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読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

「考える」ことはできるか。

自分の頭で考えろ!
よく聞く言葉です。
特に大学という場にいれば、この行為そのものについて考えることが1度や2度あるのではないでしょうか。


「考える」ことはできるのか。
私たちは通常言語をつかって考えます。
単語が有限(語彙はもっと有限)ならばその組み合わせも有限。
こんな「場合の数」の話をしなくても
私たちが考えることというのは、ほとんどがどこかで見聞きし
知ったもので、オリジナルな考えなんてのはほとんどありません。
オリジナルなものと思われている作品群だってより古典的なものからの引用なんかに満ち溢れています。


そんなとき僕は思います。
これは僕が考えているのではなくて、
「世界」が「僕において」考えているのではないか、と。
よくわかりませんねw
要するに、考える、という行為の主体が私なのではなく、
知識あるいは思考法の総体としての「世界」が
私の頭脳という場を借りて考えているのではないかと。
そう思ってしまうのです。


ここにいたって、
「自分で考えろ」
という言葉が不思議に思えてきます。


結局のところ「自分で考えろ」というのは
判断をくだせ、ということに等しい。
どんなに考え方に正当性があっても(なくても)
決断、が価値に基づいて行われる以上
そこにあるのは、「個人の思い」
「自分で考えろ」はそういう意味なのでしょうか。


こんなことを言っていると
なんとなく「自分で考える」ことが無意味に思えてきます。
自分より頭のいい人なんていくらでもいますからね。
しかし、考えようとした、という過程そのものに
ある程度の意味があるように思います。


そんな折
(休みからのリハビリ代わりに)読んだのがこれ。



正直言って、感想は
そうだね。
の一言ではあるんですが。
考える、ことを考える材料にはなるのではないでしょうか。


あるいはこの時期多い大学への新入生にはおすすめの一冊となるかもしれません。
別に刈谷好きじゃないけどねwww