もバッサリとした決め方を選んだところに、斎藤五段の強さを見ましたし、
逆にApery開発者の平岡さんも、認めるべきことをきちんと認め、また、棋士に対するリスペクトも感じました
(上記の王手ラッシュについても、事前に配慮されていたようです。)。
どうしても、人間対コンピュータと言う図式になりがちですが、開発者の方々の言をTwitter、Blogなどを通じて見るに、
プログラマという人間が、非常に大きなエネルギーを費やしていることが、分かりますし、人間同士のドラマとして、非常に楽しませて頂いています。
棋士という人々が天才かつ非常な努力をされていて、人間離れしていることは以前から聞いていましたし、この勝負を見てもわかることですが、
それと同じように、プログラマの方々も色々な思いを積み重ねていらっしゃるのだと思います。
来週土曜日には第二局が開催されますので、ご関心の方はニコニコ生放送をご覧になってはいかがでしょうか。
http://ex.nicovideo.jp/denou/
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<追記的感想>
局面評価を行って、形作りする機能をつけろ、という議論がある。
それによって、もしかすると対人間の勝率は上がるかもしれないともいう。
しかし、おそらくコンピュータは2つ以上のルールを(メタレベルで)切り替えながら、「思考」方法を変えることは比較的不得手な部類ではなかろうか。(端的には入玉勝負に現れる)
そもそも、なんでそんなことをしなければならないのかと言われればそのとおりだ。
しかし、商用のソフトウェアでは、そのような機能やあるいは「解説」「指導」といった、単に「強い」以外の機能が求められる面はあると思う。(そうしたことに価値を認めて研究する人もあるようだ)
*1:本来、将棋のルールでは王様は取らない。詰めることが目的で王手放置は反則扱い(http://www.shogi.or.jp/shogi/hon/05.html)))。 負けが確定すると、相手に王手をかけて、「一手違いだった」などと強がった。 あれほど強いコンピュータが、あの頃の僕らのように見えた。 京都は二条城を舞台にした電王戦FINAL第1局 斎藤慎太郎 五段 vs Apery 現役のプロ棋士とコンピュータが戦う第2回からの電王戦では、プロ側からみて2勝7敗1分と圧倒的な負け越しの状況で今回の”FINAL”を迎えた。 小雨の二条城に入ってくるときにはやや緊張した面持ちだった斎藤五段も、対局が進むにつれて集中していくのが目に見える。 対局は居飛車対四間飛車のいわゆる「対抗形」に進み、やや優勢な序盤から先手側の斎藤五段がリードを広げ、125手までで勝利をおさめた。 問題となったのは、斎藤五段の勝ちが誰の目にも明らかになった局面。 プロ棋士同士の対局ならば、数手の形作り((勝ちにならないが「美しい」投了図を作るために詰めろなどをかける
*2:コンピュータ将棋の思考は基本的に可能な手をすべて読む。よって深さ(10手なら10手。20手なら20手)に限度がある。王手をその深さの限界まで続けると「負け」の局面に到達しないため、王手をしない時と比べて有利であると錯覚する
*3:http://togetter.com/li/794992
*4:https://twitter.com/ayumu_sugita/status/576777624929751041
*5:「オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」702業種を徹底調査してわかった」現代ビジネス, 2014.11.8 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40925
*6:例えば「インテリジェント化が加速するICTの未来像に関する研究会」総務省http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/intelligent/index.html 同研究会では、電王戦主催のドワンゴ会長CTOの川上量生氏も委員となっている。
*7:近年のコンピュータ将棋では、多くの棋譜(過去の将棋のデータ)から機械学習と呼ばれる方法で局面の良さを認識している。流行り風に言えば「ビッグデータ」。
*8:現に、意味的な理解がないことにより長手数先が読めず「ハメ手」的なものにハマることもある。
*9:不完全さは例えば、相入玉の宣言法などに見られる。同意せず、相手が死ぬまで指し続けたらどうなるのか、という思考実験を聞いたことがあるが、コンピュータ対人間ではありうることだろう。現に第二回の塚田九段vsPuella α、年末の森下九段対ツツカナ戦は近いものを感じた。
父からのお礼
昨日、神保町にて、父・神足裕司と私との共著『父と息子の大闘病日記』と父と母との共著『生きていく食事 神足裕司は甘いで目覚めた』の出版を記念したサイン会と出版記念パーティが開かれました。
お陰様で盛会となりましたことをご報告するとともに、あつく御礼を申し上げます。
父はパーティに向け、ご挨拶の言葉を書きました。
これはいつも応援してくださっている皆様への御礼の言葉です。
ぜひお伝えしたいと思い、こちらにアップすることといたしました。
今後ともよろしくお願いします。
皆様 今日はありがとう。
ボクがボクでありつづけるために、こんなに多くの人たちが関わって、応援してくれていることを改めて知る会となることでしょう。
今のボクはひとりでは外を出歩くこともできない。それどころか、ベッドの上で寝返りすらできない身体であります。こうして書いていることもどうやら次の瞬間には忘れてしまうようなのです。そんなボクが病気から3冊もの本を出すことができたのは、ここにいる皆さん、それとここにはこれなかったけれど、忙しくてもいつも応援してくれているボクの大切な人たちのお陰です。
ボクの心の窓となり、足となり、この世のことを教えてくれるのもそんな友人や家族たちです。
ボクの脳はまだどうにかしてしまっていて、夜中に目覚めた時、動かない身体や、なんでこうしているのかもわからなくて急に暗やみに突き落とされたような気分になることがあります。これが夢なのか、ベッドの中で毎回同じ夢を見ているような気持ちになり、恐ろしくなります。
でも朝起きてみると家族の顔があり、声があり、あそびにきてくれる友人たちがいて、ボクは平常を取り戻します。
ボクは今のボクにしかできないことを少しずつ頑張りたいと思います。
本当に皆さんありがとうございます。
また、遊びに来てください。
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将棋で見るワールドカップ
長いようで短かったサッカーFIFAワールドカップも、明朝の決勝戦で全試合日程が終了となります。
決勝はドイツ対アルゼンチン。
優勝候補として、ブラジル・アルゼンチン・ドイツ、を挙げていたのですが、準決勝ではまさかの結果もありました。
日本代表は残念な結果となりましたが、質の高い試合を短期間にたくさん見られて満足です。
さて、今こんな本を読んでいます。
将棋とサッカー?ぜんぜん違うじゃん、と思われるかもしれません。
でも、例えば、プロ棋士の野月七段はサッカーから着想を得て、新戦法を編み出したりしているんです。
それぞれの戦術によって得手不得手が生まれたり、いろいろな選手(駒)のコンビネーションでゴール(詰み)が生まれたりと共通点も多いのです。
詳細はこの本に譲りますが、ちょっと将棋をかじったことがあるサッカー好きならうなずきまくりで首が痛くなるかもしれません。
例えばこの本では、矢倉戦法をポゼッションサッカーに、四間飛車をカウンターサッカーに例えています。
まさに我が意を得たり、という感じです。
その流れで、日本代表をみてみましょう。
個人的には、日本代表(2014)は初手7六歩、3手目8六歩と突いていく居飛車党のイメージです。
正統派の攻撃型という感じで捉えてもらえればと思います。
後手の対応によって、戦法が分かれてきます。
日本代表が一番得意なのは横歩取りだと思います。*1
大駒(本田)や桂(香川)が入り乱れ、序盤から激しい撃ち合いになります。
それがうまくハマれば高位のチームを倒す力も持っているといえると思います。
他方で相手がカウンターの布陣を敷いてきた時には苦手意識があるようです。
相手がどんな体制だろうと、
とにかく棒銀を仕掛けていって、相手(四間飛車)にうまくさばかれ、
堅さを活かしたカウンターにハマるケースも見られるように思います。*2
「自分たちらしい」サッカーの魅力はもちろん感じるのですが、そうでない展開になった時の「裏芸」のようなものを身につけていけるといいですね。
今回決勝に進んだドイツはまさに両方できるチームだと思います。
(個人的にはショートカウンターのイメージが強いですが)
羽生名人のようなオールラウンダー、そんな感じがします。
対するアルゼンチンはマスチェラーノを中心とした固い守備から、最後の最後でメッシという強烈なアタッカーが決めるという、森内竜王のようなサッカーを展開しているといえるのではないでしょうか。
(W杯前の名人戦解説で元日本代表の波戸さんと深浦九段は、森内竜王をイタリア、羽生名人をブラジルに喩えていました。二チームは残念な結果に終わってしまいましたね)
準決勝の消耗も込で2-1ドイツと予想しておきたいと思います。
ワールドカップが終わったら将棋も見てみてください。
(サッカーと将棋といえばこの漫画もおもしろいです。
ナリキン! 01 (少年チャンピオン・コミックス)
)
おわりに
以上駆け足ではありますけれども、将棋の見どころと最近読んでよかった棋書を紹介してみました。
ちょうど日曜日の午前中にはNHK将棋トーナメントもありますし、ニコ生(http://ch.nicovideo.jp/shogi )で観ることもできます。
是非一度ご覧になってみてください。
やってもやっても新戦法は出てくるし、全く同じ形の終局図にもなりません。
将棋の世界は海原のように広いです。
ほんとは棋士の紹介とかしてみたいところですが、自分の力不足もありますし、長くなってしまうので今日はこんなところで!
指してみたくなった方
・どうぶつしょうぎウォーズと同じ会社の将棋ウォーズがあります。(招待ID(ry)
https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.heroz.android.shogiwars&hl=ja
・弱い練習相手としてハム将棋があります。
http://www.hozo.biz/shogi/
・番外編として、コンピュータ将棋については以下の書籍がおすすめです。若干ゲーム理論とかの勉強にもなるかも。