読書は人間の夢を見るか

平々凡々な社会人の読書と考えたこと。本文・写真についてはCC-BY-SA。当然ながら引用部分等の著作権は原文著者に属します。

EU TSM規則のネット中立性-欧州議会調査局資料から

日本ではどちらかと言うと通信の秘密の方にいってしまいがちですが、

欧州、米国ではネットワーク中立性が何かと話題ですね。

欧州では、10月にネットワーク中立性にも関連するいわゆるTSM規則が採択されたみたいです。

欧州議会調査局の方が簡潔に要点をまとめてくださっていますので、要約だけご紹介します*1

本文はリンクから御覧ください。

 

The EU rules on network neutrality: key provisions, remaining concerns

ネットワーク中立性に関するEUのルール 重要な条項、残る懸念

Tambiama André MADIEGA

 

SUMMARY:要約

 ネットワーク中立性は、本質的には無差別性の原理として、つまりは、インターネットサービスプロバイダーISP)のネットワークを通じた全ての電気通信が平等に扱われることの要求として説明することができよう。長い議論の末、2015年10月27日、欧州議会は、欧州連合におけるオープンなインターネットアクセスのセーフガードに関する新しい規則等を含む、電気通信単一市場(TSM: Telecom Single Market)規則を採択した。

 

 TSM規則では、エンドユーザーがEUのインターネット上において、選択したコンテンツにアクセスし又は配布する権利が重視され、ISPに対し、全てのインターネットトラフィックをエンドユーザーの権利を保護する方法で平等に扱わせるための無差別性の義務を課している。しかし、ISPはなお、無差別性の原則に対し、例外的措置や合理的なトラフィック管理の措置を実施することが許されている。ISPには、イノベーティブなサービス、すなわち「専門サービス(specialised services)」(遠隔医療サービス(例えば、離れた距離から行われる保健サービス)のなどがこれに類する)を提供することの可能性が承認されているが、これらのサービスにおいては通常、サービスの品質と、トラフィックの管理が要求される。また、ISPとエンドユーザーは、インターネットアクセスサービス提供上の(例えば、価格、分量、速度についてのような)商業契約を自由に結ぶことができる。しかしながら、ISPが、専門サービスや商業契約をもちいて、無差別性の原則を迂回させないようにするため、セーフガード条項が同時に実行に移される。

 

 妥結されたテキストは、多くの論者によって、EUにおけるネットワークの中立性を確かにするための偉大な一歩として見られているが、一方で、未解決の抜け穴と曖昧さが致命的なままいくつか残されている。とりわけ、合理的なトラフィック管理、専門サービス及びゼロ・レーティング*2のような価格差別的な慣行に関する規則をいかにして実装するかということに関して、懸念が表明されている。EU全体におけるアプローチが別々のものになってしまうことを避けるため、共通ガイダンスが必要とされている。

 

Tambiama André MADIEGA, The EU rules on network neutrality: key provisions, remaining concerns, EU Pariament Think Tank website, 2015.11.5 http://www.europarl.europa.eu/thinktank/en/document.html?reference=EPRS_BRI(2015)571318

 

 

なお、問題点としては、例えば、ベストエフォートで提供される(通常の)インターネットサービスと広範な「専門サービス」の定義との間に空白があることなどが紹介されています(専門サービスに関しては、代替できないことを示すためのテストをクリアしないといけないけれども、詳細なガイドラインはない、と。)。

 ルール自体は2016年4月に発効するけれども、議論は終わらないよ、ということのようです。

*1:非商用利用について翻訳が許可されるというDisclaimer and Copyrightに基いて行っていますが、著作権は放棄されていません。詳細はオリジナルを御確認下さい

*2:ゼロ・レーティングは、エンドユーザーに対して、特定のコンテンツ、サービス等については課金をしない、又はデータ容量制限の中に含めないという形式の価格差別的なやり方。例えば、プロバイダーの提供する音楽ストリーミングサービスだけは、データ容量制限の枠外に置かれる、など。

Uberの急騰料金(サージプライシング)は、ドライバーの急増を導かない

Uberの急騰料金(サージ・プライシング)というのが話題なようです。
混雑時に特定の区間で利用料金を上昇させるという仕組みですね。
他の交通機関でも、道路渋滞に対するコンジェスションチャージが各国で導入されてますし、
時折、満員電車対策として、ピークタイムの料金を上げろ、なんて話が出てきますね。
Uberは、これによってドライバーの数が確保できるというわけ*1ですが、
果たしていかに、という記事がProPublicaさんに掲載されておりました。

他の交通機関と違って、料金決定者を間に挟んで、両側に変動する売り手と買い手がいるわけで、その点少しむずかしいところがあるのかもしれませんね。

以下、和訳と本文です。

 

Uberのサージプライシングは、ドライバーの急増につながらない
by Lauren Kirchner and Surya Mattu ProPublica, Oct. 29, 2015, 12:01 a.m.

 

Uberは、長い間、ピークタイムにおけるより高額な「急騰」料金について、論争と動揺を喚起してきた。この企業は、より高い料金を設定することは、実際により多くのドライバーを路上へと向かわせる効果を持ち、乗客を助けるものであると言ってきた。しかし、ノースイースタン大学のコンピュータ科学者は、より高い料金を設定することは、より多くのドライバーという結果には必ずしもつながらないことを示した。

研究者であるLe Chen、Alan Mislove と Christo Wilsonは、43の新しいUberアカウントを作成し、4週間にわたって、サンフランシスコとマンハッタンの固定された場所で、仮想上の庸車を行った。そして、実際には、多くのドライバーが配車を要求する人が少ないであろうと予想して、急騰料金の適用される区間(急騰区間)を放置していることが示された。

「料金急騰の間に起こっていること、それは需要を殺すことだ」WilsonはProPublicaに語る。「だから、ドライバーは、急騰区間からいなくなってしまう」

今週コンタクトをとったとき、Uberは、急騰料金は、自身の分析によれば、実際問題、多くのドライバーを急騰区間に引きつけていることが示されていると語った。「この(ノースイースタンの研究者による)レポート、これは極めて限定的な公共的なデータに基づくものですが、ここにおける調査結果とは対照的に、私たちは、この事業を世界中の都市で、実際問題として毎日毎日見ているんです」UberのスポークスウーマンであるMolly SpaethはE-mailにこうつづった。

リサーチャーはまた、急騰料金をどうやったら回避できるかに関するいくつかのヒントを明らかにした。場所を変えることは、たとえ数百フィートでも、料金に影響を与えうることを示した。そしてまた、5分程度待つことによってさえ、しばしば通常の料金水準に戻るということも発見した。

「大半の急騰料金は短命で、これは、抜け目のないUberの乗客は、高額な料金を支払うよりむしろ、急騰料金が「やむまで待つ」べきだ、ということを示唆している」著者たちは、金曜日に東京の会議で発表する新しい研究でそう述べている。

ノースイースタンの科学者は、Uberの価格スキームが、都市を急騰区間に分割し、それぞれ独立に価格を計算していることを示した。境界は消費者には知らされない。「二人のユーザーが、何メートルか離れて立っていて、知らずに劇的に異なる何倍もの急騰料金を支払わなければならないかもしれないのです」科学者は言う。「例えば、タイムズスクエアにおいては、(全体の)20%の時間帯において、消費者は、(1ブロックか2ブロック先の)隣接する急騰区間に行くことで50%以上の料金を節約することができます。」

リサーチャーは、その境界を論文にスケッチし、ProPublicaは地図*2にこれを発展させた。マンハッタンにおけるUberのユーザーは、サンフランシスコのユーザーと比較して、より容易に、現在の急騰区間から急騰していない区間に移動することができる。マンハッタンの区域分けはより小さく、それゆえ、歩いての移動がより容易である。サンフランシスコの料金区間は、また、一緒に急騰する傾向にある。

ノースイースタンの研究者は、また、サンフランシスコとマンハッタンの市場における顕著な違いについても示している。昨年のUberのBlog投稿では、急騰料金は、「乗車の10%未満、つまりは、全てのUberの乗車のうち、ごく少数に対して影響するものだ」としているが、研究者は、マンハッタンにおけるUberの料金は、その14%の乗車において、また、サンフランシスコでは57%において、急騰料金が適用されていると記している。Uberは、この知見について尋ねられた際、その結果は代表性のあるものではないように思われるが、しかし、可能性の範囲外にあるものではないと述べた。

他の「シェアリングエコノミー」におけるオンラインの市場と同様に、Uberは、効率性と公開性(オープンさ)を約束する。例えば、Craigslist、Airbnb、それからeBayを使うときには、売り手と買い手はどの製品が利用可能で、そしていくらなのかということについて同じ情報を持つ、つまりは、両方のサイドが価格比較を行うための多くの情報を持っている。研究者の説明によるのであれば、Uberはこれらの例外ということになる、なぜならば、Uberモデルにおいては、交換のどちらのサイドにあっても、全ての情報を持っていないからだ。

「Uberでは、ドライバーは何が起こっているのか知りません、そして、消費者の側も何が起きているのか知らないんです」Wilsonは言う。「価格がいくらかを決定するアルゴリズムは水面下にあり、となれば、必然的にあなたは何が起きているかわからない、ということになるでしょう。」

 

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Uber's Surge Pricing May Not Lead to a Surge in Drivers

by Lauren Kirchner and Surya Mattu ProPublica, Oct. 28, 2015, 11:01 p.m.

Uber has long stirred controversy and consternation over the higher "surge" prices it charges at peak times. The company has always said the higher prices actually help passengers by encouraging more drivers to get on the road. But computer scientists from Northeastern University have found that higher prices don't necessarily result in more drivers.

Researchers Le Chen, Alan Mislove and Christo Wilson created 43 new Uber accounts and virtually hailed cars over four weeks from fixed points throughout San Francisco and Manhattan. They found that many drivers actually leave surge areas in anticipation of fewer people ordering rides.

"What happens during a surge is, it just kills demand," Wilson told ProPublica. "So the drivers actually drive away from the surge."

When contacted this week, Uber said that their own analysis has shown that surge pricing does, in fact, attract more drivers to surge areas. "Contrary to the findings in this report — which is based on extremely limited, public data — we've seen this work in practice day in day out, in cities all around the world," Uber spokeswoman Molly Spaeth wrote in an email.

The researchers also uncovered a few tips about how to avoid surge prices. They found that changing your location, even by a few hundred feet, can influence the price you get. They also discovered that you can often get back to normal fare levels by waiting as few as five minutes.

"The vast majority of surges are short-lived, which suggests that savvy Uber passengers should ‘wait-out' surges rather than pay higher prices," the authors wrote in a new study they are presenting at a conference in Tokyo on Friday.

The Northeastern scientists found that Uber's price scheme divides cities into "surge areas" and calculates prices for each one independently. The boundaries are not known to consumers. "[T]wo users standing a few meters apart may unknowingly receive dramatically different surge multipliers," the scientists wrote. "For example, 20 percent of the time in Times Square, customers can save 50 percent or more by being in an adjacent surge area" a block or two away.

The researchers sketched out those boundaries in their paper, and ProPublica has developed them into maps. Uber users in Manhattan can more easily cross from current surging to non-surging zones than users in San Francisco. The areas in Manhattan are smaller, and therefore more walkable; San Francisco's price areas also tend to surge together.

The Northeastern researchers also found significant differences between the San Francisco and Manhattan markets. While an Uber blog post last year stated that surge pricing "affects a tiny minority of all Uber rides, less than 10 percent of trips," the researchers documented that the price of Uber in Manhattan surged about 14 percent of the time, and 57 percent of the time in San Francisco. When asked about these findings, Uber said that they sounded unrepresentative, but not outside of the realm of possibility.

Like other online marketplaces in the "sharing economy," Uber promises efficiency and openness. When using Craigslist, AirBnb, or eBay, for instance, buyers and sellers have the same information about what products are available, and for how much — both sides have a lot of information with which to make price comparisons. Uber is an outlier, these researchers explained, because under the Uber model, neither side of the transaction has all of the information.

"With Uber, the drivers don't know what's going on, and the customers don't know what's going on," said Wilson. "There's an algorithm behind the scenes that determines what the prices are, and you essentially have no idea what's happening."

ProPublica is a Pulitzer Prize-winning investigative newsroom. Sign up for their newsletter.

 

 

*1:「Uber、料金急騰システムを正当化する調査結果を発表」 Techcrunch, 2015.9.18 http://jp.techcrunch.com/2015/09/18/20150917ubers-latest-justification-for-surge-pricing/

*2:原文サイト上に掲載

時にはボレロを踊って

忘れられない光景がある。
あの大震災から数十日目の夜。
JRと私鉄の駅を結ぶコンコースはまだ薄暗かった。


一つのバンドが現れた。
電子ピアノ、ドラム、ベース。管楽器にボーカル。*1
演奏し始めたのはジャズだった。
誰もが知っているようなJpopのアレンジから、スタンダード。
進むに連れて、人の輪が広がった。
その場で電話をかけて、「ジャズやってるんだよ!」なんて言って知り合いを呼ぶ人もいる。


震災への寄付を目的としたチャリティバンド。
演奏が終わると、多くの人がボックスにお札を入れていった。
みんながその音楽に魅了されていたのだ。
「いつもはどこでやってるんですか?」
「このメンバーでいつもやってるわけじゃないんです」
そんな会話が交わされていた。

  • -


彼が太鼓を習い始めたのは、小学生の頃。
授業で叩いたスネアが楽しかったからだった。


そのことを聞いて私の頭のなかには、ある曲が流れ始めた。
ラヴェルボレロだ。
同じリズムを刻むスネアの上に乗って様々な楽器が主題を演奏していく。
『愛と哀しみのボレロ』という映画では、この曲にあわせた踊りが象徴的なシーンらしい。
らしい、というのは伝聞だからだ。
父がそれにインスパイアされた踊りを宴会での持ちネタにしていたと聞いた。
確か、小学校の時、この曲とスネアを使った授業があったはずだ。


高校生になれば、ドラムを叩き、後に音大へ。
ビッグバンドのオークションを受けて通ったことが、ジャズとの出会いだった。
ジャズコースでは、小曽根真氏らの薫陶を受け、在学中には山野ビッグバンドジャズコンテストを連覇。
卒業時には優秀な学生に贈られる山下洋輔*2を受賞し、渡辺貞夫氏らとも共演した。


卒業後、彼は海を渡る。
ジャズの名門校として知られるバークリー音楽院に全額奨学金を受けて留学。
ここでも首席で卒業し、ニューヨークに舞台を移す。


彼の名は小田桐和寛。
冒頭のチャリティーライブは出国する数か月前に行われたものだった。*3


順風満帆のようだ。
才能にも、運にも恵まれて、スイスイと階梯を登っていく。
果たしてそうだろうか。
今でも耳に残る彼の言葉がある。
確かコンテストの前後。
「俺らが一番練習してるから…」
そう仲間に言っているのが聞こえたのだ。


「運命は勇者に微笑む」と、将棋の羽生四冠はいうけれど。
実力の伴わない勇気に運命は微笑まない。
そこには積み重ねた修練の時が現前する。


ボレロの太鼓は続いていく。
次第に興奮を伴いながら。どこまでも。


凄玉ドラマー、小田桐和寛はニューヨークで粉骨砕身、夢に向かう


こんな記事をみたので少し。
本当に楽しそうだ。


*1:ボーカルは現「ものんくる」の吉田沙良氏だったと記憶している。

*2:ボレロにまつわる思い出がもう一つある。私の高校時代の国語の師匠は山下洋輔氏の話をするのが好きだった。肘まで使ってピアノを弾いた。そして、世界に衝撃を与えたのだ、と。師匠の言うことは絶対である。影響を受けた私は彼の音楽を聞き、ライブにも行った。そして、その代表曲の一つがボレロだったのだ。

*3:他にも小曽根真氏と大槌町防災無線ひょっこりひょうたん島」をレコーディングするなどしていた

GW終わり

木金と仕事をしてきてなんですが、一応今日までがGWって認識でいいんでしょうかね。休みというのは一瞬で終わるものです。
休み中に見た映画、読んだ本を簡単に振り返ってみたいと思います。


その前に、まずは番外編から。
5日6日で今話題の箱根町芦ノ湖に行ってきました。
毎年恒例で、妹の友達家族とうちの家族で行ってるんですね。

今年は少し様子が違いました。
なにせキャンプ場(コテージ)に着いた瞬間から硫黄臭い。
夜には数度の地震
夜中起きだして星を見に行っていたんですが、朝の六時には、防災無線で叩き起こされました。
なんとなく、避難指示が出たということはわかったのですが、放送もぼんやりとしか聞こえず、地理感覚もよくわからず、携帯は電波がなく、またフロント?も閉まっているということで、情報伝達って難しい物なんだなぁ、と身をもって感じました。


さて、本。
思った以上に読めませんでした。
『缶つま』とか『つるの将棋』とか『角交換四間飛車を指しこなす本』とかは読んだんですけどね。
読書としては、

を読んだくらいです。


本書は、デジタルアーカイブに関する本。
デジタルアーカイブというのは、重要な情報(文化的な資源とか、公文書とか)をデジタルで保存・活用する試みとでもいえばいいでしょうか。
なんで、それが重要なの?趣味の領域じゃない?という声もあるかもしれませんが、そのあたりから、丁寧に紹介されています。
EUが結構力を入れているわけですが、そこには英語文化圏に飲み込まれていく世界への危機感があるということのようです。
Googleで引っかからないものはないものとして扱われがちな昨今、デジタルで(しかも英語で)アクセスできることの価値というのはより大きくなっているのかもしれません。
本書では、国内の動向や欧州で進められているEuropeana*1など国際的な動向を、実際に整備されているアーカイブにとどまらず、法的な動向、業界団体の状況などが説明された上、著者からの提言がなされています。
個人的には感想がなんともいいがたいのですが、非常に個人的なことで言えば、様々な創造物というのは、これまでの創作の積み重ねやデータの上にできていると考えています。
例えば、将棋の世界でもコンピュータのデータベースを使うようになったことなどを一端として「高速道路」が敷かれたとも言われます*2(もちろんそれだけでは、トップになれないということではあるのですが)。
これまでの積み重ねが多くの人に開かれる中で、よりよいものが立ち上がってくるとすれば、それは今後にとって意味のあるものとなるのではないでしょうか。


映画とドラマ。面白かった順に。
中頃になってHuluの無料体験に登録しまして、ドラマを見ました。

まずは、SHERLOCK。
かの有名な名探偵シャーロック・ホームズとワトソンが現代のイギリスを舞台にして蘇る。
ワトソンはブログを書き、ホームズはスマホを操る。
コンセプトだけでもワクワクものだけれど、企画倒れに終わっていないところが素晴らしい。つまりはとてもおもしろい。
特にシーズン1の終わりからシーズン2にかけては、目が離せない展開で、一気に見てしまった。
ホームズの洞察やデータを映像的に表しているのも、映像と書籍のギャップを超えるようなところがあって、好きです。
加えて、ホームズ、ワトソンのブログを実際の世界でも作っている点*3など、メディアをまたいで世界観を作っています。緻密に作り上げられているからこそ出来る芸当。
古きを訪ねて新しきを知る、と言った感じでしょうか。
心の汚れた私にとっては、オープニングに必ずロンドン市街の様子としてTDK/SANYOの広告が写っているところが引っかかり、これは彼我の放送の考え方の違いの一端をかんじるところでもありました。


Huluは、BBCのニュース番組なんかも見られるのでそのへんはいいかなーなんて思いました。Click*4とか面白いです。


有名ホテルのコンシェルジュと彼の部下である若いボーイの交流を、巻き込まれた殺人事件を中心として描いた作品。
面白さを伝えるのがなかなか難しい部分があるが、セリフ、テンポ感とシーンの撮り方が相まって、暗い笑いを呼び起こす。
豪華なキャストもさすがの演技で、Blurayに入っていたスペシャルコンテンツまで含めて全部見てしまった。


祝宴! シェフ [DVD]

祝宴! シェフ [DVD]

料理ものの映画が好きなので借りた。
亡くなった伝説的なシェフの娘が、料理の世界に戻り、ゆかいな仲間たちと料理決戦を戦うというお話。
中華一番!みたいに聞こえるが、リアクション芸はどちらかというと『焼きたてジャパン!』的である。
ややダレどころがあるが、料理は美味しそうで、実際トマトの卵炒めなど作ってしまった。
暇な時にのんびり見るにはよい映画。


ウルフ・オブ・ウォールストリート [DVD]

ウルフ・オブ・ウォールストリート [DVD]

長かった…
実在の投資家(?)と投資会社の狂乱の日々と転落を描いた映画。
薬と性と馬鹿げた遊び…はっきり言って、スケール感が違うだけで、ものとしてはそこらの不良がやってることとそう大差ないとも言える。
そこにメタなメッセージを読み込むかどうかは見る人次第、といったところでしょうか。


GWは他に、野球なんかも見に行けたので、まぁまぁ、といったところでしょうか。
また、夏休みに向けて頑張ろうと思います。

*1:http://www.europeana.eu/portal/

*2:情報網が整備されたことで一定の強さまで一気に行けるようになったという羽生善治名人の言葉。http://japan.cnet.com/blog/umeda/2004/12/06/entry_post_203/ を参照。

*3:http://www.johnwatsonblog.co.uk/

*4:http://www.bbc.co.uk/programmes/n13xtmd5

プレGW

4月も終わりました。
もう一年も3分の1が終わったかと思うと、時の流れの早さを感じます。
ゴールデンウイーク、正確に言うと大型連休であります。
私はちょっとお休みを頂いて、だらだら過ごしています。
ここ数年はなんやかや云々かんぬんありましたので、ゆっくり落ち着くと何をしていいのかよくわからなくなります。
でも、とりあえず、砥石の目詰りをとって包丁を研ぎ、靴磨きをしたのでなんとなく有意義に過ごしている気がします。


とりあえず、ここまでで読んだ本と見た映画をメモ代わりに軽くレビューをしてみようと思います。


まずはこれ。
大著『謎の独立国家ソマリランド』に続く、高野さんのソマリアソマリランド)本。
前作が面白すぎたので、読みたいなと思っていたところ、電子特別版がセールになっていたので購入。
よりシンプルなソマリランド愛を感じられる一冊。
ソマリアといえば、事実上の無政府状態で、海賊が多発していて、と一般的に思い浮かぶのはひどいマイナスイメージばかり。
ただ、この2作を読むと、そこに広がる世界をみることができる。
よく「まずは取材対象を愛せ」みたいなことをいうけど、眼前にソマリランドが広がり、彼の地の人々の声が聞こえてくるかのような描写をみると、その言葉の意味がわかる。
あまりにもその世界に没入しすぎてしまうので、一瞬、物語(フィクション)かなにかと勘違いしてしまう。(「写真のような」という形容詞と一緒だ)
そして、カラーの写真に引き戻される。
前作で出会った人々にもう一度会いたい方にはぜひおすすめしたい。


料理をたまに作ることもあって、料理映画(または料理漫画)は結構好きです。
そのノリで見ましたが、これは、料理映画の枠に留まらない作品でした。
現代の寓話、なんて言葉も聞かれますが、これは原語タイトルであるThe Hundred-Foot Journey から始まっています。
本作のストーリーはある意味では「予定調和」的であるわけですけれども、その中で、異なる文化の衝突、そして、才能の壁(をめぐる持つものと持たざるものの衝突)といったテーマを描くことに成功しています。
今年始めの悲しい事件が思い起こされるように、欧州では移民との衝突が起きていると聞きます。ある意味では「描かざるを得ない」テーマだったのかもしれません。
お話は素晴らしい能力を持った青年が努力もあって成功していくという、ある意味では漫画的な部分があり、テンポ感もあって、それはそれとして楽しめるものだと思います。
一方、その進行の中で、寓意を読んでいくにはやや駆け足感を感じましたが、お腹が痛かったからかもしれません。


B級、ってことでいいんですかね(笑)
酔っぱらいの話と聞いて見ないわけにはいかないだろうなと思っていたところ、念願が叶いました。
多くを語ることはこれから見る方に申し訳ないのですが、これからもっと大人になっていくだろう私にとって、最後の数分間はなんとなく感じるところがあるものでした。
しかし、12パイントのビールってそんなにつらいもんかな…


では、またGW中頃にお会いしましょう。

親子と将棋

先日、神足裕司の『パパになった男』から、ケンカに関する一節を引いたのだけれど、将棋の「ひっかけ」に関連した箇所もあるのを思い出した。
将棋連チャンで申し訳ないけれど(読んでる人もそんなにいないだろう)、広がりのある事柄だと思うので、少しお付き合いいただきたい。
それは、彼の息子が(無謀にも)小学生名人戦に出た時の事だった。

昨日の夜、戦術を授けなかったことを後悔した。引っかけ技のようなものを一つ教え込んでおけば、一勝くらいはできたかもしれない。
 でも、ぼくは助言しなかった。「自分が困っているときは相手だってつらいんだ」といった、勝負事の心構えも教えない。セコンド・パパになるのがイヤだった。
 これはぼくの教育方針ということになる。いま、ぼくが教えた大人の知恵で息子が勝てば、その場は二人ともうれしいかもしれない。が、結局は大きなものを失う。自分で道を切り開くという喜びを失うのだ。
 4才のときコロンブスの伝記を読んで「ぼく探検家になる」と言ったくせに、「探検家ってものすごく歩くんだぞ」と脅したらすぐ「じゃ、やめる」と即座に前言をひるがえした弱気な息子が、いまは「将棋のプロになりたい」と言う。
 ぼくは、助けるべきだろうか。
 ぼくは手助けできないことを知っている。
 英才教育ってものをぼくは嫌っている。
 …(中略)…
 ぼくの場合だったら、たとえば息子を、秀才雑誌ライターに育てることができるかもしれない。人間観察の方法を手ほどきして、お手本にバルザックを読ませ、描写の大切さを説く。出版社の編集者にヘコヘコこびるやり方も。
 そうやって、学校の読書感想文コンクールくらいなら金賞を取れるかもしれない。が、読者の胸を打つことはゼッタイにできない。勝負はテクニックではなく情熱の量で決まるのだ。その上、大人が手を加えれば、読むべき年齢に読む本の愉しみさえ奪われることになるだろう。

神足裕司『パパになった男』主婦の友社, 1997, p.107-109)


当然ながら、「将棋のプロに」などという言葉は簡単に翻されたものの、彼は今でも将棋を続けている。
そればかりか、雑誌に連載し、父親と一緒に本まで出した。
惜しむらくは、教えを受けなかったことだろうか。
人間観察のちからも、描写力もついぞ身につかなかった。
しかし、読むべき時に読むべき本を読み、その時どきを愉しんだのだろう。


さて、父親が病気になってはじめて将棋に勝って、喜んでいたのもつかの間。
すぐに抜き返されてしまった。
先日は、病気になってからはじめて居飛車を指したという。
病気になって以来の、三間飛車には戸惑いを覚えていたが、また一つ自分を取り戻した、ということだろうか。


そして、それは「敵」なのか−人と機械(後編)

「ケンカとは、どうやっても勝たなければならないものだ。そのためには、相手の金玉を蹴り上げ、指を突っ込んで目の玉をほじくり出してやれ!」
とぼくは乱暴に言った。
息子の返事はこうだった。
「パパ、ボーリョクはいけないんだよ」」
神足裕司『パパになった男』主婦の友社, 1997, p.110)


勝負事に負けるというのは辛いことだ。
そして、勝ちにこだわればこだわるほど、負けた時の辛さは増していく。
周りからは、半ば願望を反映した批判も届く。
青木真也選手と長島自演乙選手が立ち技系と総合系のミックスルールで戦った際には、青木選手が立ち技系での戦いを避けたことで、大きな批判も上がったことを覚えている。そして、長島選手の勝利に対する歓声も。
いや、批判は敗者にだけ向けられるのではない。


それでもなお、「勝たなければならない」というのはどういうことなのだろうか。
はたして、そうしたものと対峙するということはどのようなことだろうか。
電王戦FINAL第5局、阿久津主税八段対AWAKEの一戦が、思いがけないような短手数(21手)で幕を閉じたあと、ニコファーレの椅子に座って、私は考えていた。


結果から言えば、今回の電王戦FINALはプロ棋士側から見て3勝2敗と、
団体戦形式が始まって3度めにして、初めて勝ち越すことになった。
その背景には、プロ棋士の膨大な研究があった。
時間の使い方、勝ちやすい戦型、読みの特徴。
その中には、人間相手に「勝ちやすい」戦い方とは異なるものが、含まれており、今回の第5局では、それが明確に表に出た。
奨励会員でもある開発者は、対局がその道に進んだのを見て投了した。
憤りと失望を隠すこともなかった。


与えられたルールの中で最善をつくすのはあたりまえだという、人がいる。
そのやり方が一番勝率を高めるのなら、そうすべきだという考え方だ。


一方で、それが「ハメ手」にうつるという人もいる。
ましてや、コンピュータ・ソフトは事前貸出だ。
こうした、プログラムの特性上、全く同じ条件を提示されれば、確率論の中でその道を選ぶことは十分な可能性がある。つまり、人間のように一度ハマったから、修正して、違う手を指そう、とはならないわけだ。


落とし穴にハマることがわかっている相手がいるからといって、落とし穴を掘ればそれでよいのか。
「美学」からそれを嫌う人もいる。
おそらく、「棋士」の中にこそ、そうした考えの人が多いだろう。


ではなぜ、そのような手を選ばなければならなかったのか。
プロにとって、ああした手を選ぶことがどれだけの無念さをともなうものなのか、私にとっては想像すらできないが、負ける「恥」と比べて、どれだけの大きさだったのか。
今までの敗戦の歴史を欠いて語ることはできない。
プロはやはり、第一義的にはその強さによって魅力を保ってきた。
事実、第2回電王戦後には、将棋から離れていった人もいた*1


電王戦がHUMAN vs. Computerと題された時点でこうなることは決まっていたのかもしれない。
途中からは、共存をうたい、「タッグマッチ」なども試みられたが、必ずしも成功したとは言いがたかった。


何も、将棋の世界の話だけではない。
テクノロジーによって、仕事が奪われているという議論は前々から存在するし、その処方として共存が提示されたりもしている。

機械との競争

機械との競争


コンピュータは進歩する。
それもものすごいスピードで。
ディープラーニング、という技術は、機械が自らどの項目を重視すべきかを発見してくるものだという。*2
それが、機械の改良に応用されて行ったら?
爆発的な発展が起こることは目に見えている。*3
では、人間はどこかに置いて行かれてしまうのだろうか。
そこに待っているのは、単なる失業なのか、あるいは、働かなくても暮らしていけるユートピアなのか。


しかし一方でこうも思えるのだ。
どこに機械を使い、どこに使わないか、という判断はしばらくは人間の手に残るのではないだろうか、と。
思えば、第5局の投了も、開発者の手によるものであった。
一見正常に動作しているようにみえる、高性能な機械の動作を、(ひょっとすると性能に劣っているかもしれない)人間が判断しなければならない。こんな主張は奇妙に見えるかもしれない。
しかし、今回の電王戦を見ていて感じたことは、メタなレベルで、ゲームの種類を判別して異なる判断の様式を(無意識のうちに)用いている人間の姿だった。
川上会長の「コンピュータと人間が競争するということがそもそもおかしい」というのと、裏表の意味であえて言うならば、
「機械との共存」は異なる次元に置いてしか、成立しないのかもしれない。


今日の第5局では、あまりにも早い決着にエキシビジョンマッチが組まれた。
AWAKEのあとを(角を打つ前の局面)から永瀬六段*4が指しつぐ形で。
終盤の妙手がいくつも繰り出される熱戦の末、阿久津八段が勝利した。
印象的だったのは、感想戦の様子だ。
エキシビジョンだったということもあってか。本当に楽しそうにいつまでも手を語り合う二人の姿が見えた。
機械との共存とは、こういうことなのかもしれない。


最後に、有名なコピペを一つご紹介しよう。

メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。

すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。旅行者が
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、
漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。

「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、
女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」

すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、
きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、
漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。
お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、
ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、
日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、
子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」

「お金持ちの不思議。 : ひろゆき@オープンSNS」2006.9.14 http://hiro.asks.jp/9161.html?thread=204489

*1:例えば、山崎バニラ氏はそれを明言した。「山崎バニラが語る今回の将棋電王戦について思うこと」週アスプラス, 2014.3.27 http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/209/209935/

*2:松尾豊『人工知能は人間を超えるか (角川EPUB選書)』2015.3などを参照。理解に間違いがあるかもしれない。

*3:シンギュラリティー(技術的特異点)などの議論が有名。例えば、レイ・カーツワイル『ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき』日本放送出版協会,2007.

*4:第2戦でSeleneに勝利している